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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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84話 フローラルの噂

「どうして駄目なんだい! お金は支払うと言っているのに……!」

「落ち着いて下さいリッシュさん。こうも数が足りないとどうにも」

「他から優先して回して貰えないのかい!?」


 飴色の長い髪をいじりつつ、隣のカウンターで先輩が困り果てながら応対しているのを薄水色の横目で見ながら、エレンツィアの冒険者ギルド員のノエミは内心ため息を吐いていた。

 あと三十分もすればシフトの交代の時間だ。そうなると時間帯責任者が代わるため、リッシュの相手をするのは自分になる。どうやって諦めて貰おうかと悩みながら、ノエミは豊満な胸に手を乗せてカウンターに双丘ごと突っ伏した。

 ギルド員に怒鳴りつけるように依頼書を掲げる女性――リッシュ・アルモは、ここ連日ずっと冒険者ギルドに依頼を持ってきているエレンツィアの一般市民だ。彼女は「漁に出た夫がまだ戻らないので、何とか探し出して欲しい」という依頼を冒険者ギルドに持ってきていたのだった。

 ノエミが耳にした限りだと、漁仲間は皆エレンツィアへ戻ってきているらしい。だが、その仲間達に聞いても「漁の最中に海に落ちた」だの「探したけどダメだった」だので取り付く島もなかったそうだ。

 いつ頃そんな事故があったのかはノエミも知らないが、もし仲間の証言が正しければ外洋での捜索など最早不可能である。お金をかける必要もなければ、わざわざ幽霊(レイス)の出る海に冒険者を行かせる理由もなかった。

 エレンツィアの外洋では、場所によっては夜間にレイスが出る。女神の元へと行かせないよう、神官の祈りもなく海に沈めた罪人達の成れの果てだった。

 レイスは朽ちた肉体の側か、死人の思いが強く残る場所に長く留まる。そのため、通常の船の航行時は【海底墓場】の側を通らない事が鉄則だった。神官不在のままうっかりそこを通ると、レイスに襲われ船員ごと幽霊船に変えられてしまうからだ。どうしても航行ルート上通る必要がある場合は、夜間に行かないよう時間の調整を施すか神官を連れていく他ない。

 だが、そもそもエレンツィアには神官が少なかった。故に、おいそれと神官を外に出すわけにもいかないのだ。リッシュの望む外洋の捜索ともなると、神官の派遣か特定のアイテムの持ち込みが必須となる。だが、現在のエレンツィアにおいては前者も後者も選択肢が無い状況だった。

 教会側は街の規模的にこれぐらいが適正だというが、ノエミはそうは思わない。リンドブルムの冒険者ギルドを通して、ルナマリア神殿の神官に派遣をお願いすることが多々あったからだ。「人手が足りてないのに補充もしないなんて、その内高位神官がしょっ引きに来るんじゃないの」と唇を尖らせた矢先、リッシュを取り囲む冒険者とギルド員の人の輪の後ろに、見慣れぬ男が見えた。

 片手に書類らしき物を持っている男が、きょろきょろとあたりを見回しながら困ったように眉尻を下げる。報告書関連かな? と思ったノエミは、元気よく片手を上げた。


「そこの方ー! 報告書関連はこちらで承りますよ!」


 声をかけられた事に気が付いた総髪の男が、ノエミの方に振り向く。一瞬固まるやぼっと顔を赤くすると、両頬を叩いて何某かの気合を入れながら俯きつつカウンターに駆け寄ってきた。


「文化の違い、文化の違い……!」

「お疲れ様です。任務達成の報告でしょうか!」


 ふるふると首を振る男に、ノエミは不思議そうにしつつも優しく声をかける。その言葉にはっとした男が、「あ、いや。リンドブルムの方で受けた依頼なんだが……」と何枚かの依頼書を差し出してきた。

 どうやらエレンツィア方面の依頼をリンドブルムで受けてきたらしく、その後情報の更新がないかこちらで先に確認して貰うようにと指示を受けたという。

 了承したように頷いたノエミは、「なるほど。それではこちら、拝見致しますね」と受け取り目を通し――あんぐりと口を開けた。


「や、や……八剣十兵衛さん!?」


 ノエミの叫びに、冒険者ギルド全体がしんと静まり返った。

 名を叫ばれた男――十兵衛は、どぎまぎとしながらも本人である事を認めるようにこくりと小さく頷く。

 その様を見て、思わずノエミはすんすんと不躾にもこっそり匂いを嗅ぎ、「ほ、ほんとにフローラルな剣士だ……!」と目を煌めかせた。

 友人のアンナの言が正しかったのを知ったのである。

 

