番外編 第二王子にとっての世界2
シャルルは、いい子に徹した。完璧な微笑みを浮かべ、勉学に励み。優秀な魔法使いになるための研鑽を積んだ。
それに比例するように、どんどん、どんどん、息はしづらくなっていった。自由になりたい。こんな場所飛び出してしまえと、慟哭する自分を押し殺せばするほどに。
「シャルル殿下は優秀な魔法使いになられる」
「あぁ、確実にな」
「シャルル殿下を支持した方がよいのでは?」
「いや、しかし……。第一王子以外が王になった前例などないのだぞ」
いつの頃からか、周りが勝手に王位を巡ってそんな話を囁き合い出した。酷くどうでも良かった。誰もシャルルの本当に気付いてはくれないということでしかなかったのだから。
「だ~れも、な~んにも、知らないんだ。見てくれないんだ」
自室の窓から外をぼんやりと眺めるシャルルを精霊だけが慰めてくれた。光のない翳る瞳がそれでも弧を描いたのは、ただ単純にそれが癖付いてしまったから。
「ボクはね、きっと。いつか溺れて死ぬんだよ。それでもず~っと、微笑みながら……」
窓ガラスに映るシャルルは言葉の通り、優雅な微笑みを浮かべていた。一層のこと、早く死んでくれたらいい。心が死ねば、この息苦しさもなくなってくれるのだろうから。
「……らくになりたい」
あとどのくらい耐えれば、この地獄に慣れるのだろうか。自由な世界を諦める方法を誰でもいいから教えてよと、シャルルは静かに目蓋で視界を塞いだ。
それは、貴族との付き合いで同行した観劇でのことだった。内容は切なく悲しいもので、大人達でさえ涙を流していた。
だから、シャルルも泣いた方がいいのだろうと考えた。しかし、泣けなかったのだ。涙の流し方を忘れてしまった。どうやって、人は泣くのだったか。
シャルルは混乱したが、その場は何とか悲し気な表情を作ってやり過ごした。周りの貴族達は何も不審がっていなかったのが、唯一の救いであった。
王宮に帰ってきたシャルルは、信頼している侍従を頼ることにした。他に相談できる人間がいなかったのだ。
「ジョゼフ、今日、ね。困ったことがあって……」
「……? どのようなことがでしょうか?」
「観劇、泣いた方が良かったよね?」
シャルルの言葉に、従者ジョゼフは目を瞠る。しかし、混乱しているシャルルは、それに気付けなかった。
「でも……。でも、ね。泣けなかったんだ。だから、教えて欲しいんだけど」
「……はい」
「うん。あのね。あの……。涙ってさ。どうやって流すんだった?」
シャルルには今、自分がどんな顔をしているのかさえ分からなかった。ずっと泣こうとしているのだが、口角が自然と上がってしまうのだ。
「シャルル殿、か……」
ジョゼフの声は、掠れていた。何故かは分からなかった。しかし、これは本格的に不味いということだけは確かであった。
このままでは、本気で壊れてしまうのだろう。いや、もしかしたらもう壊れだしているのかもしれなかった。
「申し訳あり、ません。もうしわけ……っっ!」
「どうしてジョゼフが謝るの。何も悪くないよ。ねぇ、泣かないで」
ジョゼフの謝罪は何に対してなのだろうか。ただひたすら涙に震える声で繰り返される謝罪に、シャルルは眉尻を下げることしか出来なかった。
シャルルは自室でぼんやりと外を眺めることが増えていた。限界がじわじわと迫っている感覚はしていたが、シャルルはそれを良しとしたのだ。
ただ、良しとしたのはシャルルだけであった。不意にシャルルの部屋の扉がノックもなしに勢いよく開く。そこに立っていたのは、兄のアベラールだった。
「兄様?」
よほど慌てて走ってきたのか、アベラールは息を切らしていた。どこか怒ったような顔でアベラールは、シャルルの自室の中へ了承も取らずに入ってくる。
