81話 贖いの裏に
観光客向けに作られた炊事場付きの部屋は広く、段差をつけて区切られている場所にはセミダブルのベッドが二台に、二段ベッドが二つ置かれている。今は四人しかいないが、この部屋をわざわざ取ったという事はこの一行は六人パーティなのだろうとフェルマンは思った。
神官が差し出してくれた茶に対して礼を述べつつ、テーブルを挟んで着席する十兵衛と神官を前にして、伯爵の意に沿う展開に持っていくべく必死に言葉を模索する。
本来の目的からすれば、こうしてのんきに茶を頂いている場合ではないのだが、スピーの独断専行と謝罪相手である十兵衛の不可思議な反応に勢いを削がれてしまったのだ。
こうなると勢いまかせの謝罪ではなく冷静な発言が必要になるので、フェルマンは殊の外ゆっくり茶を口に含むと、一つ嘆息して頭を下げた。
「この度は一方的な拘束、並びに投獄、その上英雄殿のご尊顔を殴りつける不始末、誠に、誠に申し訳ございませんでした」
「あぁ、いや……。あれに関してはもう諸々仕方がなかったので、わざわざ足を運んで頂かなくとも先に頂いた謝罪のお言葉で十分、」
「いいえ、いいえ! 私、此度の件を領主であられるツィルチル・ディーオデット伯爵に報告致しまして」
「は、はぁ……」
「勿論お叱りは受けたのですが、私の十兵衛様に対する蛮行に伯爵は酷く心を痛められ、どうすればお許しを得られるかと心底苦悩しておられまして。そのお姿を見て、私は己のしでかした罪の深さを再認識した次第であります」
フェルマンはつらつらと語る。フェルマンの罪を上司である自分の罪だと考え、優しいツィルチルが顔を真っ青にして思い悩んでいることがとても苦しかった事を。責任を負うのであればツィルチルではなく、まず自らが出来得る全てを尽くすべきなのではないかと思った事を。
「とても足りる物とは到底思えませんが、どうか此度の件、私の首で贖わせて頂けないでしょうか!」
「い、いえ! フェルマン様はツィルチル様にとっても大切な御方。命をと申されるのでしたら、お二人の下に仕えるこのスピーを! スピーの首を是非に!」
席を立って十兵衛の側に来るや、地面に膝をついて叩頭したフェルマンに、はっと目を見開いたスピーが慌てて駆け寄って寄り添う。亜人嫌いのフェルマンはその様子に一瞬顔を顰めたが、すぐに我慢して「そもそも何故着いてきた! お前の出る幕ではない!」と、スピーが勝手に着いて来た風に話を誘導する。
それに気付いているのかいないのか、スピーも「でも、でも……!」と涙を滲ませながらフェルマンの代わりを申し出るので、ちょっとしたお涙頂戴の場面になってしまっていた。
謝罪相手である十兵衛の言葉を受けない限り、フェルマンが頭を上げる事はない。
だから、フェルマンは気づかなかった。
――十兵衛が、冷たい空気を纏い始めていたことに。
「あいつ、怒ってないか?」
自分達は関係ないからと、二段ベッドの端に座りながらカードゲームに興じていたリンは、目の前のハーデスに声を潜めて問いかける。
カードの手が悪いなぁと考えていたハーデスは、「あぁ、そうかもしれんな」と生返事を返した。
「コラ、話を聞け。あんなの、それ以上謝らなくてもいいで済む話じゃないのか」
「私も同意見だが、十兵衛はどうだろうな」
「何か違うのか?」
「責任の取り方に己の命を持ってこられると、そこから先はあいつの領分の話だ」
そう言って手札を表に返したハーデスに、リンが「あ゛ー」と脱力した。また負けたのだ。
竜族として長い時を生きてきたリンは、こうしたゲームにもそこそこ自信があったのだが、ハーデスが強すぎた。全部のカードを覚えてるんじゃないかと思える程先の先を読んでくる相手に、リンは溜息を吐いてベッドに倒れ込む。
「己が差し出せる最上級の責任の取り方か……」
「未だに私は理解出来んがな」
カードを揃えて器用に繰り始めたハーデスの向こう、冷徹な視線を隠しもしない十兵衛を見つめながら、リンは頬杖をつくのだった。
リンが察した通り、十兵衛は怒っていた。周りが思っている数倍はブチ切れていた。
「何故俺が斬らねばならん」
