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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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70話 少年のレキシコン

 リンがオーウェンと出会った三百年前にも、似たような船は存在していた。蒸気船だ。


 蒸気機関を用いた乗り物は石炭を燃やして黒煙を出すため、空を飛ぶ竜達は皆嫌っていた。うっかり側を飛べば身体が真っ黒になるからだ。だが、この船はそうした煙を出していない事から、おそらく魔石を使ったものだろうとリンは推察する。


 リンの推察通り、この遊覧船は魔石――もとい【魔石片(ませきへん)】を使った蒸気船だった。

 魔力が弱り、本来の魔道具の用途に使えなくなるほど出力の落ちた魔石は小さく砕かれ、魔石片(ませきへん)として乗り物の燃料に広く使われる。人と魔物の長きに渡る戦いは、多くの魔石をこの世に生み出し、その最後の使い道まで考えられる程に歴史が深まっていた。

 魔石片は少量でもよく燃える上に長持ちで、石炭と違って石炭灰(フライアッシュ)も残らない。余分な廃棄物すら出さずに消える魔石片は、この世界においてとても便利で安価な代物であった。

 この船がエレンツィアへの定期便だと聞いていたリンは、復路でパルメア大運河の流れを遡る事も可能な事実からこの船には相応の動力があると仮定する。リンドブルムの街の創生で培った知識と共に、遊覧船という小規模の船から推察出来る言葉の数々を思い浮かべながら、一つ一つを口に出した。


「動力、蒸気機関、ボイラー、ピストン……」

「ま、待って! メモする!」


 大急ぎで操舵室から飛び出したアレンは、自分の荷物の中からえんぴつとメモ帳を取り出して駆け戻ると、リンの紡ぐ言葉をガリガリと書き記す。その一つ一つの単語を脳内辞書(レキシコン)で調べ、そこから派生する膨大な言葉の数々を丸で囲みながら広げていく――いわゆるマインドマップを、猛スピードで作り上げていった。

 必要な情報を抜き出して吟味し、目の前の機器と目線を行ったり来たりさせながらぶつぶつと呟く。その鬼気迫るアレンの姿に十兵衛は言葉を失ったように見つめていた。


 そうこうする内に考えがまとまり始めたのか、「動力、エンジン、速度、減速……」と声に出しながら一つのレバーに手をかける。計器を眺め、「前進、後進、切り替え、変速……」と呟いては何某かのスイッチを震える手で押し上げ、最後に「これで! どうだ!」と一気にレバーを引き下げた。


 瞬間、船体が大きく揺れた。エンジンを切り替え、プロペラを逆回転させたのだ。急激な変更に左右に船がブレたが、態勢を崩す前にリンの水魔法が上手く支えた。


 下げ切ったレバーを今度は中央に戻したアレンは、窓から外の景色を眺めて速度が落ちてきた事を確認し、安堵の溜息を吐いた。


「止まった……!」

「すごいぞアレン! よく分かったな!」


 脱力して座り込んだアレンを賞賛しながら、十兵衛は明晰な脳が詰まった頭をこれでもかというほど撫で回した。

 それを「痛い痛い」と苦笑しながら止めたアレンは、否定するように首を振る。


「分かってないよ。途中から完全に勘だったもん」

「だがちゃんと止まったぞ」

「そうだとも。河の流れに乗るくらいの速度なら、我も操作がやりやすい。アレンのお手柄だ」

「それなら良かったけど。でも無理矢理やったせいで故障してたらどうしよう……! 弁償するお金なんて無……」


 アレンがそう言いかけた時だ。

 ボン! という音と共に、船の煙突から火花混じりの煙が上がった。驚いたアレンが目の前の計器を確認すると、先程まで中央にあった針が見る間に左へと倒れ、ついには横倒しになってしまった。

