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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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73話 人工急流下り

 丸羊(カロブ)の串焼き屋台を商う、フォガの朝は早い。

 朝焼けに空が染まり始める頃、フォーリ区画の通りに面した出店場に屋台車を設置し、保冷効果のある魔道鞄から昨夜の内に下ごしらえした熟成肉の塊を取り出し、準備を始める。


 同じ厚み、同じ大きさで切り分けた肉は、まな板の上に五個ずつ縦一列に並べていき、少し塩を多めに振って下味をつけた。

 そこから串打ちを始める前に、屋台車に仕舞ってあった椅子を取り出し、「よっこいしょ」という掛け声と共に腰かける。串を真っ直ぐ入れるには、視線の下がる座り作業の方が向いているのだ。

 肉の重心をとらえ、繊維に垂直に串を刺す。ここで上手く出来ないと、焼き入れ時に肉がくるくると回転してしまって焼きムラが出来てしまう。プロとしてその失敗は頂けないため、慣れた作業とはいえフォガは真剣な表情で串打ちに専念していた。


 今日卸す半分の量が終わった頃合いで保冷庫に戻し、最初の十本を焼き始める。パンに挟むためだ。

 いつもはす向かいに出店するパン屋は、この通りを行き交う客を取り合うライバル店であるが、共同戦線を張った相方でもあった。そこのパン屋が出しているもちもちとした食感の白パンが大変人気で、ほんのりと甘い白パンとスパイスの効いた丸羊(カロブ)の串焼き肉がこれまた非常によく合うのだ。

 白パンの中央に切れ目をいれ、シャキシャキとした瑞々しい葉野菜――レタピと共に、串から外した丸羊(カロブ)の肉を挟む。そうして出来上がる丸羊(カロブ)バーガーは、朝早く出勤していくフォーリ区画の住民に人気の朝食だった。

 焼き終わった先から肉を串から一つずつ外し、手慣れたようにパンに挟んでいく。二面にだけ切れ目が入った真四角の紙ナプキンに挟んで、ガラス戸付きのケースにトレイごと並べていた矢先、ふと目の前に影がかかった。

「もう客が?」と思いつつ、にこやかな笑みを浮かべながら「いらっしゃいませ~!」と顔を上げたフォガは、目の前の光景に思わず固まった。


「は、は、ハーデスの旦那!?」


 リンドブルムの街で馴染になったハーデスが、ぼろぼろの有様で立っていたのである。

 いつもきっちりと着込んでいる襟の立った黒衣のコートは鋭利な刃物で切られたのか破れが目立ち、青白い髪の毛の先がところどころ焦げてちりちりになっている。

 疲労困憊なのか表情もいつもよりはげっそりとしていて、フォガは慌てて自分の尻の下にあった椅子を取り出すと心なしか項垂れているハーデスへと差し出した。


「だ、大丈夫かい!? とりあえず座りな! 神官を呼んで来ようか!?」

「いや、いい。それより串焼き……あ、それも商品なのか?」


 どう見ても食べ物より治療が最優先の姿にも関わらず、ハーデスの視線はケースの中に並べられた丸羊バーガーに釘付けだった。ハーデスはポケットから銀貨を取り出すと、困惑しているフォガに握らせる。


「これで足りる分だけくれないか。旨い物を食べずにやってられない気分なんだ……」

「そ、そりゃ構わないがよぉ……」


 釣銭を渡しながら、フォガは今作ったばかりの丸羊バーガーを全てハーデスに渡す。差し出された椅子に座りながら大きな口を開けてパクついたハーデスは、白パンと丸羊肉の奇跡のようなマリアージュに、ほわわんと頬を染めて身体の力を抜いた。


「旨い……!」


 凄いスピードで、作ったばかりの二十個の丸羊バーガーがあっという間にハーデスの胃に消えていく。大食漢とはスイから聞いていたものの、そのあまりの清々しさに笑ってしまったフォガは、「よく噛んで食べてくれよ~」と言いながらサービスでアイスティーを出してやった。


「旦那の口にあって何よりだ。それよりもほんとに大丈夫なのかい? まだ朝は早いけど、旦那だったらルナマリア神殿も開けてくれると思うぜ?」

「後で戻すから大丈夫だ。食べたらすぐに十兵衛の所に行かないと」

「なんとまぁ……」


 十兵衛達が旅立ったとは風の噂で知ってはいたが、その先であのハーデスがこんなにもぼろぼろになる程の事態が発生していたのかと眉を顰める。

 だが、その上で元気の糧となる食べ物を求めて自分の店へ寄ってくれた事実が嬉しく、フォガはくっと目頭を押さえると、「俺、これからも店頑張るからよ、いつでも食いに来てくれよ!」とハーデスに告げた。


