第九話 月光と呼ぶには
「あの二人が、雑魚達の頭ってところだな」
雑居ビル壁を縦横無尽に跳ねながら、陽士郎は先ほど〝阿府〟と〝灯地〟と遭遇した場所の方を一切見ることなく逃亡していた。
陽士郎が置き去りにしようとした二人だが、一瞬呆気に取られるも、すぐさま陽士郎の後を追った。
「灯地の! この街の路地は、頭に入っているだろうな!」
「俺っちを舐めるんじゃないっちゃね! 阿府のは、次で右から回り込むっちゃ!」
猟犬である桐から駄犬扱いされるものの、スラム街をまとめ上げる二人である。腕っぷしの強さのみで成り上がれるほど、たとえ小さな地区だったとしても甘くはない。
陽士郎にすぐに追いつけるわけでないが、確実に二人は獲物を追い詰めていくのであった。
そして数十分の鬼ごっこの末、二人は郊外の廃工場へと陽士郎を追い込むことに成功していた。
「やっと逃げなくなっちゃねぇ、正直疲れたっちゃよぉ。それで? 俺っちの子分達からの、連絡が一切なくなっているのは、何故なのかなぁあああああ!!!」
「灯地の、あまり大声をだすな。こう言うのは、静かに凄むのが良いんだ。なぁ、そう思うだろう? そこの震える兎よ、今から全身の皮を剥いでやるから、そこで裸になって土下座でもしながら、己のしたことを悔めぇえええええ!!!!」
灯地を嗜めた阿府もまた、結局激昂しながら陽士郎へと向かって駆け出していた。
さて、ここで二人が疑問に思わなければならなかったのは、何故に陽士郎が先に立ち止まっていたかと言うことであった。
見た目としては、彼ら二人が廃工場へとを兎を狩る猟犬のように追い込んだように見える。勿論、二人はそう思っている。二手に分かれ、陽士郎を上手くこの場所へと誘導したのだと。
例え、事実は異なっていたとしても、今の彼らにとってそれが真実だった。
陽士郎が〝力〟を発揮するには、条件がある。
〝もう一つの心臓〟を喰うこと。
そしてもう一つの方法は、〝陽士郎〟を深く闇に染めるべく絶望を見せつけることである。
だからこそ、陽士郎は全ての悲劇を目にする。
颯爽と誰かの危機に、陽士郎が間に合うことはない。
悲劇が起きた後に、そこに残る絶望を糧に闇を深くするために。
「おい、相棒。今宵は本当に酷い闇夜だったなぁ」
あと数秒ほどで追っ手の二人の凶刃が届くと言うのに、陽士郎はもう一人の自分に語りかけていた。
「家族、恩人に留まらず、この街の弱き者が蹂躙され、そこかしこが血で穢れている。それをお前は、全て目にしたわけだが……どうだったぁ?」
おそらく阿武と灯地からは陽士郎の顔は、廃屋の影のせいで見えなかったはずである。にもかかわらず、陽士郎に向かって駆け出していた二人の足は、一斉に止まることになる。
「阿武の……」
「灯地の……」
見えるはずのない三日月に裂ける口と瞳は、外道の道に落ちた男達にさえ、恐怖を与えた。
「あぁ、やっぱり心地よいなぁ、この闇は……で、そこの木偶の坊は、俺にビビって固まってるようだが、何がしたいんだ?」
「戌型略式〝槍〟!」
「戌型略式〝拳〟!」
陽士郎の挑発に乗ることなく、逆に安い挑発により冷静さを取り戻した二人は、猟犬の傘下に入った際に、頭目として授けられた戌の力を解放した。
阿武は腰の武器ホルダーから携帯槍を取り出し構え、灯地は棘付きメリケンサックを懐から取り出し両手にはめた。
「おぉ、さっきも見たな、ソレ。どんな〝力〟なのかは、後で見てみることにして、先ずは外道の見せてきた絶望を、陽士郎に観せつけてくれよ」
陽士郎は、まるでオーケストラの指揮者のように両腕を大きく広げる。隙だらけの姿勢に、阿武の携帯槍と灯地のメリケンサックが、陽士郎の腹と胸に突き刺さろうという刹那、異様に穏やかな囁きがこだまする。
「〝その光 うつりし影は 全てなり〟」
詠唱が止まると同時に、陽士郎の身体全体から光と認識することすら難しいほどの、激烈な光は周囲に放たれた。
「ぐあ!?」
「これは!?」
そして、静寂という表現が生ぬるい程の無音が訪れた。
「さて、お前達は陽士郎に何をみせてくれるのかな」
陽士郎から放たれた光によって、阿武と灯地の後ろの廃屋の壁には、濃い影が出来上がっており、陽士郎の言葉と共に、その影のがまるで動画を再生する画面のように、次々とナニかを映し出し始めた。
「む、未だ音までは再生出来ないのか。拍子抜けだが……まぁ、映像だけでも今の陽士郎には十分な餌となるだろうさ」
この陽士郎が作り出した光の世界において、意識があるのは術者である陽士郎のみである。しかし、彼もまた身体を動かすことは叶わない。意識だけが、刻が止まりし世界において自由なだけである。
だからこそ、目を閉じることも叶わない。
その悪党二人の悪行が、それぞれの影の中で延々と映し出されるのを、目を背けたりすることも、瞳を閉じることも出来ずに、ただただ見せつけられる。
嗚咽することも、涙することも出来ず、すでに過ぎ去った絶望を魂に刻まれ、救いの手を差し伸べることも許されない。
己の無力さを呪い
目の前の男達への憎悪に狂い
底無しの黒へと沈んでゆく
「あぁ……なんて心地良い黒さだ。やはり俺の直感は、正しかった」
数時間に及ぶ外道二人の過去映像が終わりを迎えるとき、自然と陽士郎から発せられていた光も弱まり、完全に消えた時、再び刻は動き出す。
「くそが! 何なんだってんだ!」
「目潰しとは小賢しいっちゃね!」
一瞬怯んだものの、二人はすぐに臨戦態勢をとり、一息鼻から息を大きく吸い込むと、目が眩んでいるのにも関わらず、陽士郎へと真っ直ぐに向きをとる。
それぞれが発動した戌型の術式により、嗅覚もまた犬並みに能力が上がっていたためだ。
「戌型略式槍術〝咬みつき〟!」
「戌型略式拳術〝お手〟!」
それぞれが得意としている技を繰り出すべく、軸足に力を込めて踏み込もうとした瞬間だった。
「〝満月よ 堕ちる様も 美しき〟」
優雅でいて雅に読み上げる声は、この刹那において、まるで刻が止まったかのようにゆったりしていた。
二人は、本来は聞き取れない筈のその声を、はっきりと聞くことが出来ていた。
傾くその首が、ごろりと地面に落ちるその間の刻に。