13.ごめんなさい
美しい輝きを放つアクアマリンの宝石が使われた宝飾品の数々を前に、アイリスは眩しそうに目を細めた。ネックレスにイヤリング、そして髪飾り。全てシャルルが贈ってくれたものだ。
「……うれしい」
恐れ多い気持ちも勿論あるが、それよりも嬉しさの方が勝っていた。頬が緩むのを抑えられない。アイリスは一生の宝物にしようと、自室で宝飾品を幸せそうに眺めていた。
「アイリス!!」
その幸せな気持ちを壊すようにして、部屋の扉が乱暴に開かれる。驚いて視線を遣ると、そこには眉を吊り上げた母親が立っていた。
「お母様……」
酷く怒った様子で母は、アイリスの部屋へと入ってくる。その後ろに涙目のオリヴィアの姿を見つけて、アイリスはまたかと目を伏せた。
「オリヴィアに宝飾品を見せ付けて、意地悪を言ったそうね!!」
「そのような事はしておりません」
「お姉様ひどいわ!」
「その宝飾品をオリヴィアにあげなさい」
「え? ですが!」
「お姉様は、ドレスも戴いたのでしょう? ずるいわ!!」
母もオリヴィアも何を言っているのだろうか。この宝飾品は、ただの贈り物ではない。今度の舞踏会用に贈られものなのだから、本番で身に付けなければ意味がないのだ。他のものを身に付けるなどあってはならないこと。無礼にも程がある。
「貴女もジェイデン様から戴いたのではないの?」
「ジェイデン様は、ドレスしかくださらなかったの!! そんな素敵なジュエリー、お姉様だけずるい……」
遂に、オリヴィアがポロポロと泣き出した。そんなオリヴィアに対して、母は可哀想と慰めの言葉を繰り返す。
アイリスは流石に無茶苦茶過ぎると、眉根を寄せた。今までも贈り物である宝飾品を取り上げられたことは幾度となくある。しかし、パーティーで身に付けるものなどはなかったことだ。
あったとしてもパーティーが終わった後などで、必要最低限の礼儀は通していた筈なのに。オリヴィアは兎に角として、母はどうしてしまったというのか。
「貴女が頼めば、お父様は何でも買ってくださるでしょう?」
「それじゃあ、意味ないのぉ!」
「何を言って」
オリヴィアの言葉の意味が理解出来ずに、アイリスは怪訝そうな顔をする。
「どうして?」
不意に、母がそう溢した。心の底から分からないと言いたげな声音だった。母は忌々しそうにアイリスを見ながら、綺麗に整えられた爪を歯で噛む。
「どうして、貴女なのよ。オリヴィアの方が、こんなにも可愛いのに。私の宝物なのに……」
「お母様?」
「貴女ごときが!! 調子に乗って口答えしないでちょうだい!!」
何故か追い詰められたように激昂した母が、右手を振り上げた。頬をはたかれるのは不味いと、アイリスは咄嗟に顔を腕で守る。
しかし、それがアイリスに振り下ろされることはなかった。「何をしている!!」と、父が部屋へと入ってきたからだ。
「あ、あなた……」
「我が伯爵家に泥を塗るつもりか!!」
「違うの。違うのよ。ただ」
「言い訳は結構だ! オリヴィア、お前も何をしている?」
「わたしは、お姉様が意地悪するからぁ」
「王子殿下から舞踏会で身に付けるようにと贈られた宝飾品を奪おうとしたと?」
「それは、だってぇ……!」
父は珍しく母とオリヴィアに対して、深々とした溜息を吐く。それに、怒られ慣れていない母が不安そうに自信の左腕を右手でさすった。
「オリヴィア、私は確認した筈だ。公爵家との婚約がどういう意味を持つのかを」
「えっと……?」
「お前の一挙手一投足が公爵家の、延いては伯爵家の格に繋がる。貶めるようなことはするな」
「大丈夫だもん!」
「そうだ。お前はそう言った。ならば、もっと自覚を持ちなさい!!」
父の怒声に、オリヴィアは怯えたように肩を跳ねさせる。父は額を押さえると、軽く首を左右に振った。
「あぁ、オリヴィア。お前は賢い子だろう。分かるね?」
「……はい、お父様」
オリヴィアは悔しそうに唇を噛むと、アイリスを鋭く睨む。まだ諦めていなさそうにアイリスには見えた。
「アイリス、オリヴィアに意地悪をするのは止めなさい」
「……はい」
「まったく……。オリヴィア、宝飾品ならば私が買ってあげよう。だから、泣かなくてもいい」
「はぁい……」
いつもの様子に戻った父に、母もオリヴィアもほっと肩の力を抜いたようだった。三人で仲良く連れだって部屋を出ていく。扉が閉まって、アイリスは深く息を吐き出した。