「あぁ。必ずまた来るとも。なにせお前の丸羊の串焼きは世界――いや、次元を救った食べ物だからな」

「よせやい。上手に言ってくれるぜ」

「事実だとも。ではまたな」


 大量の丸羊バーガーをぺろりと平らげたハーデスは、そのまま転移魔法でフォガの前からかき消えた。

 相変わらず凄いお方なんだなぁと感心したフォガは、すっからかんになってしまったトレイに商品を並べるべく、丸羊バーガーの作り直しに取り掛かるのだった。




 ***




 十兵衛のいる所を目掛けて転移したハーデスは、瞼を開いた時思いの外暗かった事に驚いた。

 リンドブルムの街が朝焼けに照らされていたのも相俟って、明暗の差を露骨に感じたのだ。船の上のはずでは、と視線を巡らせると、どうにもカガイと居たあの牢獄の景色によく似ている。

 石畳に石壁で出来た部屋はじめじめとしており、三歩先程の距離に鉄格子の壁がある。端には扉がつけられていたが、しっかりと施錠されているようだった。

「私は間違いなく十兵衛の所に飛んだはずだ……よな?」と内心首を傾げたハーデスは、「ハーデス……?」と背後から聞きなれた声色で名を呼ばれた事に気づき、後ろを振り向いた。

 そこに居たのは、両手首に手錠をかけられ壁に拘束された十兵衛だった。


「……十兵衛!?」

「ハーデス!?」

「お前どうした大丈夫か!!」


 ほぼ同時に同じ台詞を叫び、その滑稽さに思わず口を噤む。

 上半身が裸のまま鎖に繋がれている十兵衛は、誰かに殴られたのか右頬が赤黒く染まって腫れており、とうのハーデスは激戦を繰り広げた後のような傷だらけの着衣の状態だ。

 何をどうしたらそうなるんだとお互いにおろおろしていたが、先に我に戻ったハーデスが十兵衛の傷の治療と手錠を外そうと行動しかけた。


「あー、待て待て! とりあえずこれはそのままでいい!」

「良くないだろう!」

「いいんだ。余計話がややこしくなる」


「あとここからは頭の中で会話出来るか?」とこっそり告げられて、ハーデスは素直に頷いた。





「まずはそっちから話を聞こう。なんでそんなにぼろぼろなんだ?」


 口を噤んだままハーデスの頭から足先までを眺めた十兵衛に、壁に凭れて立っていたハーデスは「あぁ、」と片眉を上げて指を鳴らした。

 すると瞬きの間にぼろぼろの衣服は新品の様に戻り、ちりちりになった髪も整えられたいつもの頭に戻ったため、十兵衛は目を丸くする。


「犯人を連れ帰ってカガイに突き出したんだが、アレに関係する者を一斉検挙したいと言い出してな」

「リンドブルムに仲間が潜んでいたのか」

「そのようだ。ウロボロスという、蛇が自分の尾を咥えている紋章を犯人がつけていたので、それを目印に座標を特定して捕まえた。……普通なら転移魔法で一気に行く所なんだが、クロイスがリンドブルムに厳重な感知魔法を敷いていたおかげで思うようにはいかなくてな……」

「な、なるほど……」

「気づかれぬようにして欲しいというカガイの頼みを遂行するために、網目を縫うように移動するのを強いられたので、まぁいくらか被弾もしたわけだ」


 魔法を使う相手もいたので、その魔法が感知に引っ掛からないようにするのも苦労したとハーデスは語る。転移魔法でいなしたり難しい物はその身でわざと受けたりしなければならなかったので、結果ぼろぼろの姿になったというハーデスに、十兵衛は眉尻を下げた。


