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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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75話 もう嫌いになりたくないから

「へっくしゅん!」


 冷えた身体の生理現象で、大きなくしゃみが飛び出る。

 スンスンと鼻を啜った十兵衛は、壁に拘束されている手首を見上げながら小さく溜息を吐いた。


 この牢に入れられる前、預けた刀以外に凶器を持っていないかと検められた時「どうして上半身の服まで持って行くんだ」と謎に思っていたが、今になってよく分かる。これも一種の罰なのだ。日の光も入らない窓の無い牢獄には暖を取れる物が何も無く、身を震わせる事で耐えるしかない。

 ハーデスの祝福のおかげで風邪を引かない身体ではあるが、「それでも寒いもんは寒い!」と内心で愚痴を垂れながらぐったりと項垂れた。


 そんな中で、十兵衛は少しだけ目線をあげて正面を見つめる。

 鉄格子を越えた通りを挟んで向こう側に、今は誰もいない牢獄があった。


 ほんの少し前まで、そこには十兵衛と同じく捕らえられた罪人がいたのだ。

 ハーデスが来る前に牢から連れ出されていった男に、ぼんやりと十兵衛は思いを馳せる。







「おや珍しい。お隣さんが来るとはな」


「どちらかと言えば真向かいさんかな」とかけられた声に、十兵衛は片眉を上げた。

 牢に拘束した騎士達が去った後のことだ。声のする方に目線をやれば、鉄格子の向こう側にうっすらと人影が見えた。

 壁に備え付けられている燭台の小さな明かりしか頼りになる光源は無い。それでもしばらくすると目が慣れてきて、そこで十兵衛は視線の先の牢獄に一人の男がいることを知った。

 破れが目立つ布地の服を身に纏った男は、長らく手入れも出来ていないのか深い緑色の髪も髭も伸び放題の有様だった。

 だが、顔にかかる前髪の隙間から見える目は強い光に満ちており、橙色の輝きに惹かれる物を感じる。

 年までは分からなかったものの、自分と近いか、それより上の者だろうと予測を立てながら「そのようだ」と軽く返事を返した。


「ここの騎士に上の服まで剥ぎ取られるたぁ、よっぽどだぜ。一体何をやらかしたんだい」

「跳ね橋と遊覧船を壊した……犯人の代わりに、冤罪を受けている所だ」

「ワハハ! 下手打ったもんだ!」


「違いない」と十兵衛は苦笑する。


「そういう貴殿はどうなんだ。そちらこそ下手打って今そこにいるのでは?」


 格好からして、牢獄においては大先輩だろうと目を細める。

 そんな十兵衛に、男は「確かに大きな下手は打ったな」とにやりと笑った。


「この町じゃない所へ運んじゃいけねぇもんを運んだんだ」

「何を運んだんだ?」

「聞くかい?」

「……そこまで言われたら聞きたくなるさ」

「亜人だよ」


 男の言葉に、思わず目を見開いた。


 亜人とは、魔物と人間の間に生まれた者の事だ。

 クロイスの話を聞く限り、人にも魔物にも馴染めず迫害を受けている彼らは、その見目の珍しさから人身売買の対象となることも多いという。

 ()()()()()の者か、とぐっと眉間に皺を寄せた十兵衛に、男は悪びれなく「良い値で売れるんだよなあ」と面白そうに笑った。


「それでここの騎士達に捕まったのか。当然の結果だな」

「おいおい、勘違いしてくれるなよ」

「勘違い?」

「エレンツィアの領主は亜人売買の推奨派だぜ? 良い奴隷になるからな。ここはガデリアナ大陸に通ずるレムリア海に面した港町だから、そういうのがやりやすいってわけよ」

「…………」

「そんな領主様のご意向に逆らっちゃあ、そりゃ捕まるってもんだわな」


 ――意向に逆らった。

 それはつまり、彼の行いは正道を貫いたものだったのでは、と十兵衛は目を瞠る。

 そんな十兵衛に対して、男は肩を竦めて小さく笑った。


「早合点はすんなよ。俺は長年領主の命に従ってきた。……だが、ちぃと前によ、船の中で産気づいた亜人が居たんだ」


 ――男は語る。

 ガデリアナ大陸から脱出した亜人達は皆大きな船など用意が出来ず、小舟でレムリア海を渡ろうとする。

 そういう船を、隠れ蓑である漁の傍らで片っ端から見つけては巨大な帆船に拾い上げ、救ったと見せかけて売り飛ばすのが男の仕事だったという。

 裏切られたと憎悪にまみれた視線を向けられるのにも慣れた頃、船の中で産気づいた亜人が居た。

 船には薬師や治癒師はいたものの、助産師などいるわけがない。赤子連れの亜人など売れるわけもなく、この場で出来る事もないことから放っておけと言った仲間達に反して、男は思わず手伝ってしまったのだという。