「意地悪なんて、したことないのに」
「お嬢様」
部屋にまだ人がいるとは思っていなかったアイリスは、驚いて肩を跳ねさせる。そこには、使用人が一人、立っていた。
「ど、どうしたの?」
「何かお飲み物でもお持ちいたしましょうか?」
「え? あぁ、ええと、そうね。温かい紅茶が飲みたいわ」
「畏まりました」
使用人は恭しく辞儀をすると、部屋から出ていく。アイリスは何事が起きたのかと目を瞬いた。いつもなら、このようなやり取りなどないのに。
そもそも父をこの部屋に連れてきたのは、誰なのだろうか。そうだ。三人が部屋を出ていった時に、扉を開けていた使用人がいた。彼か、それとも先程の彼女か。
「急にどうしたのかしら?」
分からないが、優しくしてくれるのならその方がいい。まるで昔に戻ったようで、アイリスは心がじんわりと温かくなった。
その日を境にメイドが二名、親切にしてくれるようになった。花瓶に生けられた庭師がくれたという花を眺めながら、アイリスは頬を緩める。
しかし、半月もしない内に二名のメイドに暇が出された。そこで初めてアイリスは、使用人達が離れていった一つの可能性に気付く。
どうしてこうも当たり前のことに思い至らなかったのか。両親はいつでも使用人を辞めさせられるということに。二名のメイドは自分のせいで、暇を出されたことは明白であった。
不憫に思ったのだろう。使用人が責めるような声音で、今日出ていくことをアイリスに教えてくれたのだ。アイリスは慌てて、自室を飛び出す。
メイド達は門を出ていった所であった。アイリスが呼び掛けると、メイド達は振り返り立ち止まってくれる。
「お嬢様!?」
「どうされたのですか?」
「ごめんなさい。私、自分のことばかりで」
頭を下げたアイリスを見て、メイド達は焦ったように狼狽した。
「とんでもないことでございます!」
「謝らなければならないのは、我々の方なのです……」
「……?」
不思議そうにしながらも顔を上げたアイリスに、メイド達は申し訳なさそうな顔を向ける。今度はメイド達が深々と頭を下げた。
「自分可愛さに、見て見ぬふりをしていました」
「申し訳ございませんでした」
「お詫びのしようもございません」
「そのようなこと……。貴女達が仕事で手を抜いたことなんてないでしょう? 充分よ」
「ですが……っ!!」
「それにこの数日、とても嬉しかったの。それなのに、守ってあげられなくて……。本当に、ごめんなさい」
不甲斐ない。そのような気持ちになったのは、初めてであった。守ってあげたい。でも、守る術がない。どうすれば良いのかすら分からない。アイリスの視界が涙で滲んでいった。
「お嬢様、泣かないでくださいませ」
「我々は大丈夫なのです」
「それは、どういう……?」
「実は、然る方からお守りを戴いたのです」
「お守り?」
メイド達は顔を見合わせると、こっそりとレター封筒を見せてくれた。それに、アイリスは目を丸める。
「紹介状?」
「と、呼ぶには少々語弊があるかもしれませんが……」
「あっ、お母様が書いたものではないのね?」
「左様でございます」
どうやらこれがあるから、臆せずアイリスの世話を焼いてくれたようだ。もしかすると、雇用してくれる先も確保してあるのかもしれない。
「よかった」
心の底からアイリスは安堵した。それに、メイド達が泣きだしそうな顔になる。再び、二人は深々と頭を下げた。
「臆病な我々をお許しください」
「いいのよ。それはきっと、私も同じだから」
「おじょうさ、ま……」
「どうか、体に気を付けてね」
「は、い……っ!」
メイド達が泣くものだから、アイリスも耐えきれずに涙が溢れだす。たった数日のこと。けれど、アイリスにとっては酷く幸せな時間だったのだ。
もっと、しっかりしなくては。アイリスは去っていく二人の背中を見ながら、そう決意する。それにしても……。二人にお守りをくれた然る方とは、誰の事なのだろうか。
アイリスは浮上した可能性をまさかと、首を左右に振って否定する。そのようなことをして、彼に何のメリットがあるというのか。自国ならまだしも、ここは彼にとっては他国。労力ばかりがかかってしまう。
しかし、だとしたら……。他の可能性が思い浮かばずに、アイリスは困ったように眉尻を下げたのだった。




