17.オリヴィア、無礼ですよ
会場内が俄に騒がしくなる。シャルルはオリヴィアを冷めた目で見下ろしていたかと思えば、次の瞬間にはその顔に完璧な微笑みを浮かべていた。
「何があったのかは知らないけど、ひとまず離れてくれるかな?」
「そんなことおっしゃられないで」
「妄りに異性に触れるものではないよ。とりわけ、婚約者がいる者はね。淑女教育で習わなかったのかな?」
幼子に言い聞かせるようなシャルルの声音に、周囲の令嬢達はオリヴィアに嘲るような笑みを向ける。それが耳に入ったのだろう。オリヴィアは怒りか羞恥か、顔を赤らめてすごすごとシャルルから離れた。
「何をしているの?」
「え?」
「シャルル王子の隣には、貴女が立つのよ」
ソフィアの手が、アイリスの背中に優しく添えられる。何の心配もしていない。自信に溢れた微笑みを向けられて、アイリスは応えるように頷いた。
覚悟を決めて、足を踏み出す。その一歩に込められていた決意は、アイリス以外が知る由もなかった。ただ、シャルルの隣に並んだアイリスが堂々としていたことだけは確かである。
「オリヴィア、無礼ですよ」
「お、お姉様……」
オリヴィアはアイリスを見て、あからさまに怯えて体を震わせる。態とらしいそれに、アイリスは溜息を吐き出した。
「ごめんなさい。でもぉ、わたし……。シャルル様に黙ってるなんて、出来ないの!」
まるで悲劇のヒロインのようにオリヴィアは大仰にそう言うと、大粒の涙を瞳から流しだす。痛々しいその姿は、男性陣の庇護欲を擽ったようだ。同情的な視線が増える。
「いいよ、話は聞いてあげよう。ただし、名を軽々しく呼ぶのは止めてくれるかな? キミにそれを許した覚えはないからね」
「あっ、申し訳ありません。思わず……。呼んではいけませんでしたか?」
「オレの話は聞いていた? 呼ぶなと言ったよ」
もじもじと上目遣いに見上げてくるオリヴィアをシャルルは一蹴する。それに、一変して会場にはピリッとした緊張感が駆け抜けた。許可なく呼んでいたのか、と。
「も、申し訳ありません!!」
人垣をかき分けて飛び出してきたのは、アイリスとオリヴィアの両親であった。父は直ぐ様頭を下げると、オリヴィアを睨み付ける。
「何を考えているのだ、お前は!!」
「だ、だって!! お姉様が悪いのよ!!」
「あなた! 王子殿下だって、お話を聞いてくださると言っていたじゃない。何か理由があるのよ。ねぇ? オリヴィア」
「そうなのぉ。シャルル様、あっ、殿下にお伝えしなくちゃなの」
シャルルの名を間違えて呼んだ風で、頬を赤らめる。オリヴィアはジェイデンにも同じようにしたのだろうか。確かに、恥じらう乙女の演出がとても上手かった。
「よろしいのですか?」
「構いませんよ、伯爵」
「恐れ入ります。オリヴィア」
「はい。実は……。お姉様が『こんな安物いらない』と、殿下が贈ってくださったジュエリーをわたしに投げ付けてきたんですぅ」
「へぇ、それで?」
「え? えっとぉ、『醜いお前にお似合いよ』ってぇ。酷いことを言われてぇ……」
しくしくと泣くオリヴィアを飾る宝飾品は、間違いなくシャルルから贈られたもので。まさか本当に身に付けているとは思わなかった。
アイリスはシャルルにどうお詫びすればいいのかと頭を痛める。しかしふと、“キミは堂々としていてね。何も悪くないんだから”というシャルルの言葉を思い出し、俯きそうになった顔を上げた。
「仮にだよ。それが本当だったとしよう。よく考えて欲しいんだけど、姉に贈られた物だと知りながら、身に付けてきたキミもどうなんだろう」
「……えっ」
「スタジッグ伯爵家は、妹君に随分と変わった教育をされていらっしゃるようだ」
