82話 美食に目がない管理者
おかしいな、と、使者は思った。
オデット伯爵から『現地でフェルマン達と合流し、彼らの短慮も共に詫びて伯爵邸に招待せよ』という筋書きで任を賜ったはずなのに、宿を訪ねてしばらく経ったがなかなか十兵衛との面会に至らず、フェルマン達とも会えずじまいだ。
亜人とおぼしき少女が取り次いだので、きちんとコミュニケーションが取れていないのではないかと不安がよぎる。そもそも伯爵からの使者相手に亜人を遣わせるなど、英雄とはいえ物知らずにも程があるのでは、と使者の男はまだ見ぬ十兵衛への評価を一段回下げた。
宿のラウンジで待つ事しばし、十兵衛一行の泊っている部屋から、先ほど会った亜人の少女と青白い髪を逆立てた長身の男が出てきた。
しかつめらしい顔に加え、襟の立った黒衣のコートに幾何学模様の描かれた金色の頸垂帯。彼が魔法使いのハーデスだとすぐさま気づき、椅子から立ち上がって居住まいを正すと、使者は深々とお辞儀した。
「突然の訪問にも拘らず、ご面会下さり誠にありがとうございます。私はツィルチル・ディーオデット伯爵より伝言を賜りました、使者の――」
「悪いが手短に頼む。こちらもごたついているんだ」
使者の眉がピクリと震えた。伯爵からの使者をぞんざいに扱う事は即ち伯爵を軽視していることに他ならない。七閃将のカルナヴァーンを討ったとて、礼儀の無さは亜人と同等かと内心で嫌悪感に塗れながらも、使者はこほんと咳ばらいをして伯爵からの伝言を告げた。
「この度は部下の不手際並びに暴力沙汰に英雄殿を巻き込んでしまい、誠に申し訳ございませんでした。加えて、フェルマンとスピーがそちらに伺っていると耳にしたのですが、それは真でしょうか?」
「あぁ、今部屋で十兵衛達が応対している」
「やはり……。申し訳ございません、短慮は起こすなと再三伝えておいたのですが、あの二人は伯爵への忠誠心が高い者の筆頭でして」
「そうなのか?」
きょとんとハーデスは目を丸くする。その様に、使者の方も虚をつかれてぽかんと口を開けた。
「ハーデスの疑問は最もだ。我の目から見てもそうは思えなかった」
「え、あの……」
「十兵衛は、だったら何故首一つで来ないと怒っていたぞ」
それまで黙していた亜人の少女が、肩を竦めながら恐ろしい発言をする。
使者は十兵衛の英雄像が勇者のそれから鬼のそれに変わりつつあるのを感じ、少し血の気が下がった。
「まぁ、その話はあっちでやっているようだからいいとしよう。それで? 私達は伯爵からの謝罪を聞けば終わりでいいのか?」
「あ、い、いえ!」
早々と話を切り上げようとハーデスが急かすので、使者は慌てて懐から招待状を取り出す。
「本来であればこのような急なお申し出、誠に失礼であるとは重々承知しております。ですが、きっと十兵衛様の活躍へのお力添えに繋がると思いまして」
「それは?」
「本日行われる、オデット伯爵令嬢の生誕記念パーティーへのお誘いです」
使者はすらすらと言うべき言葉を並べていく。
曰く、このパーティーには多くの貴族が参加すること。中には政界に関わっている者や、王国騎士の筆頭もおり、十兵衛が冒険者として名を上げるために有益な繋がりを持てるよう、伯爵が率先して仲を取り持つこと。
また、丸十字ブランドの展開についても、レヴィアルディア王国内に広めていくためにエレンツィアからの貿易も協力を惜しまないこと。そしてその商品の素晴らしさについても、参加する貴族達へ広く伝えるつもりでいること。
「勿論、貴族の皆様への橋渡し役だけではなく、此度の件に関する謝罪の気持ちを込めた贈り物と、エレンツィアへの歓迎も込めて贄を尽くした食事の数々もご用意しております」
「贄を尽くした食事!」
「は、はい」
「それは楽しみだ」
殊の外食事について喜んでみせたハーデスに、この方は食べ物に興味を惹かれる人なのだな、と使者は脳内メモに刻んだ。招待客の好みを事前に調べて持て成す事こそ、ホスト側の責務であるからだ。
「お好みのものがございましたら、出来る限りご用意させて頂きます」と申し出て、もう一つ懐からカードを取り出した。
「そのカードは?」
「こちらを街の仕立て屋で見せて頂ければ、すぐにご衣裳を用意致します」
