11.いってまいります
アイリスは自室で落ち着きなく椅子に腰掛けていた。淑女足るもの優雅に平静を保たなければと分かってはいても、シャルルが迎えに来ると思うとどうにもソワソワとしてしまう。
「淑やかに。指先まで美しく」
ふいに姿見に視線を遣ったアイリスは、見慣れない自身の格好が映って見えて、更に落ち着かない心地になった。
仕立て屋に出掛けるため、流石にそこまで飾り立てられてはいないのだが……。シャルルと行動を共にするのだからと、父が家に商人を呼び寄せ一通り買い揃えたのだ。
ジェイデンとの婚約は、家同士が結んだ政略の絡んだものだ。そのため必要最低限、公爵家の婚約者としてみすぼらしくなければ良いという感じで。ここまで気合いを入れることなどなかったのに。
隣国の王族に気に入られたい。その思惑が透けて見えるようであった。アイリスとて貴族の娘、自身の役割は重々理解している。それに……。
“世界で一番かわいいよ”
シャルルの言葉が脳裏に浮かび、アイリスの顔が一気に赤く色付いた。ほんの少しでもそう思ってくれれば、アイリスはそれだけで幸せだ。
「『幸せになろうとして、何が悪いの』」
あの時はシャルルの登場によって聞くことはなかったが、きっとクロエはそう言おうとしたのだろうとアイリスには簡単に想像がついた。
だって、これは親友の口癖で。幼少期から何度となくアイリスのためにも言ってくれていた言葉なのだから。
父がアイリスを利用するのなら、アイリスとて父を利用しても許されるだろう。不安や罪悪感はある。しかし、このくらい。可愛く着飾ることを受け入れるくらい。
「アイリスお嬢様」
部屋の扉がノックされて、アイリスはハッと我に返る。返事をすると、使用人が扉を開けた。
「王子殿下がご到着されました」
「分かったわ」
逸る気持ちを抑えて、アイリスは深呼吸をする。覚悟を決めて、部屋から足を踏み出した。
シャルルは応接間ではなく、エントランスでアイリスを待っていた。何やら両親とにこやかに会話をしている。
階段から降りるアイリスに気付いて、シャルルが顔を上げた。目が合うと、シャルルはその顔に完璧な微笑みを浮かべる。
「おはよう、スタジッグ伯爵令嬢」
「ご機嫌麗しゅうございます」
学校の制服とは違う。ウエストコートの上にフロックコートを当たり前に着こなすシャルルに、アイリスは思わず見惚れてしまった。
「今日は一段と素敵だね」
そんなアイリスを知ってか知らずか。シャルルがさらりと褒めてくれるものだから、アイリスは心臓が飛び出すかと思った。
「幸甚でございます」
一杯一杯になりながらも、何とかそれだけは返す。今からこれでは、今日一日心臓が持ちそうにもなかった。
「あっ……」
階上から聞こえてきた声に、アイリスは一瞬息が止まった。恐る恐ると顔をそちらへと向ける。そこには、着飾ったオリヴィアが立っていた。
「申し訳ありません。まだいらっしゃるとは思わず……」
白々しくそんな言い訳を溢しながら、オリヴィアがエントランスへと下りてくる。華やかなオリヴィアに、アイリスは居心地悪そうに顔を俯かせた。
「申し訳ありません、王子殿下。この子は妹のオリヴィアでして」
「ご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか?」
「やめないか!」
いつもはそのような事はないのだが、珍しく父が母を制止する。それに、母もオリヴィアもアイリスでさえも驚いた。
「あぁ、構いませんよ」
「恐れ入ります」
「いえ、ただし手短に」
シャルルの“手短に”という言葉に、オリヴィアは衝撃を受けたような顔をする。そのような扱いをされた経験が乏しいオリヴィアは、蔑ろにされたと思ったのだろう。
シャルルの視線がオリヴィアへと向く。母に促されて、オリヴィアは一歩前へと進み出た。
「お初にお目にかかります。オリヴィア・スタジッグと申します」