「……妻によォ、その亜人がむかつくぐらいに似てたんだ」

「…………」

「お産で貴重な水は使うわ、綺麗な布は無くなるわで大変だったよ」


「でも可愛かったんだ」と、男は穏やかに笑った。

 生まれた赤ん坊は、とても可愛かった。

 母親に似た赤い髪に、猫のような耳が頭のてっぺんについていた。

 尾てい骨の上には丸い尻尾が生えていて、膝から下がまるでうさぎのような変わった足をしていた。

 そんな、どう見ても人とは違う赤ん坊が。――初めて生まれ落ちた世界に、大きな泣き声を上げた赤ん坊が。


 ――男には、どうしても、どうしても可愛く、愛しく、そして尊く思えてしまったのだという。


 貴重な真水を使った産湯に浸からせ、おくるみに包んで抱き上げた、しわしわで、小さな、どうしようもない程幼い命。


 それを見た瞬間、男は何もかもが厭になった。

 己の今までやってきたことの全てに、嫌悪を覚えてしまったのだ。


 男は知っていた。良い人間に助けられたと思い込み、気を許した亜人達に聞いた隠れ里の事を。

 そこに行けば亜人達は人にも魔物にも迫害を受けず、穏やかな暮らしが送れる事を。

 その夢のような場所に、この小さな赤ん坊と母親を、どうしても行かせてやりたくなってしまったのだ。


 だから男は、エレンツィアに着く直前、仲間達の食事に薬を盛り、全員を小舟に乗せて海に放り出した。

 そのまま帆船に乗っていた亜人達に協力を要請し、船を操舵して隠れ里に程近い陸にまでなんとか彼らを送り届けたという。


「で、俺はここに戻って来て今に至るってわけだな」

「……逃げなかったのか」


 そのまま船を放置して自分も隠れ里に逃げれば良かっただろうに、と十兵衛は思う。だが、男は「できるかよ」と天を仰いだ。


「俺をただの漁師だと思ってる妻が町にいるんだぜ? そのまま逃げたらどうなるか馬鹿でも分かるだろ」

「……だから選んだのか。己の死に続く道を」


 ――何故自ら死を選ぶ。


 そんなハーデスの問いに近い言葉が己の口から飛び出た事に、十兵衛は驚きつつも静かな気持ちで男の答えを待った。

 十兵衛の問いかけに「そうだなぁ……」と口角を上げた男は、言葉を選ぶようにぽつりぽつりと呟く。


「妻のためって言っちゃあ綺麗に聞こえるが、ちと違う気もするな。だからといって、これまでの亜人達に対して死で償おうなんて思っちゃいない。アレが俺の仕事だった、それだけの話だ」

「だったら……」

「……それでもこの道を選んだのは、きっと、これ以上自分を嫌いになりたくなかったからだ」


 橙色の目を細めて、「そうだ。そうだ、これだ」と男は笑った。

 そんな男の様子に、出された答えに、十兵衛は目を丸くして見つめる。


「もう嫌いになりたくないんだ。俺は今までの仕事だってちゃんと誇りを持ってやってきた。そんな自分を、今の……これからの自分は、きっとずっと否定する。それがもう、嫌なんだ」

「…………」

「だから、『俺』をここで終わりにしたくて、この町に帰ってきたんだと思う」


 そこまで言って、男は口を噤んだ。足音が聞こえたからだ。

 牢屋の入り口の扉が開かれ、続々と鎧を着た騎士達がやってくる。

 

