71話 なんか凄い奴
カガイが寝ていた私室は、ルナマリア神殿にあった。神官長として神殿を管理するカガイには、私宅が無いのだ。
私物と言える物も壁に備え付けられている本棚に納められた蔵書くらいなもので、寝具やテーブル、椅子等は、神殿に寝泊まりする神官達と同じか、少し値段の張る程度の品しか置かれていなかった。
拝金主義な割には簡素な部屋だなと、そんな印象をハーデスは抱く。
縛られた男はシュバルツが連れて行き、ハーデスは以前会談で使った執務室へと招かれた。神官長が自ら淹れた茶をてらいなく受け取りながら、「それで?」と話を促す。
「検討は着いているのか」
犯人の事だった。直球でそう述べたハーデスに、カガイは薄っすらと笑みを浮かべたまま答えない。
それに機嫌を損ねる事無く、ハーデスは淡々と次の言葉を口にした。
「スイと同等の姫君か、更に上の者か」
「……ほう? 私よりも君の方が検討が着いているのでは?」
「私じゃない。十兵衛だ。どうやらあいつはこういった方面の知識にも富んでいるらしい」
それを聞いたカガイは、僅かに目を瞠った。
リンドブルムの事件で知り合った十兵衛とハーデス。尊大な態度や豪奢な装束、そして深い知見を持っている事から、カガイはハーデスの方が民と一線を画す高貴な存在と思っていたのだ。
大魔法使いオーウェンの術式を容易に読み解き、改変を施せる破格の男。そんな魔法使いなら名を馳せていて当然のはずなのに、調べに出ている部下からは一向に大した情報が上がってこない。故に、カガイはハーデスの出身や正体が未だ掴めていなかった。
だが、ここに来てカガイの中で十兵衛の存在が大きく跳ね上がる。
これは優先事項の改定が必要ですね、と内心独り言ちながら咳払いをして、カガイは一つ頷いた。
「十兵衛の推察は当たっています。が、一つ勢力が足りない」
「勢力?」
「スイを狙う者です。大きく分けて三つある、と思って下さい」
目を丸くしたハーデスに、カガイは注意を払いながら話し始めた。
「障りがあるので首謀者の明言は避けますが、よくも悪くもスイを浚おうとする者がいます。リンドブルムにおいてはクロイスが手の者を使って守っていましたが、この所よくない方向にいっておりまして」
「裏切った部下がいたのか」
「いえ? あぁ……でも、確かに主の命に背くという点では裏切っておりますね」
「忠誠心が高すぎたのですよ」とカガイは語る。
曰く、クロイスは領主としてとても優秀であり、自ら前線に立って領民を守る姿から人望も厚い男であった。オーウェン公爵に仕える者は恵まれていると、他の貴族に使える騎士達からは羨望の的である程、彼の人気は高かったのだ。
「そうすると、部下達はもっとクロイスに国政に出て欲しいと思うわけです。頭の切れる男ですからね、宰相の地位だって目指そうと思えば出来る頭脳を持っている。ですが、クロイスが一番優先しているのは」
「この街の存続、か」
「そういうことです」
それは難儀だな、とハーデスは腕を組んだ。
優秀な者が政治に参加することは、ひいては国民の幸せにも繋がる。領民だけではなく、王国民にまでクロイスの手腕が広まれば、レヴィアルディア王国に齎される益の大きさは語るに余りある。
だが、当の本人が一番優先しているのはリンドブルムの未来永劫の存続であるため、どれだけ彼の人望が厚くともクロイスが「やる」とならなければ、机上の空論でもあった。
――そこでスイが関わってくる。
スイはクロイスの一人娘だ。現状リンドブルムの存続に重きを置くオーウェン家では、この場合婿養子を取る事となる。だが、クロイスに国政になんとしても参加してもらいたい者達は、スイを国政に関わる高貴な御方と結婚させたいと策略する。
「これまでは流せていたんですがね。スイが年頃の娘になったのもあって、クロイスではなくクロイスの部下達を口説き落とす者が出てきたわけです」
「主の名をより高めるために、か」
「えぇ。傍目には変わっていない忠義の高さも、裏を返せば暴走です。そしてまだその事にクロイスは気づいていない」
「…………」
「この世において、より高貴な御方に嫁ぐ事は大きな幸せの表れでもあります。……本人が良しとせずともね」
一度その流れにスイが巻き込まれてしまえば、容易には抜け出せない。悪意ではなく善意で固める周囲の言の厄介さを、カガイはよく理解していた。
「……で、リンドブルムの手の者に任せるのは心配だったため、私達の元へスイを送ったと」
「そうです。……十兵衛は怒っていたんですよね?」
「すごく、な」
強調するように言い直したハーデスに、カガイは「悪かったとは思ってますよ」と肩を竦めた。
「面倒ごとを押しつけた自覚はあります。ですが……」
「違う。最初から言えという話だ」
「……というと?」
白々しく首を傾げるカガイに、「分かっている癖に」とハーデスは鼻で笑う。
「我々はスイを大切な友人だと思っている。遠回しな事をせずとも、直接頼めば良かっただろう」
「……必然より偶然の方が良いこともあるんです」
「神官を大切に思うお前の思いやりが、スイに届かなくてもか」
真っ直ぐな言葉だった。虚を突かれたように目を丸くしたカガイだったが、「ハ!」と一笑に付すとふんぞり返るように椅子にもたれた。
「大きな勘違いですよハーデス。苦労して育てた高位神官を、易々と取られたくないだけです」
「……そういうことにしておこう。後は? 新勢力でも作ればいいか?」
「…………」
沈黙が流れた。ハーデスはカガイの反応を見て、ゆっくりと目を細める。
「遅かれ早かれ、十兵衛は名を挙げる。我々の目的でもあるからな。台頭して力をつけた我らに着いてくるスイを、三つの勢力とやらは容易に手を出せなくなる。無理に事を進めると、民心の反発が怖いからだ。我らはスイの行動を縛らない。だからカガイにも都合が良く、スイにもクロイスにも都合が良い。何よりウィル達によってベルヴァインの名が広まった後であれば、リンドブルムが街を治め、クロイスが国政に進出する可能性も部下達に示唆できる」
「……どこまで知っているんです」
「何も? 今与えられた情報で知恵を絞っただけだ」
嘘だ、とカガイは顔色は変えないまま内心で呟いた。目の前の男が自分の心を読んだとしか思えない結果を口にしたからだ。
「何者なんですか、君は」
睨み付けるように言うカガイに、ハーデスは面白そうに口角を上げると、ゆったりと椅子にもたれて長い足を組む。
「十兵衛達曰く、『なんか凄い奴』、だそうだ」