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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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85話 証に望む明日を

 十兵衛はリッシュを落ち着かせるように近くにあった椅子に座らせ、目の前に跪いて話を促した。

 座る事で呼吸も静まったのか、リッシュは深く深呼吸をしてぽつぽつと語り始める。

 だが、そうしてゆっくりと明らかになっていく内容に、十兵衛はじわじわと肺腑(はいふ)をえぐられるような心持ちになっていくのだった。



 リッシュの夫、チャドリー・アルモは、巨大な帆船に乗って外洋で漁をする漁師だった。年の大半を海で過ごす彼の帰りを、リッシュは心待ちにする日々を送っていた。

 そんなある日、港に夫の乗る船が帰ってきたと聞き、リッシュは大急ぎで港に向かった。聞いていた日程より大幅に帰りが遅れていたのだ。心配していたと文句ついでに抱き着いてやろうと思っていたリッシュを待っていたのは、チャドリー不在の現実だった。

 船には騎士が集まっておりどうしてか近づかせてもらえなかったため、仕方なく漁仲間の元へ事情を聞きに走った。そこでリッシュは、外洋での漁の最中、チャドリーが船から落ちて行方不明になったという信じがたい話を聞く。


「船から落ちる事故はよく聞く話さ。でも、あの人は泳げるんだよ!? 縄梯子が下ろされるのを待つぐらい耐えられるはずなのに、皆口を揃えて事故で行方不明になったとしか言わないんだ!」

「…………」

「それも、やけにあっさりした有様でさ……! おかしいじゃないか! 海の男はそんなに薄情なのかい!?」

「リッシュ殿……」

「だから私は、冒険者を雇って海に出ようと思ったんだ。生きていても、……死んでいても、どんな形であれ夫を探しておかえりって言うために」


 黙した十兵衛に、隣で話を聞いていた冒険者が「外洋には、レイスが出るんだよ」と静かに語る。

 レイスの出る海に、神官も冒険者のお守りも無く探し物をする航海など無謀極まりない。それを分かっているからこそ、リッシュは十兵衛の持つお守りを欲していたのだった。


「神官を外に出すような余裕はエレンツィアには無いからよぉ……」

「ただでさえそうなのに、ここ数年お守りの配給も少なくて俺達も困ってた所でな」

「……そうなのか」

「あぁ。教会に何度か聞きに行ったが、ヴィオラ先生はちゃんと納品してるっていうし……」

「だからどっかがかっぱらってるんだって」

「おい! 下手な事言うなよ!」


 冒険者達が難しそうな顔をして黙り込むのを横目で見ながら、十兵衛は考え込むように俯く。

 お守りが無くても、こちらには高位神官のスイがいる。十兵衛の請け負った依頼にスイを連れていくのは、心配性のクロイスへの裏切りにもなるため進んで取りたくない手ではある。だが、選択肢が残されている以上、このアイテムを譲るのはやぶさかではなかった。

 ――ただ、と十兵衛は内心重い溜息を吐く。


 ――チャドリー・アルモ。それは、スピーから聞いた名でもあった。




 ***




「僕を洗ってくれた人は、チャドリーさんを入れたら十兵衛様で二人目です」


 バスタブに低めに湯を張り、スピーをシャンプーで泡まみれにしていた時のことだ。

 呟くようにそう言ったスピーに、十兵衛は微笑んだ。


「そうか。俺以外にもスピーを大切に扱ってくれる人間がいたんだな」

「はい。……()()()()

「……いました?」

「今朝まで」


 思わず手を止めた十兵衛の視線の先で、スピーは大粒の涙を零す。


「チャドリーさんは、ヨルムンガンドから逃げてきた僕達亜人種を助けてくれた、命の恩人なんです」

「…………」

「だから、罪人になった」


 しゃくり上げながら、スピーは語る。

 ガデリアナ大陸から小舟で逃げてきたスピー達を、チャドリーの乗る帆船が助けるように引き上げた。命からがら逃げてきた亜人種に、チャドリー達はとてもよくしてくれたという。

