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02.婚約は白紙になりましたから

 その昔、精霊魔法を使う“魔法使い”という存在は、世界各国に大勢いた。魔法使い達は生まれながらにして魔力をその身に宿し、精霊と心を通わせることが出来た。魔法は豊かな生活をもたらし、平穏な毎日を送っていたのだ。

 しかし、ある時。とある国が周辺諸国の侵略を始めた。その国の者達が戦に精霊魔法を用いたため、周辺諸国の者達も精霊魔法でもって迎え撃った。

 戦火は広がり、いつしか世界規模にまでなっていた。あらゆる国々が狼煙を上げる中、唯一争いを嘆き哀しみ不戦を選んだ国がある。

 その国の魔法使い達は、国を丸ごと覆う結界を張ることに成功。“我が国は不可侵なりて、争いを持ち込むことなかれ”と国に閉じこもったのである。

 その結界は強力で、如何なる手段でも破壊することは敵わず。そのため、その国だけは戦火を免れた。

 それでも争いが収まることはなく。ますます激化していく中、戦場で異変が起きた。急に精霊魔法が使えなくなったのだ。

 精霊達は長く続く争いに耐えられなくなり、人々に力を貸すことを止めた。それにより、戦う術を失った国々は矛を収めることとなる。

 しかし、泰平の世となった今でも精霊が再び人間に力を貸すことはなかった。そのため、いつしか魔力を持つ者も生まれなくなったのだ。ただ一つの国を除いて。


 これは、全ての国の子ども達が最初に知る世界の歴史である。


 アイリスが生まれたここエンティクルブ王国も例に漏れず、精霊魔法を失った愚かな国の一つ。魔法が使えなくなったことにより、工学に力を入れ発展してきた。工業国家。

 そして、今アイリスの目の前で困ったように笑む隣国からの留学生。少年の国こそが魔法を失わなかった唯一の国、精霊に愛されしポプラルース王国なのである。

 その国の第二王子と、向かい合って座っているこの状態は何なのであろうか。アイリスは態々敷いてくださったハンカチが恐れ多くて、どうにも居心地が悪かった。


「驚かせたかな?」

「いえ、そのようなことは。私の方こそ申し訳ございませんでした」

「謝るのはオレの方だと思うんだけど」

「滅相もございません。悲鳴を上げるなど私がはしたのうございました」


 ポプラルース王国の第二王子に謝罪をさせるなど、あってはならない。しかも、自分のような無価値な女に。アイリスは当然のことだと畏まった。

 少年はそんなアイリスの様子に、「王族足るもの、ね」と溜息混じりにボソリと呟く。上手く聞き取れなかったアイリスは、お怒りなのかと顔を俯かせた。


「オレは、シャルル・スエ・ポプラルースと申します。キミの名前を伺っても?」

「わ、私は、アイリス・スタジッグと申します」

「よろしくね」

「恐悦至極に存じます」


 少年、シャルルはニコッと人の良さそうな笑みを浮かべる。それに、アイリスはほっと胸を撫で下ろした。怒っている訳ではないようだ。

 ポプラルース王国は不戦を選んだ国。そのため、領土は決して広いとはいえない。しかし、国を覆う結界は今なお残り精霊魔法は強大。争いは好まないが、十分な強国である。

 エンティクルブ王国は隣国ということもあり、友好関係を長い年月をかけ築き上げた。それを王族の機嫌を損ねて壊しなどすれば、アイリスだけではない。伯爵家も終わりだ。


「この時間、ほとんどの生徒が帰路に付き、この場所には誰も来ないと王女殿下に教えて頂いてね」

「そ、そうでしたか。私は初めて来たものですから……」

「じゃあ、仲間だ。オレも初めて来たから」

「お邪魔をしてしまい」

「いいよいいよ。でも、今見たことは秘密にしてね」


 どこか圧のある笑顔に、アイリスは唾を呑む。「も、勿論でございます」と首を上下に振った。


「こういった芸術は、鑑賞するものという固定観念が凄まじくてね。父、国王陛下に露見するとことなんだ」


 シャルルは寂しそうな視線をハープに遣る。あれ程までに素晴らしい歌声であったのに。勿体無いとアイリスは思ってしまった。


「まぁ、色々と事情があってね。兎に角、秘密にして欲しい。あと、ちょっとした息抜きなだけだったから、本当に気にしなくていいよ」

「畏まりました」

「キミはどうしてここに?」

「え?」


 何てことのない普通の疑問だ。しかし、先程まで考えていた不穏な考えを口に出すわけにもいかずに、アイリスは「その……」と口ごもってしまう。

 まずい。早く答えなければ。そう思えば思うほど、いつも向けられている失望の眼差しを思い出し、アイリスの頭は真っ白になっていく。