「あぁ、なるほど。パーティーに相応しい物を、ということだな」
「勿論、今ハーデス様がお召しになられている服装も十分素敵でございます。ただ、もしせっかくの機会なので新しい物をとお望みでしたら、こちらを使ってお求めになってください。代金は全てこちらで持たせて頂きますので」
「有難く受け取ろう」
オデット伯爵の署名と紋章入りのカードと招待状を、ハーデスは受け取る。ただ自分で持つ気が無いのか、そのまま隣の少女へと手渡したので、使者は今度こそ嫌悪感を表情に出してしまった。
それを目ざとく見つけた少女が、大きく溜息を吐く。
「まったく。せっかくクロイスが心を尽くして用意してくれたというのに、これの意味を為さないのが口惜しいな」
「ん? リンの服の事か?」
「あぁ」
少女――リンが、使者の前でわざとらしく袖を振って見せる。一体何を、と思いかけた所で、はた、と使者は気づいた事があった。
頭から捻じれるように生えた金色の角に、ぶら下がるようにつけられた装飾品。細い金のチェーンで繋がれた先にある深みのある桃色の宝石に、「あれはもしやピンクダイヤモンド……!?」と目を瞠った。
ピンクダイヤモンドは通常のダイヤモンドよりも希少価値が高く、滅多に市場に出回らない逸品である。そんな代物を何故亜人の少女が!? と思った矢先、使者は自身の考えがまるで見当違いなのではという可能性に思い至った。
よくよく見れば、リンが身に纏う白地の布は光沢のある絹であり、裾にいくにつれ宝石や髪の色と合わせるように桃色に染められている。それぞれの色味の合い具合からして、彼女のためだけに作られた一点ものだ。
胸元に下がる懐中時計とおぼしきアクセサリーも金で出来ており、精巧な彫りで何かが描かれている。それの示すところを目にした使者は、さぁっと血の気が下がった。
「まさか、オーウェン公の紋章!?」
「おや、さすがに知っていたか。さすがクロイス、顔が広いな」
「腐っても公爵だからな」
「違いない」
ハハハと明るく笑いあっているハーデスとリンに、使者は歯の根が合わなくなり始めた。かのクロイス・オーウェン公爵閣下をこうも呼び捨てに、かつ親しく呼べる者など、同等の位の者か友人、それよりも更に上の位の者しか思いつかない。
目の前の二人に対して、「あ、貴方様方は、一体……」と恐る恐る問いかけた使者に、リンとハーデスは示し合わせた様に腕を組んだ。
「我は竜族の聖地、ドラクレイドより参った竜姫、リンと言う。縁あって当代オーウェン公に出会い、人の世の見聞に当たって【変化】のかかった魔道具を譲り受け、今の姿に至る」
「竜族の姫君!?」
「フェルマンらは何度説明しても亜人だと思い込んで信じてくれなかったが、どうやらお前は見る目があるようだな。……で、こっちのハーデスは、」
「あー……なんか凄い奴だ」
「……毎度思うんだが、なんでそんなに語彙が無くなるんだ」
「知らん。十兵衛もスイもクロイスも毎回そう言うから、そう告げる事にしている」
それはつまり、口に出すにも憚る程の位の高い者の証左では、と使者は脂汗を流し始めた。そんな方々相手にフェルマンがやらかした事件。挽回ついでに十兵衛とのパイプ目当てで組んだ安易な策が、完全に裏目に出たことに気づく。
位の低い者ならまだいい。位の高い伯爵が下手に出て協力を申し出れば、それだけで十分な詫びに繋がるからだ。だがこれが伯爵よりも位の高い者相手だと、「とんでもない迷惑をかけたにもかかわらず、厚顔無恥にも娘の誕生日に当日アポを取り付けて箔をつけて貰いたがっている」といった意味にとられかねない。
これは非常にまずいのでは、と使者は真っ青になって「あ、あの!」と何か言い訳を紡ごうと声を上げたが、その前にハーデスがとどめを刺した。
「それでは、この件は十兵衛とスイにも伝えておこう。贄を尽くした食事とやら、楽しみにしているぞ」
――オーウェン公爵令嬢もいらっしゃるのですか――!
うきうきとした足取りで部屋に戻っていくハーデスとリンを、引き留める言葉はもう無かった。
崩れ落ちるように地に膝をついた使者は、「今日中に辞表を提出しよう」と、固く決意をするのだった。




