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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第三章:竜と聖騎士
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幕間3-5 冥王と少年は辞書を引く

 オーウェン公爵邸には、歴代の公爵達が集めた蔵書が多く収められている。

 広い屋敷の一室には図書室が作られ、中には市場には出回らないような稀覯本も存在していた。一般公開はなされておらず、公爵の許可無くしては屋敷の者とて入れない場所だ。

 しかし、本来であれば庶民の身で入ることは到底許されないそこに、アレンは遠慮なく入室し黙々と本を読んでいた。勉強がしたかったのだ。

 薬師となるべくガラドルフの両親の元で修業を積むことが決まっているアレンは、それまでの間に少しでも多くの知識をつけておこうと思っていた。そのために沢山本を読みたいと願ったアレンに、スイがクロイスへと取り計らってくれたのである。

 重要書類が眠る鍵のかかった部屋には入れないが、そこ以外の蔵書は好きに読んでもいいという許可を貰い、アレンはガラドルフ達がリンドブルムの事件や事後処理やらに奔走している間、ひたすらに本を読んでいたのだった。


「う~ん……」


 アレンは字が読める。父であるアイルークが教えてくれたからだ。

 だが、ここにある本は難読文字が多い。カルド村で学んだレベルとは段違いの難しさに、アレンは分からない文字をたくさんメモに取って、後からスイやロラントに聞く事で新たな知識を得ていた。

 だが、忙しい二人に都度時間をとって貰うのは気が引けた。あまり長くならないようにと気を遣って多くは聞けず、そうこうする内に分からない文字の量だけがどんどん増えていく。

 これでは本末転倒である。学びたい事は山ほどあるのに、学ぶための知識が足りないアレンは、深く溜息を吐いた。

 そんな時だった。


「おや、先客がいたようだな」


 声のした方に視線を向けると、ハーデスが立っていた。扉が開く音もしなかった事から、転移魔法で来たのだろうと察しをつける。


「どうしたの? ハーデス様」

「私も本を読みに来たんだ」

「えっ」


 ハーデスは博識だとアレンは思っている。いつだって自信満々で、クロイスにだって尊大な態度を取るハーデスは何もかもを知っているような口調で話すから、そんな印象を抱いていた。


「ハーデス様も知りたい物とかあるんだ?」

「勿論あるとも」

「へ~……」

「なんだ、意外だったか?」


 口角を上げるハーデスに、アレンは素直に頷く。


「ハーデス様はなんでも知っているようなイメージだったから」

「そんなことはないさ。私にも分からない事はある」

「だから本を読みに来たの?」

「そうだとも。お前も読書をしていたのだろう? 邪魔をしてすまんな」


 アレンが長机に広げた本を見てそう告げたハーデスは、これ以上邪魔をしないようにと蔵書棚の方へと姿を消した。

 その背を見送りながら、これはもしかしてチャンスなのではとアレンは思う。

 スイやロラントにまだ聞けていなかった文字がたくさんある。それを、ハーデスに教えて貰おうと考えたのだ。

 勿論ハーデスも調べ物があるから図書室に来たのは分かっているので、タイミングを見計らって聞いてみようと画策する。そのチャンスを待つ間に、自分も今読んでいる薬草の本を読み進めておこうと机に向かった。

 



 ――ぺらり……ぺらり……とゆっくり頁を捲る音がする。己の手元からだ。

 だが、蔵書棚の方からは、パラララ、ぱたん。パラララ、ぱたん。という耳を疑うような音がずっと連続して聞こえていた。本を開いて流し見をするような音ばかりだ。

 それで本当に本が読めているのか!? と疑問に思い、アレンは途中から集中力が削がれて気が気ではなかった。

 席を立ちおずおずと蔵書棚の方へ顔を覗かせると、本を一冊手にとってはとんでもない速さで頁を捲っては棚へ戻し、頁を捲っては棚へ戻す作業をずっと繰り返しているハーデスがいた。

