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第一羽 白

 今宵は珍しく、夜空が街から見えた。


 そしてそこには大きな満月が浮かび、街に惜しみ無く月光を降り注ぐ。


 月光に照らされる無数の配管は、まるで血管のように街を駆け巡る。


 煙突から立ち上る黒煙、噴き出す蒸気は、その街の汚れているところを、月に見られたくないかの様に、空へと立ち昇る。


「汚い街だ……だが、それが良い」


 空を汚す街を見下ろしながら、街の中心に聳え立つ高層ビルの屋上で、一羽の兎が人の言葉で呟いていた。


 その毛並みはまるで白亜のように白く、月光に照らされることで、より白さが際立っていた。


「強者を憎み、己の弱さを呪う。そんな人間が育ちやすそうな、実に心地良い空気に覆われた街だ」


 可愛らしく愛らしい姿からは想像できないほどに、重く堅い声で、白い兎は街に向かって言葉を吐き捨てた。


 そして、月に向かって伸びる高く長い耳を動かしていると、しばらくすると急に同じ方向に耳が向かい、首もまた合わせて、その雑居ビルの間の闇に向いたのだった。


「俺は、運が良い兎のようだ」


 不敵な笑みを浮かべながら、白兎は夜の闇に跳びこんで行くように、高層ビルの屋上から夜空に向かって跳ねるのだった。




「クソッタレが……」


「おうおう、ゴミ共の掃き溜めに相応しい目をしてやがるな」


 雑居ビル群の路地裏で、青年は地面に這いつくばりながら、自分を見下ろすスーツ姿の男を睨みあげていた。


 決して高級スーツと言うことではないが、それでもこの場では場違いに思えるほどの物に、青年にはその姿は写っていた。そしてその瞳には、青年がこのスーツの男に逆らえない理由も、しっかりと映り込んでいた。


「銃を取り出すなんて……大人気ないと思わないのかよ」


「お前も十八になったろ。成人した大人相手になら、大人気なくないだろう? だからよぉ、大人らしくケジメを付けてもらわないと困るわけだ」


 男の持つ銃は、しっかりと青年の額に向けられている。


「何がケジメ……だ! 市民税は、滞納せずに全員分払ってるじゃねぇか!」


「おいおい、分かってるくせに、そんな知らないフリなんてするんじゃないよっと!」


「ぐは!?」


 力を振り絞りながら立ちあがろうとしていた青年を、男は力任せに蹴り飛ばした。そして再び地面に這いつくばった青年の顔の前にしゃがみ込むと、髪の毛を掴み上げ、無理矢理に顔を上げさせた。


陽士郎(ようしろう)、また拾ってきただろ。お前、これで何度目なんだぁ?」


「三度目……だ……」


 陽士郎と男に呼ばれた青年は、酷く心が痛んだ。


 目の前に見える男の顔が、酷く苦しそうに、そして悔しそうに歪んでいたからだった。


「はぁ……来年から、お前もウチに来るんじゃねぇか。来る前に、処分される様な危険を背負い込むんじゃねぇよ」


「わか……てるさ……そんなこと……」


 コンクリートの上に這いつくばり、髪の毛を乱暴に引っ張り上げられながらも、地面を掴む指は、地面を抉らんばかりに地面を掴み、指先からは血が滲んでいた。


「今回、バレた二人分に関しては、申告漏れという扱いで、俺の方で処理しておくが、その代償は受けないと怪しまれるからな」


 男は陽士郎に顔を近づけると、小声で呟いた。そして、その言葉を聞くと陽士郎は、黙って頷いた。


「まぁ、折れたりや内臓は痛めないようにしてやった筈だ。暫くは、申告漏れの報復を受けたってことで、怪我を理由に引きこもってろよ。はぁ……なら、仕上げだ。歯を食いしばれ」


岳弥(がくや)の兄貴……尻拭いを、ごめん」


 陽士郎の髪の毛を放し、立ち上がっていた〝岳弥の兄貴〟と呼ばれた男は、陽士郎の子供のような謝罪に、優しく微笑むと、陽士郎の頭を蹴って気絶させるために、脚を振り上げた。



