第七羽 首狩り兎の仕業
「岳弥……そう言うことかよ。クソが」
最後に桐が訪れていた紫乃地区で、半端者達を束ねている雨村は、砂戸地区の路地裏で苛立ちながら呟いていた。
そこには、二体の死体が転がっており、一体は派手でおかしな格好をした首無しの死体。そしてもう一体は、顔馴染みだった。
二メートル近い体躯を屈め、仰向けに寝かされている岳弥の顔を見る雨村は、苛立った表情でありながらも、瞳にはどこか寂しさが見てとれた。
「で、こっちの派手なバカは誰だってんだ? って、おい……冗談だろ?」
数秒間、瞳を閉じた後に雨村は立ち上がると、首元を何度も刺された後がある死体を見下ろしていた。そして、近くに転がっていた頭にも気がついた。
それを見て、雨村は背中が寒くなるのを感じながら、自然に後ずさっていた。
「4の文字……ということは、この服……ピエロか!?」
裏稼業を生業としている者が、ピエロを知らない筈がなかった。死神と名高いソレは、存在自体が抑止力とも言えるからだった。
「流石に、お前が仕留めたんじゃないだろう? それに、相打ちっていう状況には見えんと言うことは……だから、猟犬が出張って、俺達みたいな野良犬を〝餌〟として送り込んだのか……クソどもが!」
雨村は、桐からの指示の意図が、ここに来て理解出来た。
「俺たちは、十二支の数字持ちを始末出来るような化け物を誘き出す餌って訳かよ……いや、ちょっと待てよ。もし、数字持ちがやられたと分かっていたなら、俺達なんぞ関わらせる訳がない」
今の状況を考えれば考えるほどに、広く大きな背中がどんどんと冷え、額には脂汗が浮かぶ。
時間にして十数秒だが、賢くも愚かな男は、その場で考えてしまった。この時の最善手は、別にあったのだ。
「だとすれば、すぐにここから離れがぁ!?」
そう、最善手は〝すぐにこの場を離れる〟のみだったのだから。
雨村の胸を貫く、真っ赤な腕がその事を証明していた。
「十二支の数字持ちが、こんな場所で首を刎ねられ殺されたなんて事実は、野良犬如きが知るべきことではなかったと言う事です」
雨村の身体から、腕を引き抜き、地面に倒れるソレを見下しながら、呟く桐も、実は内心では驚いていた。そして、同時に周囲への警戒心を自身が可能な限りにあげていた。
「首は信じられないほどに、綺麗な切り口ですが……こちらの刺し傷は、あのナイフで力任せという具合。少なくとも二人以上により、4様は狩られたと言う事ですか……それに、この血の痕から考えて、もう一人は重症者が居たはず。血の量から考えて、死んでいる可能性の方が高いですが、どうしてソレがここにいないのか」
あまりにも実力の異なるであろう二つの傷に、桐は思考を巡らす。そして現場検証を一通り終えると、岳弥の遺体、4の遺体をそれぞれ綺麗に並べ終えると、腰につけていたの魔導具バインダーから円筒形のものを二つ取り外し、表面についているボタンを押した後に、それぞれを少し離すように放り投げた。
床に触れる直前に、円筒形の魔導具が遺体収納用ボックスへと巨大化すると、無言で桐はそれぞれに遺体を納めた。そして、ボックスの壁面についているボタンを押し、再び手の平サイズまで小さくなった遺体収納魔導具を腰のホルダーに納めた。
そして最後に残った岳弥のナイフを手に取ると、桐はおもむろに顔を近づけた。
正確に表現するならば、鼻をナイフの柄に近づけていた。
「〝戌式部分強化〟【鼻】」
そして詠唱と共に、桐は鼻から一気に空気を吸い込んだ。
「……近いですね。更に、酷い血の匂いまで」
岳弥のナイフを小型の収納魔導具へと納めると、桐はまるで見てきたかのように陽士郎が進んだ道を辿り、五体の骸が無惨に転がされている雑居ビルの屋上へと行き着いた。
「先ほどもでしたが、何を目的にそのままにしているのか、理解しかねますね」
証拠を隠滅するわけでもなく、無造作に殺害現場をそのままにしてある光景を続けて見せられた桐は、それがどうにも理解出来ない。何かそれに意図があるのであれば、理解も出来たのかも知れない。
「ただ殺して、もう一つの心臓のみを破壊もしくは奪うだけ。殺した相手のあれを奪うのか、それともあれを欲して人を殺しているのか。もう一つの心臓には、一般的には未だ利用価値が見出せていない代物。国立魔導研究所でも、何かしらに使えたと言う話は、聞いていませんが……」
独り言を呟きながらも、無駄なく作業を続け、五体分の遺体を回収し終えると。屋上の縁に立ち、暗い街の闇を眺める。
あちこちから火の手が上がり、狂乱した男達の叫び声も聞こえる。次第に悲鳴も聞こえ始め、街全体が混乱に陥っているのが分かる。
「11様からの指令は達成しましたが、今であれば確実に追えますね」
〝戌式〟による身体強化によって、桐の嗅覚はまるで訓練された警察犬のように、獲物を追うことが可能になっている。しかし、それは匂いが色濃く残る今しか出来ない事だった。
深入りするか否か。
「ここまであからさまなのは、誘っていると言う事でしょう。野良犬達の撹乱で、私の存在に気づいているかどうか定かではありませんが、今この瞬間に襲ってこないところを見ると、少なくともこちらが追わなければ何もないということ」
踵を返し、桐は歩き出す。
これで、桐は陽士郎と出会う機会を、二回失ったことになる。
間違いなく今の陽士郎であれば、確実に拿捕もしくは殺害出来たであろう。しかし、結果として桐は当初の任務以上のことはせずに帰路に着いた。
あるいは、野良犬達に支持した通りに、夜が明けるまで街を監視していたら、陽士郎を遠巻きにでも観察出来たかもしれない。
こうして、この夜を陽士郎は生き抜く可能性が高まった。
しかしこれは、決して運が良かっただけではない。白兎による首狩りの技が、桐に警戒心を抱かせた結果なのである。
そして時を同じくして、陽士郎は繁華街を見下ろせる雑居ビルの空き部屋の窓から顔を出し、耳に手を当て音をより多く拾おうとしていた。
「聞こえるなぁ、相棒。理不尽な暴力に襲われ、なすがままに殺され、犯され、奪われる弱き者達の悲鳴が」
陽士郎の呟きと共に、身体から薄暗い影のようなものが滲み出す。
「くはは、そうだろうなぁ。こんな掃き溜めにいながらも、優しい心を持ち続けられた男だものな。憎いなぁ、悔しいなぁ、腹が立つなぁ」
聞こえてくる悲鳴が増えれば増えるほどに、陽士郎は楽しそうに嗤う。
「狩るのは、肥らせてから。ちゃんと報復するから、それまで絶望の詩を聞かせてくれよ」
数時間後、空が白み始める少し前、それまでせわしなく動いていた白亜の首狩り兎の耳が、ぴたりと止まったのだった。