「なんだ、起きていたのか」

「そんなドタドタ来られちゃ起きるぜ」

「フン。まぁ丁度良い。時間だ、来い」


 乱暴に騎士に立たされた男が、手錠に繋がった鎖を引かれて牢獄から出される。

 そのまま黙して出て行こうとした男に、十兵衛は思わず「どうして、」とだけ声をかけた。

 何故自分にあんな話をしたのか、聞きたくなってしまったのだ。


 だが、今ここには騎士達がいる。よくない質問だったと内心で反省した瞬間。


「ただの証さ」


 と、男が呟いた。

 それにはっと目を瞠った所で、「何を喋っている!」と騎士が割り込み、強引に男を連れて行った。

 残された十兵衛は空き部屋となった牢獄の鍵を閉めている騎士に、「あの男はどうなるんだ」と問いかける。


「なんでそんな事が知りたい」

「……己の身に起こりうるかもしれない事を知りたいと思うのは、おかしいか?」


 十兵衛の言葉に、騎士はふんと鼻で笑った。


「殊勝な事だ。まぁ、あの罪の深さではお前もそうなる可能性もあるからな。いいだろう」


「絞首刑だ」と、騎士は事もなげに言った。


「絞首刑……」

「罪人は墓にも埋葬せんからな。勿論、女神レナ様の元にも行かせない。故にアンデッドになっても大丈夫なように、船を出して外洋で重しをつけて海に沈める。人目の無い時間帯に済ませるのはそのためだ」


「お前もせいぜい己の行いを悔やむんだな」とだけ言い放って去って行った騎士の背を、十兵衛はなんともいえない表情で見送った。








 そんな事を思い出していた十兵衛は、その時に聞いたような足音を耳にした。だが、記憶よりも随分慌てたような足音が牢屋内に響き渡り、がちゃがちゃと乱暴に扉が開かれる。

 十兵衛の拘束された牢獄の前へと走り込んできたのは、頬を殴ったあの壮年の騎士だった。


「十兵衛様! この度は大変! 大変申し訳なく……!」

「へ?」

「無罪放免だ、十兵衛」

「ハーデス!」


 騎士団長の後ろから、ついさっき見送ったばかりのハーデスが現れた。

 もう済んだのか、と感心する十兵衛の手錠を、騎士が慌てながら外しにかかる。


「まさかカルナヴァーンを討った英雄殿だとは露知らず……! 罪を着せて牢に繋ぐなど誠に申し訳ございません!」

「あぁ、いや……誤解が解けたならいいんだ。……へくしゅん!」

「あああ申し訳ない! すぐにこちらで預かっている装備をお持ちします!」


 拘束を解かれて立ち上がったものの、寒さからまたくしゃみが出る。

 そんな十兵衛の様子に再度謝罪した騎士は、また元の道を大急ぎで駆け戻っていった。

 それを見たハーデスは仕方なさそうに己の黒衣のコートを脱ぐと、十兵衛の剥き出しの肩にかけてやった。


「なんだ、妙に優しいじゃないか」


 遠慮無く袖を通した十兵衛に、ハーデスは肩を竦める。


「半裸の者の隣でぬくぬくと服を着込んだままいるなど、顰蹙を買いそうだからな」

「ははは。あ、くそ、腕長いなお前」

「身長が違うから当然だろうが」

「お前がでかすぎるんだ。……いや、まぁお前だけとは限らんが」


 日本人と比べて、この世界の人間は高身長の者が多い。

 それが食物における栄養の差だと知る由もない十兵衛は、ハーデスと並び立ちながら騎士を待つ間、ぽつりと小さく呟いた。


「これ以上自分を嫌いになりたくないから、死を選ぶんだと」

「……何?」


 ぴくりと眉を跳ね上げたハーデスに、「お前が来る少し前まで、そこの牢獄に罪人がいたんだ」と十兵衛は言葉少なに語った。


「新たな価値観を得た事で、今までの自分の事をこれからの自分はきっとずっと否定するだろうと。それが嫌だから、ここで『自分』を終わりにしたいのだと、その男は言っていた」

「……そうか」

「……いつか新たな価値観を得たら、俺もそう思う日が来るのだろうか」

「…………」


 ぼんやりと人のいなくなった牢獄を見つめる十兵衛の隣で、ハーデスは語る言葉を見つけられないまま黙して目を伏せる。

 生きる事で新たに得た『知』の示した道を否定する言葉を、死の律は持ち合わせていなかった。

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