 アレンの予測だと、この計器はエンジンに関わるものだ。それが動かなくなったとなると、動力部に損傷が生じたのに等しいことで。

 それの意味する所を即座に理解したアレンは、先程まで浮かべていた安堵の顔色を引っ込めて、みるみる両目を潤ませた。


「お、お、俺……!」

「わー! 落ち着けアレン! 大丈夫だ!」


 泣き出しそうになったアレンを十兵衛が慌てて抱きしめて背をさする。


「大丈夫じゃないよ! 父ちゃんに薬師になるために預けられたお金で弁償しなくちゃいけなくなったんだぞ! 足りるかも分かんないし!」

「弁償なら扉の分も合わせて俺が払うから大丈夫だ! 責任はお前を巻き込んだ俺にある!」

「でも!」

「いざとなったらハーデスもいる。頭下げてでも直して貰うさ。な?」


「だから泣くな」と落ち着かせるように背をさする十兵衛に、アレンは鼻を啜って小さく頷いた。

 操舵室のやり取りを外から見ていたリンも、ほっと息を吐く。どうあれ一番悪いのはあの薬を盛った男であり、アレンではない。「万一罪に問われてもあいつを差し出せばいいだろう」と口角を上げて、水の操作へと意識を戻した。


「しかし、罪人を届けて話を聞くだけにしては、帰りが遅いな……」


 リンの呟きに、「そう言えば、」と十兵衛も眉を(ひそ)める。


「あちら側で、何か問題でもあったんだろうか……?」



 


 

 十兵衛達の予想通り、確かに問題は発生していた。

 暴走する遊覧船に現場で三人がてんやわんやしていた頃、ハーデスは転移で降り立ったカガイの私室で、首元に鋭い刃先を向けられていたのだ。


「見た顔だな」


「フルフェイスだが」とは内心で呟く。魂も寿命も見えるハーデスにとって、例え他者と全く同じ全身装備を身に纏っている者でも、個体の判別は容易に出来た。

 だからこそ、今己に刃を向けている男が、カガイと会談をした時に側仕えをしていた神殿騎士だとすぐに見抜いたのだった。

 だが、例え一度会った相手であっても、神殿騎士は剣を構えた姿勢から微動だにしなかった。神官長の私室に急に現れた存在など、曲者以外の何者でもなかったからだ。

 本来であれば即座に切って捨てても問題無いものであったが、行動に移す前に止める声があった。


「シュバルツ。剣を下ろしなさい」

「……しかし、」

「彼は私を害する者ではありません」

「いいえ、害しております。カガイ様の安眠を邪魔しておられる」


 寝台から降り、寝間着の上にローブを羽織ってサイドテーブルに置いてあった眼鏡をかけたカガイは、呆れたように溜息を吐きながら肩を竦めた。


「であれば君もですよ、シュバルツ。警護は扉の外だと何度も言ったでしょう」

「……申し訳ありません」


 シュバルツと呼ばれた神殿騎士は、素直にハーデスに向けていた剣を引いて収めると、一礼をして部屋から退出した。それを見送りながら、「すみませんねぇ」とカガイはハーデスに謝罪する。


「どうもアレは心配性が過ぎるきらいがありましてね。今の時間だって本当は彼のシフトではないはずなんですが」

「十兵衛並の忠誠心の高さだな」

「おや、彼も誰かに仕える身で?」


 片眉を上げたカガイに、ハーデスはそれ以上を語らなかった。

 代わりに引きずるようにして持っていた襟から手を離し、縛られた男をカガイの前へと差し出す。


「雑談をするつもりはない。コレを届けに来たんだ」

「……もう来ましたか」


 多くを語らずともそう述べたカガイに、ハーデスは十兵衛の読みが当たったことを察した。


「伝言を預かっている。一枚噛ませろ、らしい」

「ほーう?」

「あと、すごく怒っている、と」


「それはそれは」と目を弓なりにして笑うカガイに、ハーデスも口角を上げる。

 ルナマリア神殿における最高位の神官長と死の律の、真夜中の会談が始まろうとしていた。

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