 呆気に取られてあんぐりと口を開けるアレンに、ハーデスは目線を上げないまま「どうした」と声をかける。


「そ、それで読めてるの!?」

「読めているとも」

「本当に?」

「本当に。……あー、まぁ速読の類のものとはまた違うかもしれん。私の場合は記憶だからな」

「記憶!?」


 本を丸ごと!? とあまりのことにアレンは絶句する。そんな速さでは目で文字を追う事も出来ないのでは!? と思ったものの、「ハーデス様だからなぁ……」と彼の破格の能力から信用に足る発言だと存外素直に受け入れることが出来た。


「それで? 何用だ」

「え?」

「これを見に来たわけではないのだろう?」


 いつの間にか本から顔を上げてこちらを見ていたハーデスに、アレンはぐっと唇を噛み締める。

 聞きたいことがあったことを見抜かれていたらしい。さすがだなぁと苦笑して、「実は……」とことの経緯を語った。


「なるほどな。いいだろう、私が答えよう」

「ありがとう!」


 文字を多数記載したメモをハーデスに渡し、読み方と意味を聞きながらまたメモを取る。

 聞くだけでは忘れてしまうかもしれない知識を、アレンは懸命に記憶に留めようと努力していた。その姿勢を好ましく思いながら、ハーデスはふとある事に気が付く。


「アレン。お前、辞書は知っているか?」

「辞書?」


 きょとんと目を瞬かせるアレンに、ハーデスは「なるほどな」と独り言ちた。


「お前の文字の知識はアイルークからか?」

「うん、父ちゃんから。あと村にあった本とか、絵本を読んだよ」

「了解だ。辞書というのは、今お前が知りたがっているようなものが多数記録してある書籍のことでな」

「えっ……!」


 驚いたアレンに、蔵書棚からハーデスが一冊の本を持ってくる。


「これだ」

「うわっ! 字ぃちっちゃ!」

「はは。他の本と比べるとな。これには文字の表記や読み方、意味や用法がたくさん載っている。物によっては語源もある」

「全部の文字が載ってるの?」

「まぁ……そうとは限らんだろう。おおよそ、と考えておけばいい。ただ、アレンが先程私に質問していたような文字は、ここに全て載っているぞ」

「へ~! でもこれ、どうやって調べればいいの?」


「たくさん文字が並んでてわかんない」と眉尻を下げるアレンに、ハーデスが丁寧に辞書の引き方を教えた。

 初めこそ難しい顔つきで話を聞いていたアレンも、コツを掴んだのか段々と自分の知りたい文字の引き方が分かってくる。そうすると楽しくなってきて、食い入るように辞書にのめり込んだ。


「すごい! 順番に調べていけば全部分かるよ! ありがとうハーデス様!」

「何よりだ」

「これで一人で調べられるや! 知らない事を知れるのって、面白いなぁ……!」


 目を煌めかせながらそう告げたアレンに、思わず目を瞬かせたハーデスは、在りし日の十兵衛の姿を重ねる。



 ――知らぬを知ることは楽しいだろう? 十兵衛

 ――あぁ。楽しいとも


 

 知らない事はたくさんある。誰にとってもだ。

 けれどもそこで止まることなく知ってみようと行動すれば、面白いと思うものが枯れる事を知らない水源のようにみるみる湧き上がってくるのだ。

 ――そしてそれは、生きているからこそ成せるもので。

 

「……謳歌せよ、アレン」


 ぽつりとハーデスが呟いた言葉に、アレンは目を丸くする。


「知らぬを知ること。学びを深めること。お前が楽しいと思ったこと全てが、お前の生の謳歌に繋がる」

「…………」

「存分に謳歌するんだ。誰のものでもない、お前だけの人生を」


 深く染み入る様な声色でそう告げたハーデスに、アレンはゆっくりと手元の辞書に視線を合わせ、謳歌の意味を引いてみる。

 いくつか意味の書かれたその中で、【大いに楽しみ、喜び合うこと】という記載を見つけたアレンは、にっと満面の笑みを浮かべた。


「うん! この辞書をきっかけに、俺はたくさん謳歌するよ!」


 笑顔と共にその身に光ったハイリオーレの輝きに、ハーデスは慈しむように目を細める。

 何よりの返答を受け取った律の管理者は、アレンの善き生を、ただただ願うのだった。

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