18.幸せにね
そもそもとして、オリヴィアはジェイデンのことを愛しているのではないのだろうか。だからこそ、姉である自分から無理やりにでも奪ったのだとアイリスは思っていたのに。
癇癪を起こした幼子のように、オリヴィアはボロボロと涙をこぼす。先程までとは違って、本気で泣いているらしかった。
「酷い酷い酷い!! なんでよ!! なんでお姉様の味方するの!? わたしの方が可愛いのに!! 大事にしてよ!!」
「何でって……。アイリス嬢の方がキミよりも大事だからだよ。オレにとってはね」
「う~~~っっ!! お姉様はわたしに酷いことするのよ!? 最低な人なの!!」
「勿論、彼女が間違ったことをしているのならば、窘めることはするよ。ただし、それが本当のことであった場合だけね」
自分の主張が容易に通らないことに、オリヴィアは苛立ちを隠しもせずに唸る。いつもならば、疑いもされずに信じて貰えるのだから。
「オリヴィア……」
「何よ!?」
「君は、俺を、好いてくれていたのではないのか?」
ジェイデンが呆然とした様子で、オリヴィアにそう問い掛けた。どうやらジェイデンの方は、本気でオリヴィアを愛しているらしい。
「……じゃあ、何とかして? ジェイデン様がシャルル様より凄いなら、ジェイデン様の方が好きよ」
オリヴィアが小首を傾げながら可愛らしく笑む。長い睫毛が涙で濡れて、キラキラと煌めいて見えた。
しかし、発言の内容は全く可愛らしくはなかった。至極当然のことであるかのように紡がれたそれは、暗に貴方の地位が好きだと言っていた。
ジェイデンは遂に言葉をなくし、黙り込んでしまう。今にも膝から崩れ落ちてしまいそうであった。
「いっそ清々しさすらあるな~」
シャルルが呆れたように、そう溢す。思わず言葉にしてしまったというような小声であったため、隣にいたアイリス以外には聞こえなかったようだ。
「す、スタジッグ伯爵家の娘をご所望なのでしたら、オリヴィアでもよろしいではありませんか!!」
「やめないか!! 何を言い出すんだ!?」
「あなたは黙っていて頂戴! オリヴィアでないと!! 幸せになるのはオリヴィアなのよ!!」
ただならない様相で、母がヒステリックにそう叫ぶ。今にもアイリスに飛び掛かりそうな雰囲気に、シャルルはアイリスの前に出ると腕でアイリスを隠すように守ってくれた。
見上げたシャルルの横顔は、腑に落ちないといった風で。しかしそれは、アイリスも同じであった。母がオリヴィアを一等大切にしていたのは、確かであるが……。
不意に何処からか風が吹いてくる。風はシャルルの周りを漂い、直ぐに止んだ。アイリスが不思議そうに目を瞬いていると、シャルルがついと顔を動かす。
思わず釣られてその先をアイリスは追った。シャルルが顔を向けたのは、アベラールかソフィアか。瞬間、ニッコリと意地悪に笑んだのはソフィアであった。
「あぁ、なるほど。そういう……」
合点がいったように、シャルルが一つ頷く。先程の風は、ソフィアの魔法であったのだろうか。あとで聞いたら教えてくださるかなと、場にそぐわない好奇心が頭をもたげた。
「スタジッグ伯爵夫人」
どこまでも穏やかな声音であった。それに、母が顔を上げる。シャルルはその顔に憐憫を滲ませた。
「妹君は、貴女とは別の人間ですよ」
「……っ!!」
「妹君を使って、貴女の人生をやり直すのはやめた方がいい」
シャルルに言われたことが図星であったらしい。母は言葉に詰まり奥歯を噛む。
それに動揺したのは、アイリスだけではなかった。「え? なに? どういうことなの?」と、オリヴィアが呆然としたような声を出す。
「ねぇ? ……ねぇって! お母様!!」
「うるさい!!」
声を荒げた母に、オリヴィアは怯えたように肩を揺らした。
「私だって……。いいえ、私の方が! 侯爵様に相応しかったのに!!」
母は我慢できないといった様子で、その場に泣き崩れた。急に出てきた侯爵は、母の姉の嫁ぎ先で間違いはなさそうだ。それに愕然としたのは、母と相思相愛であると思っていた父であった。
「侯爵様を誰よりもお慕いしていたのは私よ! それなのに、お姉様が全てを奪っていった!! いつまで経っても私の方が幸せになれない!!」
「幼い頃から今の侯爵夫人との婚約は結ばれていたと聞きましたが?」