 不幸や絶望というものは、誰に対しても訪れる


 幸せな暮らしをしている者にも


 好き勝手に人生を謳歌している者にも 


 そして勿論、今すでに不幸な状況に陥っている者にも、それは公平に訪れる



「……ん? 兄……」


「誰だ。出てくるつもりで、その狂った殺気をこっちに向けてきたんだろう?」


 陽士郎が自分を兄貴と呼ぼうとしたのを遮りながら、岳弥(がくや)は路地の街頭の当たっていない暗闇に向かって、銃口を向けながら鋭く殺気のこもった声で話しかけた。


 陽士郎は、声では強気な様子を見せている岳弥(がくや)の声が、長年の付き合いから緊張している事を察すると、這いつくばる身体に鞭を入れ、その場に立ち上がった。そして、自然と視線は、岳弥が見ている暗闇に向かっていた。


 そして暗闇より音もなく現れたソレは、白塗りの顔に、大きな赤い丸い鼻をつけ、目元口元は気持ち悪いほどの笑みを作っていた。服装は馬鹿げた派手さで、誰がどうみても、それは〝ピエロ〟であった。


「……4……?」


 陽士郎は、そのピエロの左目に分かりやすく書かれていた〝4〟の文字に、何故か異様な不気味さを感じると、無意識にそれを呟いていた。


「何故、俺が管理している地区に、ピエロがいるんだぁ? お前達は、〝管理人〟が居ない地区を見回っているんだろ。此処に、ピエロが来る理由は無いはずだが?」


 岳弥は今もピエロに銃口を向けたままなのだが、そのピエロはその事に全く動じる様子もなく、岳弥に向かって恭しく一礼してみせた。


「私は、〝(ウサギ)〟と申します。〝4〟と書いて〝ウサギ〟と読みます。〝ピエロ〟は、所属部署名となりますので、以後私のことは(ウサギ)とお呼びくださいませ」


 男か女かも分からない中世的な声は、決して二人を威圧している訳ではなかったが、途端に陽士郎も岳弥も、背筋に悪寒が走り、額から脂汗が浮かび始めた。


「本来なら、私共も管理者に任せっきりで、他の地区を周りたいのです。しかし、ライオンの皮を被ったキツネがいたと分かれば、それを駆除しなければなりませんので」


「俺が、その狐だと?」


「いいえ」


 岳弥の問いに対して(ウサギ)が否定すると、陽士郎の心臓は更に鼓動を早めた。それは、それだけの自覚があったからだった。


 岳弥に任されている孤児院には、正規に申請している人数以上の孤児を、陽士郎は保護していた。この街では、例え赤ん坊だろうが住民税を支払わなければならないが、当然それらの子供達の分は、納めず隠して生活していた。


