74話 律の手品もどき
「ハーデス!」
転移先に降り立った途端、ハーデスの尻に衝撃が走った。リンが飛びついたのだ。
竜の突進にもあたる勢いのため普通なら吹っ飛ぶ所を、ハーデスは大してぐらつきもせず受けとめて振り返る。
「おいリン。私だからいいものの、その勢いは怪我人が出るぞ」
「それどころじゃないのだ! 十兵衛が!」
「捕まったのだろう? 本人から聞いてきた」
大慌てで説明しようとするリンは、その背に十兵衛の打刀を背負い、懐刀を手にしていた。預けたのか、と思いつつ、リンを制してハーデスはぐるりと辺りを見回す。
降り立った場所は、芝生の広がる公園の様だった。人々が列をなすように並んで座り込み、痛む箇所を押さえて呻いている。それを順番に診て回っているのが、スイとガラドルフとアレンの三人だった。
丁度近くの怪我人を診ていたスイがハーデスの存在に気づき、「ハーデスさん!」と驚いたように声を上げて駆け寄ってきた。
「ハーデスさん! あの……!」
「大丈夫だ。諸々は十兵衛から聞いてきている。お前は治療に専念するといい」
「は、はい。あの、十兵衛さんは……」
「私が見てきた感じでは大丈夫だったぞ。まぁ、半裸で殴打の傷も残ったまま拘束されていたから、なるべく早く出してやりたい所だが」
「殴打……」
眉を顰めたリンに、スイも息を呑んで黙り込む。
その様子に何かあったことを察したハーデスは、とりあえずスイを送り出してリンに話を聞く事にした。
***
「だから! さっきから言ってる通り、みんなを寝かせた悪い奴がいたんだ! そいつのせいで船長が寝ちゃって、俺がなんとか船を止めたのに馬鹿ちんの魔法使い様がまた暴走させたの!」
アレンが必死に言い募る言葉に、騎士達は難しい顔をして黙り込んだ。
ハーデスが到着する一時間ほど前の事だ。エレンツィアの海へと続く跳ね橋を破壊して止まった遊覧船を騎士達が取り囲み、怪我人の搬送や事情聴取を行っていた。
怪我人はエレンツィアの住民達が憩いの場として親しむ近くの公園へと運ばれ、ガラドルフとスイが中心となり診て回っていた。命に関わるような大怪我を負った者はいなかったので子供や高齢者から順に診ていたものの、痛みのせいか苛つきを抑える事が出来ず怒号が飛び交う有様だった。
それを何とか宥めつつ、もしくはガラドルフが怖い顔をして押さえつつ治療している中で、事情聴取の矛先はリンとアレン、そして十兵衛に向けられていた。
「だがな少年。その犯人も、暴走させたという魔法使いも、今はいないのだろう?」
「犯人は転移魔法で仲間が連れて行った。その時はまだオーウェン領だったからな。だが、そいつがどうも要人が追っていた者のようだったため、直接引き渡したからおそらく表立っては伝わっていない」
事を荒立てないよう嘘も交えつつ事実を伏せるリンに、騎士を率いてきた壮年の男は眉を顰める。その様子を見ながら、十兵衛は「これは説得は難しそうだ」と内心溜息を吐いた。
皆を眠らせた犯人もいなければ、乗り継ぐ船に間に合わないからとかっ飛ばした魔法使いももういない。そんな中で残されたのが、最初に船が暴走した時に操舵を買って出た三人と来れば、無茶な言い訳をしているように思われても仕方のない状況だった。
どうしたものかと肩を落とした所で、壮年の男が「そもそも亜人の言う事を信じろというのが難しい」と鼻で笑った。
「……何……?」
「半魔半人風情が。人々を寝かせて喰うつもりだったのではと考える方がまだ納得できるわ」
「今はこのような姿に身をやつしておるが、我は竜だ。人は喰わん!」
「竜とは大きく出たものだ!」
わっはっは! と声を上げて笑う男に、釣られるように騎士達も笑い声を上げる。十兵衛はクロイスが懸念していた亜人の現状を目の当たりにして、思わず目を瞠った。
リンは、亜人だと思われ迫害されないよう、十二分な程着飾っている。高価な布地に、色とりどりの宝石を用い、彼女自らの美も相俟って目を惹くような美しさを誇っていた。にも関わらず、「罪を犯した者」という色眼鏡が掛かると、その一切が効かなくなってしまったのだ。
なるほどそう来るわけだ、と十兵衛は独り言ちると、息巻くリンの肩に手を置き、ずいと前に出た。
「この場合何が罪となる? 跳ね橋と船を壊したことか? 怪我人を出したことか?」
「その全てだ。なんだ、罪を認めるのか?」
「やってもない事を認めるのは癪だが、そういうことで収めよう。そもそも船長室の鍵を壊したのは俺だ。アレンに操舵を指示したのも、リンに水魔法で船を維持して貰ったのも全て俺の指示だ」
「でも! 俺が動力を壊したから……!」
「何? では少年のせいではないか」
「その結果に繋げたのは俺だ」
戸惑うアレンを、安心させるように頭を撫でて背に庇う。そんな十兵衛の様子に片眉を上げた男は、部下から手錠を受け取りその手首にかけた。
「十兵衛……!」
「先に聞いておくが、今しがた語った一切を元の通りに戻せば、罪には問われんな?」
「元の通りに出来るのならな。おい、連れていけ」
「あ、待ってくれ。これだけ預けておきたい」