低い声で告げられた言葉に、フェルマンがはっと顔を上げる。そこでようやくあった視線に、十兵衛は殺気を乗せた。そのあまりの鋭さに、騎士として長い経歴を持つフェルマンがぞっと背筋を震わせる。
「あ、あの……」
「再度問おう。何故、俺が斬らねばならん。俺は何度もそれ以上の謝罪はいらないと言ったはずだ。それでもなお貴殿が主の思い悩む姿を見て責任を感じ、己の命をと思うなら」
「何故、俺の元に首一つでやってこない」
――フェルマンは言葉を失った。
真っ青を通り越して真っ白になった顔色に加え、掌にじっとりと汗が滲む。
「忠義を尽くした主を困らせたことに責任を負う覚悟があるならば、貴殿はすぐに己の首を切り落として部下に持たせてこちらに来るべきではなかったのか。それをなんだ。生きたままやってきて俺の裁量に委ねるなど、舐めているのか」
「い、いえ、十兵衛様を軽んじる事は決して」
「主に対してだ!」
怒髪天を衝くように怒鳴って立ち上がった十兵衛は、鬼気迫る勢いでフェルマンに相対する。
「報告をして叱られたと言ったな。だがそれだけで解放されたのであれば、伯爵は貴殿にそれ以上の贖いを望んでいなかった事になる。だったらより一層の忠義に励む事こそ、伯爵への御恩に報いる道だろうが! それを勝手な思い込みと行動で俺の元に来て命を差し出すなど、馬鹿にしているのか!」
「わ、わ、私は……」
「そもそもやり口が卑怯なんですよね」
それまで黙するに努めていた神官が、ぽつりと呟いた。そのあまりに剣呑な様子に、怒っていたはずの十兵衛がはっと息を呑む。
釣られて視線を神官に移したフェルマンは、人の好さそうな空気から一変、為政者然とした様子にあっけに取られた。
「十兵衛さんが許さないわけがないじゃないですか。そもそも謝罪は結構と申し上げているのに、命なんて大それた物を持ってきて下手な芝居を打って慈悲を乞う始末。どこぞの誰かの筋書きですか?」
「な……!」
「十兵衛さん、オデット伯爵のために怒らなくても大丈夫です。きっとこの人と伯爵は結託してここに来てますから」
「な、なにを仰る! これは私の意志で……!」
「当てて差し上げましょうか。この後、オデット伯爵からの使者が来ます」
フェルマンの背に汗が滲んだその時、部屋の扉をノックする音が響いた。手持無沙汰にしていたリンがさっと駆け寄り、応対する。
「ご名答だ、スイ。オデット伯爵から十兵衛に謝罪の使者だと」
「そうでしょうとも」
堂に入った装いで神官――スイがティーカップに入った茶を口にした。
「フェルマンさんが十兵衛さんに己の命で贖おうと謝罪を申し入れる。それ以上の対価を求めれば、十兵衛さんの名を落とすなんとも恐ろしい謝罪方法ですね。でも本当は配下の命を差し出した伯爵にも業が返ってくる悪手ですから、貴方の勝手でやってきたこととし、別件で使者を送って再度部下を制せなかったことの謝罪を重ね、断りづらい状況を作り上げて伯爵邸に招く口実を作る」
「……!」
「エレンツィアとリンドブルムはお隣さんですもんね。オーウェン領とオデット領もまた然り。十兵衛さんの名と商品の噂は、さぞかしそちらに届いていることでしょう。良い関係を築き上げたいお気持ちは重々分かりますよ」
「だ、黙っていれば勝手な事を……!」
怒りと焦りで顔を真っ赤にしたフェルマンが、礼も忘れて立ち上がる。なおも椅子に座ったままのスイは現役騎士の怒りにも冷静なようで、その様がまたフェルマンの苛立ちに火をつけた。
十兵衛ならまだしも、何故神官の少女にこうも言われねばならぬのかと鼻息を荒くして憤る。
「神官殿に口を挟まれる謂れはない! そもそも何を知った風に!」
「知った風、ではなく知っているのですよ」
そう静かに告げたスイが、おもむろに立ち上がる。
そうして、神官の制服のスカートを静かに摘み上げると、完璧な屈膝礼をフェルマンに見せて微笑んだ。
そのあまりの迫力たるや筆舌に尽くしがたく、この場にいる全員が少女の醸し出す他を圧倒する気迫に、完全に飲まれてしまった。
「申し遅れました。私、オーウェン領が領主、クロイス・オーウェン公爵の娘の、スイ・オーウェンと申します」
「どうぞ、お見知りおきを」