「陽士郎様、そんなに緊張しなくても良いですよ。私の今ほどの〝いいえ〟という返答は、岳弥様がキツネではなく、貴方をキツネだと言った意味ではありません」


「……え?」


「〝俺が〟の部分を、私は否定したのですから?」


 (ウサギ)の言葉に、今度は岳弥の顔が、急激に青ざめる。


「おい、それは……」


「〝俺が〟でなく、〝俺達が〟であるべきという事です」


 その言葉とともに、両手を広げると、まるで手品を見ているかのように、広げた腕の影から、次々と燻んだ水晶玉の様なものが落ち始めた。


「さぁ、これは何でしょう?」


「おい、これはまさか……この……クソ野郎がぁああああ!!!」


 岳弥の足下に転がってきた水晶玉の中には、顔が映り込んでいた。そしてそれは、岳弥が激昂するに値するだけの理由があった。


 響き渡る銃声は、岳弥が(ウサギ)に対して、感情に任せて引き金を引いたことを示していたが、陽士郎は何故に岳弥が突然取り乱し始めたのかを理解出来なかった。


 そして、目の前で(ウサギ)が銃声と共に、一瞬で消えたことも混乱に拍車をかけた。


「おや、貴方はコレが、何か分かっていないご様子ですね」


「な!?」


「陽士郎! 伏せろ!」


 突然耳元で、(ウサギ)の声が聞こえ驚く陽士郎に向かって、岳弥が叫ぶとすぐさま陽士郎の横に立つ(ウサギ)に向かって発砲した。


「クソが!」


 岳弥の焦りを嘲笑うかのように、闇に溶け込むと、再び最初に二人の前に現れた街灯の下へと、暗闇の中から音もなく歩いて現れた。


「それは、人にとっての魔力炉とも言うべきモノであり、〝もう一つの心臓(マジックコア)〟と言われる器官です。この世界で〝力〟を行使する者にとって、常識的な知識です。そして、コレが抜かれた人間は、簡単に死に絶えます」


「兄貴……?」


「奴の言っていることは……本当のことだ。お前も、俺の所へ正式に来る時に、教えようと考えていた」


 銃口を(ウサギ)に向けたまま、岳弥は陽士郎の問いに答えた。


「支配階級の方々は、教育機関で魔力についての知識を得ることになりますが、貴方の様な底辺層は、要らぬ知識と言うことになります。知ってしまえば、今回の様に勘違いしてしまう方々が現れてしまいますからね」


「勘違い?」


 怪訝な表情を見せる陽士郎だったが、次の瞬間それどころではなくなった。


「がぁあ!?」


「兄貴!? 腕が!?」


 突如として舞い上がる岳弥の片腕は、血を撒き散らしながら、くるくると回り紅の雨を降らせる。


 そして陽士郎にも、等しく絶望は届けられる。


「そして貴方には、此方をどうぞ♪」


 子供にお菓子でも優しく与えるかのように、手の平いっぱいに施設の子供達の顔が写り込んでいる〝もう一つの心臓(マジックコア)〟を、(ウサギ)は陽士郎に対し楽しそうに見せる。


「あ……あぁ……あぁあああああああ!?」


「陽士郎! この……外道がぁあああ!」


 拳銃を握りしめていた右腕が斬り飛ばされているのにも関わらず、同じ施設出身であり、弟として面倒を見ていた陽士郎の様子に、岳弥はなりふり構わずに(ウサギ)に向かって左腕で殴りかかった。


 そして陽士郎は、その光景を目の前で見てしまった。


 路頭に迷う子供を、後先考えずに連れてきてしまった自分を、叱りつけながらも、最後には何とかしてくれた兄。


 血が繋がっていなくても、そこにはしっかりと絆があった。


 掃き溜めのようなこの場所で成り上がり、自分達の施設を含む地区の管理者となって帰ってきた頼れる兄。


 そんな兄の負ける姿など、想像すらした事がなかった。


 だから、そんな兄の首元に、訳のわからないピエロの腕が刺さっている光景など、陽士郎の心は受け止めきれなかった。


「おや、演者に触れるのは御法度ですよ?」


 深く首元に刺さる(ウサギ)の腕を、岳弥は震える手で掴んでいた。しかし、その手に込められた力は、確かに4(うさぎ)の動きを止めていた。


「陽……士郎……走れ……」


「あ……あ……」


 心に渦巻くドス黒い感情に支配され、陽士郎は岳弥の必死の声にも、身体が反応することはなかった。


「そのまま居て頂いた方が、私も助かります。それに、貴方の所為でこのような自体になっているのですから、最後の最後まで私の観客となって貰わないと、私のやる気が出ませんよ」


「やめ……ろ……お前の……せいじゃ……ない」


「いえいえ、このとても甘ったるい子供の行いが、全てを明るみにしてくれたのですよ。道端のゴミなど、捨て置けばよかったのです。目の前の不幸を見てみるふり出来る人間しか、この街で上には行けない事を知っていても、〝理解〟していなかったと言うこと」


 そして(ウサギ)は、岳弥の首元に刺さる右腕を何事もないかの様に引き抜く。


「……クソ……が……」


 糸の切れた人形の様に倒れる岳弥の身体から、4(ウサギ)の血塗られた手のひらに乗せられた〝もう一つの心臓(マジックコア)〟に、光る粒子が吸い取られるように流れ込む。