そう言うと、十兵衛はリンに打刀と懐刀を手渡した。
次元優位のかかった装備だ。没収されるにしても危険すぎるそれを、信用できる者に預かっておいて欲しいと願う十兵衛に、リンは難しい顔をして頷いた。だが、騎士の男はそれが不満だったのかぬっと大きな手を伸ばす。
即座に反応して刀を抱えて飛び退ったリンは、唸り声を上げて尖った歯を剥き出しにした。
「貴様……!」
「いい加減にせよ。罪無き男が身柄の確保だけで収めようと心を砕いておるのに、何故それ以上を求めるか!」
「船長室の鍵を壊したと自白したんだぞ。犯行に使ったと思われる武器を検めるのは当然だ! 寄越さんか!」
最早奪うというよりも殴りかからんばかりだった。男が勢いよく伸ばす手から、リンは素早く跳んで逃げ回る。
そのすばしっこさにかぁっと怒りで顔を赤らめた男は、本気でリンを殴り飛ばそうと大きく拳を振りかぶった。
――が、その拳が少女の顔に届く前に、割り入った者がいた。
「っ! 十兵衛!」
手錠をかけられていた十兵衛が、リンに向けられた拳をその顔で受けたのである。
青ざめたリンと呆けた男の間で、十兵衛は歯で切った口の中の血を吐き出すと、静かな目で騎士を見つめた。
「……この方を見た目のみの判断で亜人と軽んじるのはやめておけ。聖地より参られた竜の姫だ」
「な……!」
「貴殿の短慮が国を傾ける火種となりかねん。お怒りはご尤もだが、ここはこれで収めてはくれないか」
首元から身元証明書である銅板付きのネックレスを取り出した十兵衛は、その後ろに刻まれたオーウェン公の特別な紋章を見せる。
それに目を瞠った男は誤魔化すように一つ咳払いをすると、「連れていけ」と言葉少なに部下に指示をして十兵衛の背を押した。
「すまんが、ハーデスに宜しく頼む」
もはや、唯一全てを無かった事に出来る男に、後の事を任せるしか他無い。
それを重々理解しているリン達は、連行されていく十兵衛の背を見送りながらぐっと唇を噛み締めたのだった。
***
「上手くやったものだ」
「殴られる必要はなかっただろう!」
説明を受けたハーデスが感心するのとは反対に、リンが憤慨するように地団駄を踏む。
「何故だ。これで事実お前が竜の姫だと知れ渡れば、その男を十兵衛が庇った事になり恩を売れるだろうに」
「人の話をこれっぽっちも聞かない男に売る恩なんてあってたまるか!」
憤懣遣る方無い風に歯噛みするリンに苦笑しながら、ハーデスは「ともあれ、」と目線を前方にある跳ね橋の方へと向けた。
「まずはアレをなんとかすればいいんだな?」
「……あぁ。頼めるか」
「勿論だ。リンはスイの護衛を頼む」
「了解だ」と頷いたリンを置いて、ハーデスは事故のあった跳ね橋へと転移した。
転移先の跳ね橋では事後処理中なのか瓦礫の後片付けが始まっており、現場検証をしている騎士達が方々散って書類に書き込みを行っていた。
リンが衝撃を和らげたとはいえ、跳ね橋の鉄骨はひしゃげ、基礎部分が剥き出しとなった見るも無残な有様だ。よくもまぁ死人が出なかったものだなと、死の律ながらも感嘆の息を吐いたハーデスは、きょろきょろと辺りを見回した。
近くで瓦礫の片づけをしていた騎士を見つけると、「作業中すまんが、ここの責任者はいるか」と問いかける。話しかけられた騎士は顔を上げて、ハーデスを目に留めた。
「責任者?」
「あぁ。これよりここの修復を行いたいと思う。出来れば責任者の監視の元やりたいのだが」
「修復……?」
「一体何を言っているんだ」と怪訝そうに眉をひそめる騎士に、ハーデスはうーんと悩むように首を傾げる。
そこで、足元に落ちていた小枝を拾い、ぽきりと両手で折った。
「ここに折れた小枝があるだろう?」
「はぁ……」
「それをこうする」
ぱちんと指を鳴らす。すると折れたはずの小枝が見る間に元の一本の小枝に戻り、騎士は目をぱちぱちと瞬かせた。
「ということを、これよりこの跳ね橋に行おうと思っている」
「手品でどうこう出来る話じゃないんだが!」
「……えぇ……」
「こっちは忙しいんだ!」と肩を怒らせながら騎士は去ってしまった。その背を呆然と見送ったハーデスは、深く溜息を吐くと眉間に皺を寄せる。
「では勝手にやらせて貰おうじゃないか」
そう宣言したハーデスは、時間魔法を行使するべく目を閉じた。
座標を確定。時刻はリンに聞いた話を参考に。必要な情報を脳裏に描いたハーデスは、勢いよく指を鳴らす。
「な! なんだぁ!?」
「うわあ!」
その途端、あちらこちらで戸惑うような叫び声が上がった。瓦礫が急に浮かび始めたからだ。
淡い緑色の光に包まれた瓦礫と跳ね橋は、驚く人々の目の前で見る間に元の形へとその姿を変えていく。
崩壊された事実などまるで無かったかのように昨夜のままの姿を取り戻した跳ね橋を、エレンツィアの騎士達は言葉を失ったまま目を丸くして見つめていた。
「次は船だ。遊覧船はどこにある」
指を弾いた姿勢のまま、ハーデスは居丈高に問いかける。
その迫力と声色、そして今成して見せた偉業の凄まじさに騎士達は慄き、「こちらです!」と声を揃えてハーデスを遊覧船のある船渠へと案内するのだった。




