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14.止めてきなさい

 伯爵家には、何やら不穏な空気が漂っていた。舞踏会前日、執事が一名、庭師が一名、辞めていったのだ。しかも、紹介状も何もいらないから、辞めさせてくれと言ってきたらしい。

 執事は酷く優秀な者だったそうで、次期執事長にと考えていたとか。使用人達が囁きあっている噂を耳にしただけのアイリスには、それが真実なのかどうかは分からなかったが。


「素敵でございます、お嬢様」


 メイドが思わずといった風に、感嘆の息を吐く。今日は舞踏会当日。どれだけ邸の雰囲気がおかしかろうが、支度は完璧に整えなくてはならないのだ。


「大変でございます!!」


 滞りなく進められていたというのに。慌ててアイリスの部屋へと飛び込んできたメイドによって、状況は一変した。


「どうしたの?」

「お嬢様、ほ、宝飾品が……」

「え?」

「申し訳ございません!!」


 メイドは顔色を悪くして謝るばかりで。埒が明かないと判断した他の者が、状況の確認へと走り出す。俄に騒がしくなった周囲に、アイリスは不安に襲われた。

 しかし、部屋へと飛び込んできたメイドが震えていることに気付き、アイリスはしっかりすると決めた筈だと一度深呼吸をする。メイドに近付き「大丈夫?」と、優しく声を掛けた。


「あっ……」

「落ち着いて」

「お嬢様、も、申し訳ございません」

「王子殿下から戴いた宝飾品が一つもございません!!」

「申し訳ございませんでした!! 管理をお任せいただいたというのに!」


 深々と頭を下げたメイドに、アイリスは何も返せなかった。宝飾品が一つもないという状況に、理解が追い付かなかったのだ。

 この日のために贈られた物だ。それを身に付けていかないなど、何と言い訳をしようとも許して貰えないかもしれない。アイリスは足元がぐらぐらと揺れているような感覚と息苦しさを感じた。


「貴女が盗んだのではないの?」

「……え?」

「そうよ。管理をしていたのは、貴女でしょ」

「ち、違います! 私は決して、そのようなことはしておりません!!」


 メイド達が犯人捜しを始めてしまい、槍玉に挙げられた者が必死に否定するも相手にされず。どんどんと追い詰められ、遂には泣き出してしまった。

 それに、アイリスは急激に冷静になっていく。この泣き顔をアイリスはよく知っていた。オリヴィアと同じ、嘘泣きのそれ。


「貴女は、オリヴィアのお気に入りかしら。それとも、脅されたのかしら」

「えっ、その……」

「まさかとは思うけれど、オリヴィアはそれを身に付けていくつもりなの?」

「わ、私は何も知りません!!」

「止めてきなさい。今すぐに。誰でもいいから」

「オリヴィアお嬢様なら、既に出発されてしまいました」


 アイリスは信じられないと、深く息を吐き出した。せめて、隠すなどの嫌がらせであって欲しい。もしオリヴィアが身に付けているのをシャルルに見られでもしたら、申し開きのしようもないのだから。


「もう、いいわ。貴女がやったという証拠も時間もないの」

「お嬢様、他の宝飾品をお持ちしますか?」

「そうね……」


 何も付けていかないよりは余程いいかと思いかけて、アイリスはふとシャルルの言葉を思い出す。“他の男が買った宝飾品をオレの隣で身に付けるの?”そう、確かに言っていた。


「いいえ、やめましょう」

「ですが」

「いいの。何も付けていかない方が、きっとね」


 少し自信なさげにそれでも微笑んだアイリスに、メイド達は言葉を呑み込む。ただ、「畏まりました」と主人の意向に従った。


「王子殿下がご到着されました」

「そう。わかったわ」


 アイリスは緊張を滲ませ、深く息を吐く。覚悟を決めたように、前を見据えた。


 シャルルは邸の外でアイリスを待っていた。ぼんやりと空を見上げていたシャルルは、アイリスに気付き緩慢な動きで顔の向きを変える。目が合うと、シャルルは眩しそうに瞳を細めた。


「こんばんは、スタジッグ伯爵令嬢」

「ご機嫌麗しゅうございます」


 宝飾品を何も身に付けていないアイリスに、シャルルが驚くことはなかった。まるで、最初から知っていたかのように。


「じゃあ、行こうか」

「……はい」


 穏やかに笑んだシャルルに、怒っている訳ではなさそうだとアイリスは判断した。ひとまずは、ほっと肩の力を抜く。

 そのまま車に乗るのかと思っていたのだが、ふとシャルルは何かを思い出したようについと視線を動かした。見送りに来ていた使用人達に向かって、「あぁ、そうだ。一つだけ」と話し始める。


「主人のものを盗むような使用人は、警察に付き出した方がいいよ」


 何故そのことを知っているのか。使用人達の間に、ピリッとした緊張感が走る。アイリスは精霊が教えたのだろうと直ぐに思ったが、使用人達にはシャルルが異様に映ったようだ。


「いや、そうか。キミ達に言っても仕方がないね。伯爵に言うとしよう。そのような使用人を雇っていては、品位に関わると」


 態々いま口に出した理由など、一目瞭然だろう。救いは期待しない方がいい。逃げるなら今の内だよ。

 先程のメイドはシャルルと目が合って、その場に崩れ落ちた。それはそうだろう。逃げたとして、その先は? 逃亡生活など、耐えられる筈もない。


「わ、私は、だって、お嬢様が」


 縋るように伸ばされたメイドの手に、シャルルは微笑みを返しただけであった。距離的にも届く筈もなく、その手は虚しく空を切る。やはり、あのメイドが犯人であったようだ。


「キミ達も」


 メイドに向けられていた使用人達の視線をシャルルに引き戻すような。そんな声音だった。


「仕える主人は選んだ方がいい」


 シャルルは最後に使用人達を一瞥すると、打って変わって優しい眼差しをアイリスへと向ける。差し出された手を取って、アイリスは車に乗り込んだのだった。

 重苦しい雰囲気の使用人達を置き去りに、車は発進する。アイリスは、いつの間にか詰めていたらしい息を吐き出した。


「大変だったね」

「あっ……。その、申し訳ありません」

「スタジッグ伯爵令嬢が謝ることなんて、一つもないよ」


 シャルルの気遣いをアイリスは受け取ることにして、「はい」と頷く。それにシャルルは、へにゃりと満足そうに笑んだ。


「今日も、とても素敵だね」

「ありがとうございます」


 気恥ずかしくて、アイリスは目を伏せる。しかし、やはり宝飾品のことが気掛かりで、思わずネックレスが飾る筈であった首元に触れてしまった。


「風の精霊がね。大慌てで教えに来てくれて」

「そうでしたか」

「お陰で、代わりのものを持ってこれたよ」

「……え?」


 シャルルが黒のケースを開くと、美しく輝くネックレスが姿を現す。それは、ピンクダイヤモンドがあしらわれたプラチナのネックレスだった。


「これ、は……」

「欲しいのかなぁと思って、買っておいたんだよ」

「ええと、なぜ欲しいと」

「え? それは、ずっと見てたから」


 アイリスはそんなに分かりやすかったのかと、羞恥で頬を真っ赤に染め上げる。あの日、目を奪われたのは確かだ。だって、シャルルの瞳の色だったから。


「お、恐れ多い」

「本心は?」

「うぅ……。たいへん嬉しく存じます」

「それなら、よかった。会場で頼んで付けて貰おうか」

「はい」


 こんなの浮かれるなという方が無理な話で。シャルルの気持ちが嬉しくて、アイリスはだらしなく頬が緩まぬよう耐えるのに必死であった。

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