第六羽 月が照らす路へ
「さて、あの街自体には野良犬が減っていたので、周辺地区から向かわせますか」
ゴミ屑でも見るかのように、桐は鉄塔の上から砂戸地区を見下ろしながら呟いた。そして、砂戸地区とは反対側へと視線を向けると、軽やかに跳んだのだった。
「岳弥の野郎が、砂戸を仕切ってやがるから、俺たちが向かうと間違いなく抗争になるが、それでも良いってのか?」
「構わないとの11様からのお達しです。今宵に限り、砂戸地区で何が起きようが、猟犬が貴方達を狩ることはありません」
薄暗い地下室にて、桐は堅気とは思えない雰囲気を纏う男と会っていた。
「他にも、灯地地区、阿府地区にも同じく伝えてあります。日が昇るまでの時間は、砂戸地区においては、何をしても不問とします」
そして男は、桐の言葉が何を意味しているか分からないほど愚かではなかった。そして、猟犬に逆らう事など出来ない事も知っていた。
だから、桐に対し〝何故、そんな事をしなければならないのか〟などという問いかけをする事はない。
発する答えは、決まっているのだから。
「わかった。思う存分、好きに暴れさせてもらう」
例えそれが、実は危険なことだったとしても、拒否は結局〝死〟なのだから。
普通に歩いているように見えて、一切足音を立てずに歩き去っていく桐を、男は背中に汗をかきながら見送る。容姿がどれだけ美しくても、華奢な身体で、今にも襲えそうな女だったとしても。
彼女は、猟犬なのだから。
「さて、野良犬共は、これで餌を汚らしく漁ってくれることでしょう。野良犬が吠え出したら、私も動くとしましょう」
雑居ビルから路地へと出てきた桐は、急ぐ事もなく、砂戸地区へと向かって歩き出した。騒ぎが起き出したら、先ず最初に、歩柚が遭遇し、他の隊員が殺害された場所へと向かおうとしていた。
「そのまま放置してあるとは思えませんが、痕跡が残っていれば幸運ということでしょうか」
十二支の隊員達を、一人残して殺害したまま残しておく筈がないと、当然のように桐は考えていた。そんなヘマはしない筈だと。逆に、現場に向かう者に対して、罠を仕掛けるぐらいはするだろうと考え、むしろ警戒しながら時間をかけて向かっていた。
相手の素性が分からず、慎重に事をはこぼうとした為に、結果として陽士郎との邂逅が遅れることになる。
「そういえば、あのピエロの他にも、五、六人の首刎ねてたよな。アレ、どこだったったけなぁ」
調子良く歩き始めた矢先、すぐさまその足を止めた陽士郎は腕を組み、白兎の時に始末した男達の事を思い出そうとしていた。その理由は当然、もう一つの心臓を喰らい、強くなる為である。
「何より、旨かった♪」
先程に喰らった4の味を思い出す陽士郎の顔は、目も口も見事な三日月だった。
そして鼻歌まじりに、記憶を頼りに4の部下達の骸が転がっている雑居ビルの屋上へと向かう。幸いにして、4を屠った場所から、そこまで遠く離れていなった為、五分ほどで首が狩られた五体の骸を見つけることができた。
「さて、触れていたら、流石に分かるくらいには、俺のレベル上がってると面倒じゃなくて良いんだが、さて……〝光は広がり 還るもの〟」
転がっていた躯のうち、一番近かったものに触れながら、陽士郎は言葉を発した瞬間、触れている手の平を中心に、光の輪が広がり、骸全体を包む大きさまで大きくなると光は消えた。
「おっ、そこか」
そしてすぐさま、骸の首元から直径二センチほどの光の輪が、陽士郎の手の平に向かって、まるで光が跳ね返ったかのように返ってきた。
他の五体に対しても、陽士郎は同じことを繰り返すが、どの骸も首元から光の輪が戻ってきた。
「大体一緒の場所なわけね。首から近いのは、丁度良かったな」
そう呟くと、右手に視線を集中した陽士郎が、再び己の力を引き出す言葉を唱える。
「〝纏う光 鋭き刃と成り〟」
言葉と共に陽士郎の右手の五指全ての指先のみが光に覆われ、爪のような形として定着したのだった。
「くは! 刃ってか、猫の爪って感じだな! 流石に俺の力、しょぼすぎないか? くはははは!」
自身の指に猫の爪程の光のツメを創り出した陽士郎は、それを見て腹を抱えて笑い出した。五体の首無しの骸と雑に転がる刈り取られた頭、ドス黒くなっている床に立ちながら、無邪気に笑う様は、狂気でしかない。
だからこそ、次に陽士郎がとる行動もまた、狂気の沙汰となる。
「くくく、あぁ、涙出た。コイツらの喰ったら、第二関節ぐらいまで覆えるかな。くはは」
自分の言葉に笑いながら、陽士郎はしゃがみ込むと、おもむろに横たわる骸の首の断面に自分の光の爪を差し込んだ。
「爪しかねぇし、ここからが一番取りやすそうだな」
先程、4のもう一つの心臓を砕いた岳弥のナイフは、岳弥の遺体の上に遺してきていた為、特に刃物らしいものを持っていなかった陽士郎は、創り出した光の爪を用いていた。
「お、すぐあったな」
骸から手を抜くと、光の爪の先には、生前の主の顔が浮かび上がる水晶をつまんでいた。不思議と身体の中から取り出したにも関わらず、それは血糊に汚れておらず、本当に水晶玉のようだった。
「さっきは砕いちまったが、喰うと言ったら、こっちの方が喰ってる感があるよなっと」
そして陽士郎は、骸から取り出したもう一つの心臓を、躊躇うことなく口に放り込み、奥歯で噛み砕いた。
「うぅうぅ……旨っ! 砕いた瞬間に、口一杯に広がる濃厚な魔粒に加え、この硬い魔晶もまた、歯応え十分! ちくしょう、あのピエロのも砕かずに抉り出せば良かった」
そんな事を悔しがりながらも、既に次の骸へと手を伸ばし、同じようにもう一つの心臓を骸から抜き取り、そしてまた食す。そして、全ての骸のそれを食べ終わると、屋上の縁に足をかけ、街を見渡す。
「全て旨いは旨いが、その味わい深さは個体によって異なるな。口で直接味わった訳でもないのにも関わらず、あのピエロが最上だったことを考えると、単純に強そうな奴ほど旨いってことかな」
そして、聞き耳を立てるかのように、両耳に手を当て、街の音を聞き始める。
「ただ、今の俺達では、あのピエロぐらいのは、逆に狩られかねない。先ずは、今の俺でも狩れる雑魚を狙いところだが、岳弥の兄貴の縄張りが消えたことが、周りに知られるには、少しかかるか」
この街に迫る暴力の波を、彼はまだ知らない。
「まぁ、のんびりやるさ。俺たちに、時間という制約はないのだから」
そして彼は屋上から去り、再び雑居ビルの階段を降りると、路地へと歩き出す。
楽しそうに陽士郎が歩く道は、常に月光が照らしていたのだった。