 だがそれは表向きの姿で、本当はオデット領での労働力として亜人種を使うために連れ去る、奴隷商人の一派だったのだ。

 それを教えてくれたのは、船員達と同じ奴隷商人のはずであるチャドリーだった。


「船の上で、亜人の子供が生まれたんです。チャドリーさんは一生懸命お産の手伝いをしてくれて……。そこから僕達にこの船の真実を告げて、助けるように動いてくれた」

「…………」

「亜人の里に近いって聞いた陸地で、チャドリーさんは僕達を船から降ろして一人でエレンツィアに戻っていったんです。大人達は、どうしてあの人は逃げないんだって凄く疑ってて。本当は、ああしてみせて里の人ごと亜人を浚いに来るんじゃないかって。……だから、だから僕は、こっそりまた船に乗ったんです。チャドリーさんが裏切ったら、僕が息の根を止めてやるって思って」

「スピー……」

「でも、あの人は言わなかったんです。最期のその瞬間まで黙して――!」


 チャドリーがエレンツィアに着いて捕まったのと同日に、船に隠れていたスピーも捕まった。スピーがいる事をチャドリーは終ぞ知る事は無かったが、動物系の見目の良さもあってスピーはオデット伯爵の屋敷で奴隷として働きながらチャドリーの動向を時々こっそり窺っていたという。

 今日言うかもしれない。明日言うかもしれない。明後日言うかもしれない――。そうしてチャドリーの裏切りに神経を尖らせる日々は、――今朝、終わった。


 ――チャドリーは最期まで黙して語らず、絞首刑に処されてこの世を去ったのだ。


 それを見届けたスピーの心に残ったのは、激しい後悔だった。

 真実、チャドリーは亜人達の事を思い、死んだのだ。信じ切れずに疑っていた自分の愚かさに反吐が出そうだった。

 するべきことは、チャドリーに「ありがとう」を伝える、ただそれだけで良かったはずなのに。


「僕はチャドリーさんの思いやりを疑って、結局奴隷になって……。そんな愚かな自分を殺して欲しくて、フェルマン様に着いてきたんです」

「――!」

「十兵衛様は抱き上げてくださったけど、あの時僕は本当に貴方を害するつもりで飛びかかった。チャドリーさんの思いを裏切り、未来の無い奴隷に身を(やつ)し、生きる価値も無い人生を終わらせて欲しくて。……なのにこんな、チャドリーさんと同じ様に優しく、洗ってまでくれて、僕は、僕は……!」


 肩を震わせて泣くスピーを、十兵衛はじっと見つめる。そうして、少し震えた指先を伸ばして、服が濡れる事も構わずにそっとスピーを抱きしめた。


「僕なんかに、優しくしないでください。死にたくなるんです」

「……その気持ちは、分かるとも」

「嘘だ!」

「分かるんだ。俺も同じだから」


 目を見開くスピーに、十兵衛は抱きしめる腕に力を込める。


「死なねばと思ってる。――ずっとだ」

「……!」

「俺の周りには善人が多くてな。俺の事を慮り、優しく接してくれる人が多い。だが、優しさを受ける度に俺は時折死にたくなる。そんな暖かい物を享受して良い存在ではないのだと、誰が否定しても己だけはずっとそう思うんだ」