「姉のそれは、政略ですもの! 私のは真実の愛でしてよ!?」
「待て……。待ってくれ。お前は、何を言っている? 私を愛していると言っただろう?」
父が困惑を露に、珍しく声を震わせる。そんな父を見て、母は狂気的な笑みを浮かべた。
「貴方が一番、私を愛してくれたからよ。お姉様に愛されている姿を見せ付けたかった。でも、でも! お姉様も侯爵様に愛されていた。一緒じゃ意味ないの。惨めだったわぁ……」
「お、まえ……」
「お姉様は男児も産んで、私は役立たずだと罵られて。でも、私にはオリヴィアがいてくれた。お姉様の娘よりも必ず幸せにするのよ。でも、アイリスじゃダメなの。意味ない。オリヴィアじゃないと。“妹”のオリヴィアが幸せにならないと!!」
「もう! もう、やめなさい……」
「あ、ははっ、あははっ! 貴方に私を非難する資格があって? 私によく似たオリヴィアをあなたも一等愛したじゃない。貴方に似たアイリスを蔑ろにして。同罪でしょう? 違う?」
母の言葉に、父は完全に沈黙した。両親の真実に、アイリスは衝撃を受けて口元を手で覆う。自分が愛されないのは、ずっと自分が悪いからだと思っていた。でも、実際は違うのかもしれない。
「気持ち悪い……」
それは、オリヴィアの声であった。しかし、いつものような鼻にかかった甘たれた声音ではなかった。嫌悪感が滲んだそれに、父だけは目を丸める。
「わたしは二人のお人形じゃない!! 信じられない!! 嘘よ! うそ、よ……」
「オリヴィア……。あぁ、私の可愛いオリヴィア」
母は陶酔したように、目をうっとりと細めるばかりであった。
「さて、スタジッグ伯爵。この騒ぎ、どう責任を取られるおつもりかな?」
「……申し訳、ございませんでした。如何様な罰もお受けいたします」
「それはよい心掛けだ。では、アイリス嬢に金輪際、関わらないで頂きたい。誓約書に署名して下さるなら、妹君の無礼は水に流して差し上げよう。どうされますか?」
それは、父の求めていた恩恵が一切手に入らないことを示していた。しかし、ここで頷かないなどという選択肢は、父に用意されていないのだろう。父は「仰せの通りに致します」と頭を垂れたのだった。
「では後日、使いの者を送りますよ」
「承知いたしました」
「なに? どういうこと?」
ただ一人、意味が分からないと言いたげにオリヴィアが口を挟む。もはや、父もジェイデンも咎める気力はないようであった。
「もう二度と、キミ達はアイリス嬢に近寄れないということだよ」
「なんで? 何でそんな酷いことするの!?」
「キミ達が先に、彼女に酷いことをしたからだ」
「お姉様!!」
オリヴィアがアイリスに縋るような視線を向けてくる。オリヴィアは自分のことが嫌いなのだとアイリスは思っていたのだが、違うのだろうか。
それとも、ただ単純に見下す相手がいなくなるのが嫌なだけか。玩具を取られるのが気に食わないだけか。
「幸せにね、オリヴィア。さようなら」
オリヴィアが何か喚いているが、もはやアイリスには何も響かなかった。視線を感じて、顔をそちらへと向ける。悲痛な顔をしたジェイデンと目が合った。
「アイリス……」
「『スタジッグ伯爵令嬢』そうお呼びくださいませ、リファソースト様。貴方の婚約者は、オリヴィアではありませんか」
真っ直ぐと揺るがない瞳を向けられて、ジェイデンは傷付いたように顔を逸らす。その様子に何と勝手な人なのだろうかと、アイリスに怒りの感情が湧き上がった。
「“アイリス嬢から妹君に婚約者を変えたジェイデン卿”と“ジェイデン卿からオレに婚約者を変えようとした妹君”、とてもお似合いだよ。どうぞお幸せに」
シャルルが心から祝福しているような声音を出した。表情からも悪意などは感じられなくて、しかしその皮肉たっぷりな言葉に周りの貴族達はオリヴィアとジェイデンに失笑を向ける。
「これで我々は失礼するよ。忙しいものでね」
シャルルは視線をアイリスへと移すと、にこりと微笑む。その笑顔に少しの疲れが滲んで見えて、アイリスの胸中は一瞬でシャルルへの心配に塗り変わる。
「行こうか、アイリス嬢」
「はい」
その心配する気持ちが顔に出てしまったらしい。シャルルは目を瞬くと、照れたようにへにゃりと笑んだのだった。