「……ふろーらる?」

「あ! し、失礼しました。ようこそエレンツィアへ! 貴方の勇名はこちらまで届いておりますよ!」


 十兵衛の問いに、ノエミは慌てるように取り繕った。さほど気にしていなかったのか、十兵衛は軽く笑いながら頭をかく。


「はは……良い噂ならいいんだが」

「勿論ですとも! カルナヴァーン討滅の英雄! 加えて、風土病撲滅を掲げた新進気鋭の履物屋! 貴方を讃える声は後をたちません!」

「……そう、ですか……」


 アンナから直接聞いた話と郵便大鷲新聞(ポスグルプレス)で読んだ情報を脳裏に浮かべながら、ノエミは声に喜びを乗せつつ十兵衛を讃える。当の本人は「本当に……下駄で神になりそう……」とよく分からない事を呟いてがっくりと肩を落としていたが。

 そんな十兵衛の様子もいざ知らず、手早く書類の確認と更新事項を書き込んだノエミは、必要な資料とアイテムをカウンターの下から引っ張り出した。


「更新事項はこちらに書き記しましたので後ほどご確認ください。また、冒険者ギルドより当案件におきましてアイテムを配布致します」

「アイテム?」

「えぇ。こちらの依頼書にある、エレンツィア北西の荒地にわいたレイスの討滅依頼ですが、本来であれば神官や神殿騎士が赴くべき物なんです。ですがエレンツィアの神官はリンドブルム程多くは在籍しておりませんので、冒険者の皆様に頼む事もありまして」

「なるほど。その魔物に有効な道具というわけか」

「はい。【冒険者のお守り】と呼ばれる物になります。こちらには神官の奇跡が込められておりますので、レイスをある程度集めた後に祈りを捧げれば、一気にレイスの殲滅が可能です」

「分かった。ありが……」

「それ! こちらに回して貰えないかい!?」


 突如、十兵衛の右隣から割り込む人があった。リッシュだ。応対していたギルド員や説得をしていた冒険者たちの包囲を振り切って、英雄の名を聞いたリッシュが一縷の望みをかけてやってきたらしい。「あちゃー」と額に手をあてたノエミは、目を瞬かせてリッシュを見ている十兵衛に心底同情した。

 鮮やかな赤いミディアムロングの髪に、潤みを帯びた黒い瞳。訴えるように何度も叫んでいたからか、息も整わず両肩が何度も上がり下がりしていたリッシュは、縋りつくように十兵衛の腕を取る。

 その様子を見て、リッシュを応対していたギルド員と冒険者達が「リッシュさん!」と慌てたように駆け寄ってきた。


「やめときな! その方は七閃将を討った英雄殿だぞ!」

「だからこそ良いんじゃないか! そのアイテム、こっちにくれないかい英雄さん!」

「え!? いや、お、俺は」

「リッシュさん! 冒険者のお守りは十兵衛さんの任務に必要だから渡した物で」

「腕利きの英雄だったらそんなもんなくてもこなせるんじゃないのかい! 夫の命がかかってるんだ、こっちを優先にして貰わなきゃ困る!」

「命って! 外洋で行方不明になって一体どれだけ経ったと……!」

「まだ死んじゃいない!」


 遮るように叫んだリッシュに、一同は息を呑む。

 涙で瞳を滲ませながら、「死んでなんか、いないんだ……!」と声を震わせながらリッシュは俯いた。


「だってまだ、ただいまも言われてない……!」

「リッシュさん……」

「あの人は海の男だ。海で死ぬかもしれないなんて百も承知だ。でも、死んだら朽ち果てる肉体なんかより思いの残る私の側に帰ってくるって言ったんだ! レイスのあの人が帰って来てないなら、きっとまだ生きてる!」


 もはや、彼女の願いを否定するような発言を、誰も口にすることは出来なかった。それがいくらあらゆる点において無知蒙昧なものだとしても、一心に夫を思う気持ちを無下にする行いなど出来ようはずが無かったのだ。

 そんな重苦しい空気の中で、縋りついたリッシュの手に手を重ねる男がいた。――カルナヴァーン討滅の英雄、八剣十兵衛だった。


「まずは話を聞こう、ご婦人。何故この道具を望む?」


 目線を合わせるように少しかがみ、優しく十兵衛は問いかける。

 その英雄の在り方に、リッシュは頬に一筋の涙を流すのだった。

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