善意であると主張するかのようなシャルルの態度に、父は何も言い返せずに顔を羞恥で歪める。オリヴィアの表情に、段々と焦りの色が見え始めた。
「今日! 身に付ける予定だったジュエリーをお姉様が隠したんです!!」
「だから仕方がなくそれを身に付けてきた、と?」
「い、いえ、仕方がないなどとは……」
オリヴィアの言葉が、もごもごと尻窄みに消えていく。居心地が悪そうに、オリヴィアは自身を両手で抱き締めた。
「そうだな……。“全て作り話だった。そのような事実はない”そう認めるなら、このパーティーでのことは不問に付そう。どうする?」
シャルルの言葉に、父は表情を明るくさせる。王族の恩情にすがろうとしたのだろう。しかし、父が口を開くより先に、オリヴィアが叫ぶように声を上げた。
「嘘じゃないもん!! どうして信じてくれないの!? 全部全部全部!! お姉様が悪いで済む話でしょう!?」
オリヴィアの荒い呼吸音が聞こえてくるくらいに、会場中が静まり返る。オリヴィアは、最後の情けを蹴ったのだ。もはや、何の言い訳も通らない。
「それが、キミの答えか。よく分かったよ。キミがオレを侮っているということが」
「お待ちください、王子殿下!!」
尚も食い下がった父をシャルルは圧のある微笑みで制する。発言が許されなかった父は、ぐっと言葉を詰まらせた。
「何故、信じないのかと聞いたね。簡単な話だろう。キミの今までの発言が全て事実ではないという証言を得ているからだよ」
「う、嘘よ。そんなの誰が……」
「スタジッグ伯爵家の使用人に決まっているだろう。証言してくれた四人が四人共に同じような事を言っている。信じるに足る証言であるとオレは判断したまでだよ」
「なんで……」
「アイリス嬢を助けたくとも、解雇されるのが怖くて何も出来なかった使用人達がいた。それだけの話だよ。皆が皆、キミの絶対的な味方ではないのだから」
シャルルの言葉に、オリヴィアが本気でショックを受けたような顔をする。オリヴィアは、伯爵家の中心にいたのだ。全てを思い通りに過ごしてきたオリヴィアにとって、その事実は呑み込みがたいことなのであろう。
「キミからは何かあるかな、ジェイデン卿。キミはオリヴィア嬢の婚約者だからね。何かあるなら、聞こう」
シャルルの視線の先には、顔色を悪くして立ち竦むジェイデンの姿があった。それはそうだろう。ジェイデンは、オリヴィアの言うことを全て鵜呑みにして婚約者を変えたのだから。
名指しされたジェイデンは、ふらふらと覚束ない足取りでオリヴィアの隣に並ぶ。ここでシャルルの発言を覆せなければ、ジェイデンの立場はかなり危うくなるだろう。
「それ、は……。本当に確かな情報なのですか」
「勿論だよ。接触は優秀な者に任せたからね。オレの名を出して、無理やり証言させた訳でもない。まぁ、証言してくれた者には名乗り、心ばかりの礼は贈ったけどね」
そこで、アイリスの脳裏にメイド達が持っていたあの封筒が浮かぶ。やはり、然る方とはシャルルのことであったらしい。あれは、証言の礼であったのかとアイリスはやっと合点がいった。
「あぁ、そうだ。妹君が身に付けている宝飾品だけど、メイドが盗んだということは既に分かっている。それをどうして妹君が持っているのかについて、何か申し開きはあるかな?」
「オリヴィア、君は、何をして……」
「だって……。だって、だって!! ジェイデン様よりもシャルル様の方が凄いんでしょう!? お姉様には勿体ないわよ! わたしの方が相応しいって、お母様だって言ってたもん!!」
つまりは、ジェイデンを捨てて、シャルルを手に入れようとしていたと。そういうことのようだ。我が妹ながら、何を考えているのか。アイリスには、一生理解できそうにもなかった。