目の前までやって来たアベラールに、シャルルは訳が分からないまま。それでも、ニコッと笑みを浮かべた。
「どうされたのですか? 兄様がボクに用事なんて、珍しいですね」
「すまない!!」
アベラールの第一声は謝罪であった。シャルルはそれに、面食らって目を丸める。
「不甲斐ない兄を許してくれ。いや、許さなくていい。いいから……」
続く言葉を見つけられなかったかのように、アベラールは押し黙った。燃えるような深紅の瞳に、みるみる涙がたまっていく。
あっと思った時には、幼子のような大粒の涙がボロボロとアベラールの頬を流れ落ちていた。それをシャルルは、何処か他人事のように眺める。
「約束をしよう」
「やくそく……?」
「そうだ。俺が必ず王になる。シャルルがなるべく自由に出来るようにする。より良い国にする。あと、あとは……」
考えが纏まらないのか。少なからず混乱しているのか。記憶の中のアベラールとは違い要領を得ないそれに、シャルルは目をパチパチと瞬かせる。
「兎に角、頑張るから! 自慢できる兄になる! でも、それでも、嫌なら……」
アベラールが雑に涙を腕で拭う。それでも溢れてくる涙を放って顔を上げたアベラールの瞳がシャルルを真っ直ぐに映した。
「その時は、捨ててくれていい!」
シャルルの口から間の抜けた声が出たのは、第二王子にとっての自由が何を意味するのかが分かってしまったからだった。
そんなつもりはなかった。ただ、自由に生きたかっただけ。しかし、王族の自分が自由に生きるためには、兄が口にしたことをする他ない。
国も。民も。責務も。何もかもを捨てた先にしか、望む自由はないのだと。そのことに気付いてしまった。
あぁ、最悪だ。そう思った。自分を含めた全てに対して。
「……約束」
「あぁ、約束だ! 俺は引き留めたりしない!」
酷い人だと思った。同時に素晴らしい人なんだろうなとも思った。暫く関わらない内に兄は、王太子になってしまっていた。
シャルルはただ困ったように微笑みながら、「分かりました」とだけ言った。そんなこと、出来るわけがないと答えは決まっていたけれど。
「ジョゼフに渡して欲しいものがあると頼まれた。けれど、それはジョゼフが渡した方がいいと思って断ったんだ」
「……?」
「ジョゼフ!」
アベラールに呼ばれて、ジョゼフが扉を開けて入ってくる。壊れた筈のハープを持って。
「……っ!? ジョゼフ、それ! それって!」
「修復は、不可能でした。ですので、せめて同じ物をと職人に頼み込み。それが、昨日やっと完成したのでございます」
ジョゼフはシャルルの前まで来ると、目線を合わせるように膝をつく。
「出過ぎた真似かと存じましたが……。貴方様にとって欠けてはならぬものだと判断致しました。どうか。どうか……」
祈るような声音であった。シャルルは今ここで、わんわん泣き崩れられたらどんなにいいかと思った。しかし、やはり涙は出てはくれなくて。ただ、震える声で「僕のハープ……」と、呟くことしか出来なかった。
「そうです。貴方様の、シャルル殿下のハープでございます」
「いいの? だって」
だって、父は許してくれなかったのに。もう二度と、同じ思いはしたくなかった。シャルルはあの日の光景に怯えて、服の裾を握り締める。それは、ハープに手を伸ばすのを我慢しているようにジョゼフには見えた。
「露見しなければ、怒られない」
「……え?」
「だから、だいじょーぶ、だ」
止まったかと思われた兄の涙が、再びボロボロと流れ出す。そこでシャルルは、そういえば兄はよく泣く人だったなぁということを思い出した。
シャルルは「……はい」と一つ頷き、ハープに手を伸ばす。もはや叶うことはない自由への憧れを大事に大事に抱き締めた。