「はじめまして。オレは、シャルル・スエ・ポプラルース」
「よろしくお願いいたします」
鼻にかかった甘たれた声を出しながら、オリヴィアが上目遣いにシャルルを見上げる。それに、シャルルはニコッと穏やかな笑みを返した。
「そうだね」
オリヴィアの表情があからさまに明るく嬉しそうなものになる。しかし、「キミはアイリス嬢の妹君だから」とシャルルが続けたことにより、オリヴィアはそのまま固まった。
「あぁ、そうか。ジェイデン卿の婚約者でもあったかな。どうぞ、よろしく」
明確に線を引いたシャルルに、オリヴィアは言葉が出てこずに口をパクパクと開閉する。シャルルは挨拶は終いとばかりに、オリヴィアからアイリスへと視線を移した。
「じゃあ、行こうか」
「は、い……」
シャルルはオリヴィアよりもアイリスを優先してくれた。アイリスに向かって差し出されたシャルルの手に、浮かれる気持ちが抑えられない。迷うことなくその手を取ったアイリスに、シャルルがゆるりと目尻を下げた。
「では、これで」
「失礼いたします」
「いってまいります」
「あぁ、気をつけて」
恭しく頭を下げる使用人達に見送られ、車はスタジッグ伯爵邸を出発する。シャルルは暫くの間、何事かを考えるように懐中時計を手の中で弄んでいた。
アイリスは失礼があっただろうかと考えて、心当たりがありすぎてシャルルから視線を逸らす。やはり現地集合にした方が良かったかもしれないと、申し訳なさに口元を手で隠した。
「あの……」
「ん?」
「申し訳ありませんでした。ご不快な気持ちにさせてしまい」
「……? あ~、なるほど。違うんだ。ちょっと考え事をしてて。これは、オレが悪いね」
「いえ、そのようなこと! 寧ろ、考え事の邪魔をしてしまいましたね」
「いいんだ。もう、答えは出たから」
シャルルは懐中時計に視線を遣り、ゆったりと目を細めた。その微笑みにどこか呆れのようなものが滲んで見えて、アイリスは目を瞬く。
「この懐中時計は、特別製でね。詳細はまたの機会にでも話すとして。ちょっと、確かめたいことがあったんだよ。結果が想定と違っていて、驚いたというのか何というのか……」
「確かめたいこと、ですか?」
「うん、まぁ……。オレは余所者だからね。他国の問題に干渉するつもりはないけど。公爵家の未来が心配だなぁって」
シャルルの声音は、心配というよりも呆れの方が強かった。何を確かめたのかは分からないし、教えてくれそうにもないが……。
オリヴィアを見てそう思ったのならば、“公爵家の未来”とはジェイデンのことを指しているのだろうとアイリスは結論付けた。
「妹が何か……」
「ん~……。そうだなぁ。ひとまず言えることは、罪になるようなことは犯していないってこと」
「罪!?」
「そうそう。でも、だからこそ。あの程度の、あぁ、いや、うん。まだ幼いみたいだから、きっとこれから勉強するのかな~」
アイリスとオリヴィアは二つしか歳が変わらない。シャルルの言う幼いは、貴族家の令嬢にしては内面がということなのだろう。
「お恥ずかしい話です……」
「キミが責任を感じることではないよ。スタジッグ伯爵家は伯爵位の中で上位の家門だ。どこに出しても恥ずかしくない教育を受けさせるのは、親の務めだよ」
「はい」
「まぁ、それを無駄なものにするかどうかは本人次第だけどね。向き不向きもあるから」
自嘲気味に笑ったシャルルに、アイリスは小首を傾げた。アイリスから見て、シャルルはとても優秀な人だ。実際はそのようなことは無かったわけだが、兄と苛烈な王位争いをしていると言われても不自然ではない程に。
しかしシャルルは、“オレには難しい”や“オレには向かない”と態々口に出して言うのだ。まるで、そういう風に見て欲しいとでもいうように。
「ん~、でも……。自分の上手い見せ方は分かってそうだったなぁ」
懐中時計を仕舞いながら、シャルルがポツリとそう呟く。どこまでも興味の無さそうな声音であった。