「あ~……。いや、泣いていたようだから」


 シャルルが気まずそうに自身の目の下を指差す。それにアイリスは、目を擦ってしまったために赤くなっているのだと理解した。


「お、お見苦しいものをお見せしました」

「そんなことは……。あっ、そうか。そういえば、スタジッグ伯爵令嬢には婚約者がいらっしゃいましたね。余計なお世話だったようだ」


 シャルルが眉尻を下げる。“婚約者”という言葉に、アイリスの胸が痛みを訴えた。


「あちゃー……。思わず引き留めたけど、オレと二人っきりは良くなかったね」

「……いいえ」

「でも」

「婚約は白紙になりましたから……」


 シャルルはキョトンと目を瞬くと、次いでばつが悪そうに視線を明後日の方向へと向ける。きゅっと口を噤んだ。


「申し訳ありません。私事で空気を悪くしてしまうなど」

「これは確実にオレが悪いです。配慮に欠けてたよ」

「お気になさらないで下さい。流石に無理がありますから」

「というと?」

「私も先ほど知ったことですので」

「あ~……なるほど」


 アイリスの涙の原因と繋がったのか、シャルルは何とも言えない顔になる。何事かを考えるような間のあと、シャルルの指がハープの弦を弾いた。


「よければ一曲、如何ですか?」

「え?」

「これも精霊が結んだ縁ですから」

「精霊が、ですか?」

「あれ? この国ではそう言わないのかな。ポプラルースでは、こういった不思議な縁は精霊が運んで来るといわれてるんだよ」

「……この国にも精霊はまだ住んでいるのですか」

「もちろん。さっきも歌っていたら精霊達が集まってきてね。キミも見たでしょう?」

「あれは、精霊魔法では」

「ないない。遊んでただけ、あぁ、いや、心を通わせてたんだよ」


 シャルルがハープの鳴らすと、答えるようにアイリスの頬を風が撫でた。池に近付くにつれて空気が澄んでいくような感覚がしていたが、あれは気のせいではなく精霊達が集まっていたからなのだろうか。


「精霊とは、どのような姿をしているのですか?」

「ん~? 姿っていうのか、丸い光の粒に見えてるかな~。力を貸してくれる時はキラキラ~って。煌めいて綺麗だよ」

「素敵ですね」


 勉学しかなったアイリスには、学ぶという行為が生の全てで。いつしか、学びが最優先事項となってしまっていた。


「では、心を通わせるというのは」

「まぁまぁ、好奇心旺盛なのは良いことだよ。でも、歌は? もしかして、これは遠回しに遠慮されてたりする?」

「も、申し訳ございません! そのようなことは! あぁ、でも、私なんかに」

「誰にも聞いて貰えない方が、勿体無いとは思わない?」


 シャルルの言葉に、アイリスは言葉を詰まらせる。同意を求めるように「ね?」と問われて、アイリスは頷くしかなかった。


「では、『とある探検家の備忘録』『絵描きの幸福』『小人の恩返し』……。明るく楽しい曲調のものなんだけど、元気になるかな~。普段、好き勝手に歌ってるから」

「えっと……」

「気になるものを好きに選んでね」

「では、『絵描きの幸福』を」

「ん、分かった」


 シャルルがハープを奏で始める。言葉の通りに、明るく楽しい音色であった。


「『これは、オレが城の使用人から聞いたお伽噺。とある街の片隅に絵描きの男がおりました。その男が描くのは、いつも美しい花々。しかし、手に取ってくれる者はなかなか現れず……』」


 語りから始まったそれに、アイリスは一瞬で引き込まれる。穏やかでゆったりとした聞き取りやすい声が、物語の世界へとアイリスを誘った。


「《花咲く街は鮮やか 絵筆を走らす僕は透明 誰か見つけて 今日も終わらぬ隠れん坊》」


 絵描きの苦悩から始まった歌は、呪いにより近くの花々が枯れてしまうようになったと嘆く魔女との出会いによって変わっていく。絵描きの花の絵に救われた魔女に、絵描きも救われ。二人の幸福の中、歌は終わりを迎えた。


「『これにて、終幕。めでたしめでたし』」


 ハープの音色が止む。アイリスは余韻に浸りながら、シャルルに拍手を送った。


「素晴らしかったです」

「何だか照れるな~。でも、少しでも元気になってくれたみたいで良かったよ」

「はい。お礼申し上げます。光栄でございました」

「大袈裟な気もするけど……。どういたしまして。オレも楽しかったよ」


 こちらの気も抜けるようなへにゃりとした笑みを浮かべた桃色の瞳に、アイリスは目をパチクリと瞬く。アイリスの様子に、シャルルは不思議そうに小首を傾げたのだった。

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