01.そんなに、ダメな子?
ただ、愛されたかっただけ。それが、そんなに悪いことなのだろうか。
アイリスはスタジッグ伯爵家の長女として生まれた。両親とは似ても似つかない、隔世遺伝の黒髪と灰色の瞳を持って。
両親は仲睦まじかったため、不貞などを疑う声はなかった。幼い頃は、アイリスとて両親に大切にされていたのだ。
しかしそれは二年後、妹の誕生で急変する。母親譲りの美しい白銀の髪に、父親譲りの緑がかった水色の瞳。誰もが可愛らしいと口を揃えた。
その日から、伯爵家の中心は妹のオリヴィアとなる。両親はオリヴィアに湯水の如くお金を使った。そうなれば、そのしわ寄せはアイリスへといく。我慢の日々であった。
アイリスが物心つく頃には既に、両親の愛は妹にだけ向いていた。そのため、アイリスには大切にされた記憶がなかった。
最初は不憫に思っていた使用人達も、段々とアイリスから離れていってしまった。アイリスに構っても何の見返りもないため、最低限の仕事以外はしたくなくなったらしい。
「貴女って、どうしてそう暗い顔しか出来ないのかしら。本当に、可愛げのない子」
「申し訳ありません、お母様」
母親は顔を合わせる度に、溜息を吐いた。
「お父様、見てください! 家庭教師に褒められました!」
「それが、どうした。私は忙しいんだ。くだらない事に時間を使わせないでくれ」
「……申し訳ありません、お父様」
父親はアイリスの方を一瞥もしなかった。
「あぁ、可愛い。私の宝物よ、オリヴィア」
「オリヴィア、本当に凄いな。天才なんじゃないのか?」
「えへへっ! お父様もお母様も大好き!」
そこに、アイリスの居場所はなかった。
それでも、アイリスは諦められなかった。両親に愛されたい一心で、勉学に励んだ。それしか方法を知らなかった。
いつか。いつかは。そう願った。そして、アイリスが十二歳の時であった。
「お前に縁談が来ている」
「縁談、ですか?」
「そうだ。リファソースト公爵家の嫡男とのな」
それは、アイリスに差した一筋の希望であった。これで、伯爵家の役に立てるのだ。そうすれば両親も愛してくれるかもしれない、と。
「ジェイデン・ティル・リファソーストと申します。どうぞ、よろしく」
「お初にお目にかかります。アイリス・スタジッグと申します。よろしくお願いいたします」
初めて会ったジェイデン・ティル・リファソーストという人は、物腰柔らかな素敵な少年であった。歳は同じ十二で、藍色の髪に金色の瞳をした少年は、アイリスを大切に扱ってくれた。
「お初にお目にかかります。オリヴィア・スタジッグと申します」
ある日、スタジッグ伯爵家で妹と婚約者とが顔を合わせた。これが、地獄の始まりだったのだ。
「アイリス……。君が、そんな人だとは思わなかったよ」
「え? それは、どういう……」
王立学園に入学して二年目。春の始まりを感じる頃だった。
ジェイデンが唐突にそんな事を言い出した。軽蔑するような眼差しに、アイリスの心臓が凍りつく。
「どうして、オリヴィアに酷いことを言うんだい? 実の妹だろう」
「なんの、おはなし」
「オリヴィアがね。泣きながら教えてくれたんだよ。君がオリヴィアに言った暴言の数々を。しかも、オリヴィアの物を取り上げるらしいじゃないか。あまりにも可哀想だ」
震えて上手く言葉が紡げない。それでも、アイリスは必死に無実を訴え首を左右に振った。
寧ろ物を取り上げられていたのは、アイリスの方であった。両親に言われ、ジェイデンに贈られた宝飾品をどれだけオリヴィアに譲ったことか。
「婚約を解消しよう」
「そんな……」
「両親も賛成してくれている。君との婚約を白紙にして、オリヴィアと婚約することに決まった」
そこで、アイリスは理解する。この婚約は、家同士のもの。伯爵家の娘であれば、アイリスでなくても良かったのだと。
この日、アイリスに価値はなくなった。
「私は……」
アイリスはフラフラと何処へ行くでもなく、学園内をさ迷っていた。
「そんなに、ダメな子?」
気付けば、涙が溢れ出していた。
「池……」
そうだ。このまま行けば、池があった筈だ。綺麗な池だと、友達が教えてくれた。まぁ結局、今日まで見には行かずに、ひたすら勉学に励んだ訳だが。
アイリスの頭に不穏な考えが浮かぶ。どうせ、誰からも必要とされていないのだ。自分はきっと、一生愛されることなどない。
このまま生きていても……。苦しいだけ。
「お許しください。どうか、許してください。もう……許して……」
足を進めた先で、不意に誰かの歌声が耳朶に触れた。それに、アイリスは足を止める。
まさか、先客がいるとは。どこまでも運がない。神にまで見放されている。
「ぐすっ、ど、して……」
もう、いい。先客など気にする必要などない。覚悟を決めて、アイリスは再び歩き出した。
どんどんと歌声が明瞭になってくる。しかし、何かがおかしい。歌声と共に美しい楽器の合奏のようなものまで聞こえてくるのだ。いったい何人の生徒が池にいるというのか。
「《あぁ、素晴らしきかな》」
しっかりと耳に届いた歌声は、心地いいものであった。ずっと聞いていたいような。不思議な感覚に陥る。
その歌は、一度王都の広場で見た吟遊詩人が歌っていたそれによく似ていた。その時とは楽器の音色が違う。これは、ハープだろうか。
アイリスは、いつの間にか歌に聞き惚れていた。本来の目的を見失い、歌に導かれるまま歩を進める。どうやらこれは、誰かの英雄譚であるらしい。
どうせならば、最初から聞きたかった。そんな事を思ってしまう程に、その歌声には人を惹き付けるものがあった。
「あっ……」
池の畔へと出たアイリスは、驚きに目を丸める。風が。水が。木が。ハープの音に合わせるように、“歌っていた”。そう表現するしかなかったのだ。
その中心で、小型のハープを演奏しながら一人の少年が楽しげに歌声を響かせていた。柔らかそうな猫っ毛が、風に揺れている。
その髪は輝くような黄金で、瞳は桃色。間違いない。アイリスはこの少年をよく知っていた。隣国、ポプラルース王国の第二王子殿下だ。
ふと、少年の視線がこちらを向く。あっと思った時には、目が合ってしまっていた。少年の歌声が止まり、目が真ん丸に見開かれていく。
「おわ~!?」
「きゃっ!?」
少年の心底驚いたような絶叫が、池の畔に響き渡ったのだった。