80話 抜き打ちチェック
「スイはこの後、どうするんだ?」
遅めの朝ご飯を終えた後、皿拭きを手伝いながらリンが問う。皿洗いはスイが、片付けるのは背の高いハーデスが担当だ。始め、ハーデスは手渡された皿を転移魔法でひょいひょい戸棚に送っていたのだが、リンから「それぐらい魔法を使わず自分でやれ!」と叱られたため、今は皿を重ねてはいそいそと動き回って片付けをしている。
ガラドルフとアレンは後日行われる儀式のために、バブイルの塔へ書類の提出に行った。しばらくすれば見送りに出た十兵衛も戻ってくるので、その後の予定となるとスイの用事に付き合うぐらいのものしかない。
問われたスイは、皿洗いを続けながら「うーん」と首を傾げた。
「そうですねぇ、カガイ神官長からの任務がありますから、教会が閉まる夕方に一度顔見せに伺おうと思ってます」
「閉まってからでいいのか? 開いてる時ではなく?」
「開いてる間は、信徒さんのお祈りの対応やその他の仕事に支障があるでしょうから。夕方以降であれば、ちょっとした雑務と簡単な掃除、それからお夕飯の支度で終わるはずです」
「だから、お時間を取らせて頂く代わりに、お夕飯は持参して伺おうと思ってますよ」とスイは微笑んだ。
「どういう任務なんだ?」
「ものすご~く簡単に言えば、今困っている事はないですか? ってお聞きするようなものですね」
奇跡には格がある。それは神官のこれまでの貢献度に比例して使用出来るようになっていた。
だが、奇跡に格があるように、神官も同様に格がある。すなわち、低位の神官よりも高位の神官が、高位の神官よりも神官長の方が、使用できる奇跡の幅も強さも変わるのだった。
「私達神官は総じて『神官』と呼ばれますが、神官の中でも特に高位の奇跡が使える神官を『高位神官』と呼んでいます」
「低位や中位などはないわけか」
「そうですね。人を思う神を慕い、人のためにと尽くす神官に低位や中位というあからさまなランク付けは失礼だという風潮があって、そのようになったと聞いています。ただ、高位神官が分けられているのは、純粋に数が少ないからでして……」
「色んな事が出来るぞ、という顕示は大切なことだ」
「そういうわけです、ハーデスさん」
高位神官は数が少ない。神官の働く場に高位神官が赴き困りごとを聞いて回るのは、神官達が手に負えない案件を肩代わりする役目もあった。
「例えば、今ここに五十人の怪我人がいるとします」
「五十……」
「高位神官ではない神官は、実力のばらつきはありますが、一日で多くて十人から十五人程の怪我人の治療が出来ます。傷の具合にもよりますが、おおよそと考えてください」
「ふむふむ」
「高位神官であれば、一瞬で五十人完治できます」
「……は!?」
驚いて声をあげたリンに、「こういうとなんか私が自慢したみたいに聞こえるんですが、変に思わないでくださいね」とスイが苦笑した。
「カガイ神官長はもっとすごいですよ。神官長の中だと世界トップの実力だと思います。噂では枢機卿をもしのぐとかなんとか」
「いやまぁアレは……」
「そうだろうとも……」
カガイ神官長の絶技をその目にしているリンとハーデスは、同時に深く頷いた。魔法と奇跡を同時に扱える者など、今まで聞いたことも見たこともない。真実超越者の実力を目の当たりにしている二人は、それ以上を語らず、黙するに努めた。
だが、その絶技を知らないスイは、「あのやたら豪奢で階段のなっがいルナマリア神殿建てたの、ぜぇったい信徒の大幅獲得のためだと思いますけどね!」と、カガイの狡猾さと日々苦しめられている階段にぷりぷりと口を尖らせる。
「そんなわけでして、高位神官が神官の働く現場に赴くのは大切なんです。もし現地の神官には荷が重い事態が発生していれば長期の滞在も必要になりますし、逆になんとかなるけど人が足りないという事が分かれば、他の地からの派遣も視野にいれます」
「人手が足りないのは現場の者も分かるのでは? 要請はこないのか?」
「あるにはありますが……なんと申しますか、誰しもより高位の奇跡の獲得がしたいわけですよ」
「ライバルが増えるのは嫌だ、というわけだな」
「はい……」
高位の奇跡は、レナ教の信徒の獲得が鍵となる。それはすなわち、神官が増えれば増える程、現地の『信徒でない人間』の取り合いに発展するのだった。
「お恥ずかしい話なんですが、明らかにキャパオーバーなのに神官を増やさず、痛みに苦しむ患者の治療を疎かにして信徒の獲得に励む神官もいるんです。高位神官はそういう事件が発生してないかを調査する役目も担ってるわけです」
「はー……。つまり、困っている事はないですか? という質問は『今から全部暴くから覚悟しろ』という脅しでもあるわけだ」
「いや、え、あう」
「恐ろしい上司だな、スイ」
「も、もう! 高位神官は時には怖い顔も必要になるんです!」
「仕事なんですから!」とぷいっと顔を背けたスイに、リンとハーデスは可笑しそうに笑った。
「しかし、そうだとしたら抜き打ち検査が重要になるのだろう? 今からこっそりチェックするとかしなくていいのか?」
「普通ならそうなんですけど、朝方のあの事故で高位神官が来たってのはもうバレちゃってますから……」
「ああ……」
遊覧船に乗っていた百人近くの乗客を診て治療したのは、スイとガラドルフだ。ちょっとした擦り傷程度の者にはアレンの持っていた簡易な消毒薬で対応してもらったものの、多くの者は奇跡が必要な怪我具合だった。
その全てを治療し終えたスイの存在は、名は知られずとも高位神官が来た証明に間違いなく繋がる。もし何か隠しごとのある教会なら、今頃必死で隠蔽工作しているんだろうなぁと遠い目をしたスイは、雲行の悪くなった任務遂行に深く溜息を吐くのだった。
「というわけで、開き直って教会の一日の仕事が終わってから堂々と行こうと思ったんです」
「ようやく夕飯だ~と気が緩んだ所に乗り込むわけだな」
「やり手だな」
「あぁ、相当なやり手だ」
「もー! あーいえばこーいうんですからー!」
「今日の二人のおやつは抜きです!」と頬を膨らませたスイが、ぷんぷんと肩を怒らせながら皿洗いを終えて外に出ようとする。それに慌てた二人が「わー! スイごめん!」だの「おやつ抜きは困る!」だの言いながら追いかけた矢先、三人の目の前で扉が開いた。
「あれっ? 十兵衛さん?」
「あ~……すまない。客人なんだが、今から出かける予定だったか?」
「いえ、二人がからかってくるから十兵衛さんの所に避難しようと思っただけなんですが……」
そう言いながら、スイはおもむろに十兵衛の後ろへと視線を移す。
そこに居たのは、十兵衛を殴りつけた騎士と、金色の首輪を身に着けた亜人の姿だった。
「……っ!」
中でも、亜人を目にした瞬間、スイの顔に怒りが滲む。
その表情の変化にはっと息を呑んだ十兵衛だったが、スイはすぐにいつものにこやかな表情に戻ると、「どうぞ中へ! お茶をお出ししますよ」と明るく笑ったのだった。