 陽士郎は、この状況を生んだ原因が、自分が路頭に迷う子供を保護した結果だということを理解していた。


そして、目の前に散らばっている水晶玉の様なものに、施設の子供達の顔が浮かんでいることから、もう誰も自分を笑顔で迎えてくれる子達が、この世界の何処にも居ない事も理解した。


 罪悪感。


 後悔。


 憤怒。


 怨み。


 そして、絶望。


 横たわる岳弥の瞳から、光が失われていく様を、陽士郎は力なく眺める。兄と慕う者の唇が動いているが、陽士郎には伝わることはなかった。


 もう、彼の心は暗く深い闇に覆われていたからだ。


「大丈夫ですよ。今から貴方も同じところに逝くのですから♪」


 そして陽士郎の首元にも、(ウサギ)の腕が深く突き刺さる。


「あぁ、良い瞳です。己の非力さを呪い、この世界に向けられる底なしの憤怒は、何故こんなにも見ていて心地良いのでしょう!」


 陽士郎の首元から(ウサギ)の腕が引き抜かれると、陽士郎は後ろへと倒れ込み、夜空を見上げることになった。


 この街の夜空には珍しく、満月が輝いていた。


 瞳に映る満月は、陽士郎の瞳から光が消えても、美しかった。


「さてと、今日の舞台は、これにて閉幕となります♪」


 月光に照らされる(ウサギ)が、誰に対してかも分からない恭しくもおおさげさに、舞台を閉めるかのように、絶命している二人を背にして一礼する。



これ(死体)、貰って良いかい?〟



 突然、背後から問いかけられた(ウサギ)は、即座に距離をとる。そして、声が聞こえた辺りを見ると、そこには生きている人間は居なかった。


 しかし、自身が息の根を止めた死体の上に、予想外の生物が乗っているだけであった。


「兎……?」


 月光に照らされ、白い毛並みが月明かりを反射し、この世のものと思えぬほどに美しく輝く白兎が、血塗れで仰向けに倒れる陽士郎の死体の上に、ちょこんと座っていたのだった。


 そしてその顔は、兎とは思えぬほどに不気味に嗤っていた。


「何処からどう見ても、可愛らしく愛嬌ある兎にしか見えないだろう?」


「……私の知っている兎は、その様に喋らないもので」


 現れるまで、全く気配を感じることが出来なかった上に、動物が話しているという事実に一瞬は動揺した(ウサギ)だったものの、あまりに流暢に話す兎の姿に、魔法の可能性にすぐに思い至り、冷静に周囲の警戒を高めた。


「術式の気配を私に全く気取らせないとは、相当に腕の立つお方の様ですね。それに、その姿()(ウサギ)である私への当てつけでしょうか?」


 (ウサギ)の言葉に対し、白兎は薄ら笑う。


「お前が、兎? その格好からして、全く兎に見えないが、もっと笑うところだったか?」


 人語を話す兎に対し、(ウサギ)は明らかに目を細め、僅かに怒気が表情に現れた。


「おや? 何か気に障ることでも? 精々、お前が〝兎になど見えはしない〟と言っただけだが?」


 兎の表情など人に分かる訳がないはずだと言うに、(ウサギ)にははっきり分かった。


 その表情が、嘲笑だということに。


「貴様ァアアあああぁあ?」


 首を傾げた訳でもないのに、(ウサギ)の視界は明らかに傾いた。そして、何か足りていない自分自身の身体が視界に入った時、永遠の闇に全てが覆われたのだった。


 糸の切れた操り人形の様に、その場に倒れる(ウサギ)だった身体は、自身が降らせた紅の雨に染まっていた。


 先程まで陽士郎(ようしろう)の遺体の上に座っていた白兎は、首が刈られた(ウサギ)の後方の通路にいた。そして、その可愛らしく純白であった脚が、鮮やかな朱色に変わっていた。


「さてと、他には……五……いや、六か」


 そして、長く大きな耳をぴこぴこと動かせながら白兎は呟くと、月に向かって跳ねたのだった。


 月光に照らされた白兎の口は、まるで死神の大鎌のようでいて、それでいて美しい三日月のようでもあった。

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