「十兵衛様……」

「俺は、両親から望まれて生まれた子では無かったから。……どうも幼い頃から、そんな思いが抜けないんだ」


「でもなぁ、スピー」と十兵衛は静かに笑う。泡まみれの頭を優しく撫で、涙で潤む緑色の目を見つめた。


「チャドリー殿にとって、きっとお前は(あかし)なんだ」

「証……?」


 十兵衛は語る。遊覧船の事故で牢獄に囚われた時にチャドリーに会ったことを。

 亜人の里の場所は伏せられていたが、スピーが語る話と同じ話を聞いたことを。


「これ以上自分を嫌いになりたくないから、ここで自分を終わらせるために帰ってきたと、チャドリー殿は言っていた」

「……自分を……」

「そんな話を俺に何故語ってくれたのか問うた時、チャドリー殿は『ただの証さ』と言ったんだ。……今なら、その意味が分かる」


「命をかけてまで変えた己の『生き方』を、誰かに知ってほしかったんだ」


 十兵衛の言葉に、スピーは大きく目を見開く。


「その変えた生き方のおかげで、お前がある」

「生き方の、証……」

「あぁ。……だから、」


 言いづらそうに、十兵衛は何度か口を開きかけては止める。不思議そうに見上げるスピーの前で、十兵衛は酷く傷ついた顔で下手くそに笑ってみせた。


「もう少しだけ、明日を望んでみないか、スピー」

「十兵衛様……」

「死ぬなとは言わない。生きろとも、言わない。チャドリー殿は、かけた命をお前達亜人に背負わせようとは思っていなかったからな。……ただ、今日を越えた明日を、少しだけ望んでみないか?」

「…………」

「それでも死にたいと思った時は、スピーの望み通り、俺がお前を殺してやろう。痛みも苦しみもない黄泉の国へ、俺の手で必ず送ってやるから」


 十兵衛の提案に、スピーは涙を堪えて小さく頷く。

 己がどれ程酷い事を言っているかを自覚しながらも、十兵衛は唇を震わせながら「ありがとう」と小さく礼を述べると、空気を変えるようにスピーの頭からシャワーを浴びせた。


「わぁ! ちょっ、こ、これじゃ十兵衛様までびしょ濡れに!」

「いいんだ、このまま俺も風呂に入る! ついでに洗濯もしてしまおう! 手伝ってくれるか? スピー」

「そ、それはもちろん!」


「濡れた服をそのまま着て出ると、リンが蒸発させてくれるから便利なんだ」とスピーに豆知識を披露しながら、十兵衛はスピーの身体を洗い流す。

 興味深そうに目を丸くしたスピーの目には、もう涙は滲んでいなかった。




 ***




 その時の事を思い返していた十兵衛は、リッシュを前にして何も言えなくなっていた。

 チャドリーが今朝死んだことを、もはやおかえりも言えない遠い海底へと連れられていったことを、言えるはずもなかったのだ。

 だが、そこでふとリッシュがレイスになったチャドリーに会えることをも望んでいたのを思い出す。

 生きていても、死んでいても。たとえどんな形に変わっていようと、夫を探しておかえりと言いたいと願うリッシュの気持ちに、応えられる方法。

 ――それが出来る男を、この場で十兵衛だけが知っていた。


「……その依頼、俺が受けてもいいだろうか」


 俯いていた十兵衛の告げた言葉に、リッシュも冒険者たちもはっと目を見開く。


「あんた……」

「俺の仲間に、ハーデスという魔法使いがいる。そいつは探し物が得意な、転移魔法の使い手なんだ」

「転移魔法……オーウェン公爵閣下と同じ転移魔法使いなのか!」

「あぁ。幸い、野暮用で共に行動している神官の友人もいるんだ。だから、このアイテムは必要な他の冒険者に渡してあげてほしい」


 十兵衛から冒険者のお守りを返されたノエミは、「宜しいんですか?」と不安げに伺う。肯定するように十兵衛は頷くと、戸惑うリッシュの手から依頼書を受け取った。


「い、いいのかい? 英雄のあんたを雇うならもっとお金を……」

「むしろ、これの半分でいいくらいだ。身内に一人、チャドリー殿の知り合いがいてな。こちらとしても私事が絡んでる」

「……分かった。宜しく頼むよ、十兵衛さん」


 深々と頭を下げたリッシュに、十兵衛は優しく微笑んでみせる。


「あぁ。この依頼、八剣十兵衛とハーデスが請け負った」

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