「痛かったろうに……大変だったな」


 思わぬ労わりの言葉に、ハーデスは虚を突かれたように目を瞬かせた。

 そんな様子のハーデスを不思議に思ったのか、十兵衛の方もつられて目を瞬かせる。


「何かおかしなことを言ったか?」

「いや……痛みについて労わられるとは思わなかったんだ」

「なんだ。旨い旨いと飯を食う度言うような味覚があるなら、痛覚だってあると思うだろう。それとも俺の勘違いか?」

「いや? あっている」


 そもそもハーデスのこの姿は、神が人の姿を取る際に使う方法の【受肉】という現象に近い。その次元に則した姿を取るため、おおよその感覚器官は備わっていた。

 勿論感覚を遮断することも可能だが、痛かろうが仕事に支障が無いハーデスは特段気にすること無く事に当たっていたのだ。

 だが、己の事よりも痛みで言えば、とハーデスは眉を顰める。


「痛いで言えば、お前の方もだろう。その頬といい格好といいこの状態といい、一体何があったんだ」

「あぁ……これなぁ……」


 問われた十兵衛は遠い目をしながら、乾いた笑いを零した。

 

 ハーデスが転移した後、犯人の睡眠薬により船長が昏倒したせいで船が暴走し、十兵衛はアレンとリンと共に船の操舵を余儀なくされたという。

 ただ、三人とも操舵経験は無かったため、リンが知っていた船に纏わる言語をアレンが【脳内辞書(レキシコン)】で調べ、点と点を線で繋ぐように知識を撚り合わせ、なんとか窮地を脱した。


「レキシコンか。お前には話したのだな」

「あぁ。他の人には内緒の、男同士の約束だそうだ」


 その後の操舵は緩やかな河の流れならばとリンが水魔法で請け負い、三人は船長が起きるまでのんびりとしていたのだが、乗客の中で一際(ひときわ)早く起きた客がいた。

 船酔いをしたくないからと、ほとんど食事をしなかったというその客はどうやらリンドブルムから来た冒険者だったようで、魔法に秀でた彼は十兵衛達から船の現状を聞き、急に慌て始めた。

 なんでも今日の夕方に出向するエレンツィア発の大型客船に乗り継ぐ予定だったらしく、動力が壊れた今の船の速度では到底間に合わない事に気が付いたという。そこでその魔法使いは、ソドムが使っていたような船に直接魔法陣を張り付け飛ばすという方法を使い、のんびりした遊覧船の旅を猛スピードの河下りに変えた。


「えぇ……」

「で、エレンツィアには夜明け前に着いたんだ。……跳ね橋を吹っ飛ばして」


 水面すれすれを爆速で飛んでいた遊覧船は、エレンツィアの手前で河に降ろされた。これで間に合った! と一仕事終えたような顔をした魔法使いに、十兵衛達は大慌てで「船を止めてくれ!」と頼んだという。


「そもそも船の操作がままならない状態だったんだ。となれば、とんでもない速さで河を下ってきた船を止める術は無いわけで……」

「そのまま跳ね橋にぶつかったのか」

「そうなんだ」


 十兵衛達の願いは間に合わず、そのまま遊覧船は跳ね橋に衝突した。ぎりぎりでリンが水魔法を使い衝撃を和らげてはくれたが、寝ていた客達はあっちこっちに飛ばされ、負傷者多数の大惨事になった。


「幸い、船の客や町の住民達に重傷者はいなかったんだが、スイ殿とガラドルフが治療に大忙しになる程度には怪我人が出てな……。とうの魔法使いは仲間を連れてさっさと逃げるわ、犯人はハーデスに連れてかれてるわで、矛先は船長室の扉を鍵ごと打刀で刳り抜いて侵入した俺に来たわけだ」

「……十兵衛……」


 沈痛の面持ちになるハーデスに、十兵衛も疲れたように溜息を吐く。


「船を操作したのは俺だってアレンは言い張ったんだが、ま、そこは俺が指示したという風に変えてな。一切合切を俺にひっ被せておいて、後で直すからとりあえず身柄確保で収めてくれないかという事で、今に至るわけだ」

「了解だ。跳ね橋と、後は船か? それらを直せばいいんだな?」

「助かる……。疲れている所を本当にすまん……」


 項垂れる十兵衛の頭を、労わるようにハーデスが撫でる。「子供じゃないんだぞ」と十兵衛は唇を尖らせたが、最早抵抗する力も無い程に疲れ切っていた。


「ていうかお前、良い匂いするな。なんか食ってきただろ」

「フォガの店で白パンに挟んだ丸羊の串焼きを食べてきた」

「いいなぁ……。俺は昨日から何も食ってないんだ……」

「何、すぐにここから出してやるさ。そしたらまずは粥からだ」

「出汁が良い。牛の乳はいやだ……」


 べそべそと弱音を吐く十兵衛に苦笑しながら、ゆっくりと魔法を展開する。

 とんでもない旅立ちになったなぁと内心溜息を吐きつつ、ハーデスはひとまずリンの元へと転移するのだった。


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