6話 死は毛根にも平等で
足袋よりも大きく足指が動かせない様に、少し違和感を感じる。
けれど、これがこの世界の履物だと言われれば否とも言えず、いずれ慣れるだろうと自身に言い聞かせ、十兵衛は村長に礼を言った。
「ありがとう、オル殿。この革靴とぶらっくれざーの服、大切に使わせて頂く」
「なんの。アレンの言う通り、助けに来たのに山賊と間違われては事ですから」
「それにしても、」と村長はしげしげと十兵衛を見やる。
「十兵衛殿は髭がないと随分幼く見えますなぁ」
「言われると思った……」
がっくりと肩を落とす十兵衛に、村長はからからと笑った。傍で見ていたアレンも「でも無い方が山賊に見えないからいいじゃんか」と後ろ手に手を組みながら笑う。
「箔というものがあるだろう。髭がないと半減するんだ。……ところで本当にいつでも戻るんだな? ハーデス」
「勿論だ」
「造作もない」と頷くハーデスに、十兵衛は再度深い溜息を吐いた。草鞋を貰うだけのはずがどうしてこうなった、と言わんばかりの重い溜息だった。
十兵衛が山籠もりをしていたというほらを、その出で立ちからすっかり信じていた村長は、草鞋だけとは言わず衣服の一切を用意しましょうと申し出た。
小さいながら存在する、服屋と防具屋を兼ねた店に向かい、すでに仕立てられている服を選ぶ。
ハーデスが黒衣なので、そちらに揃えた方がいいと感じたのか、村長は黒革の軽装装備とフード付きの短い丈の羽織、普段使い用の衣服を二着ほど用意した。
こんなには貰えないと固辞する十兵衛も、「そのままじゃどう見ても山賊だ」と突っ込むアレンに負けて有難く受け取ることにした。
髷を結っていた髪も総髪に変え、そこまでしたあたりでアレンが唸る。
「……盗賊……」
「失礼ながら儂もそう思ってしまった……」
「この世界の髭はそういう者が蓄えるのか!?」
「オル殿とて髭が生えているではないか!」と十兵衛は言い張ったが、村長の口髭は十兵衛の無精髭と口髭のまばらなものではなく、ふっさりと整えられたものである。
故に違うのだという村長に、十兵衛は納得いかないように腕を組んだ。
「郷に入っては郷に従えとはいうが……。生えにくい体質だから剃りたくない」
「なんだ、剃りたくないなら消せばいい」
「話を聞いてなかったのか?」
黙って成り行きを見ていたハーデスが口を出す。あまりの発言に目を丸くした十兵衛に、「そうではない」と首を横に振った。
「今の状態を記憶してから毛根を死滅させれば、後程遡って生やすことが出来る」
「……? 何を言ってるんだ?」
「もしや物体の時間を操れるということですかな?」
「うむ」
事も無げに言ってのけたハーデスに、村長とアレンの口があんぐりと開く。「とんでもない魔法使い様だ」と拝み、その御業を是非見たいと期待の目を向けた。
困ったのは十兵衛だ。こうまでくると皆の意にそぐわない行動は良くないように思える。ましてや村長は想像していた以上の品を用意してくれたので、うかつに否とは言えない雰囲気だった。
十兵衛は「本当に戻るんだな」と再度確認した上で、ハーデスに願った。
「嘘は言わない。私は死の律だぞ」
「分かった。あ、鼻から上は駄目だからな! 僧侶になってしまう」
「下だな」
そう言って、ハーデスが手を叩こうと両手を掲げる。
下、という言葉を聞いて、一瞬物思いに耽った十兵衛は、はっとして声を上げた。
「待て! 下と言っても顎まで――」
言うも遅く、ぱん、と手を鳴らされた。
すると、瞬時に十兵衛の顔から髭という髭がさっぱりと消え去り、つるりとした顎が出現した。
「す、すげー!」
「なんと! 詠唱もないとは……!」
「儂の今の髪も記憶して頂きたいほどじゃ」と唸る村長に、アレンが呆れたように笑う。
そんな二人を差し置いて、恐る恐る下履きの中を覗いた十兵衛は、がっくりと膝をついて崩れ落ちた。
「お、お、お前……!」
「なんだ。不満でもあったか」
「髭だって言っただろ! 何もかもつんつるてんにする奴があるか!」
さめざめと顔を両手で覆う十兵衛に、アレンと村長は「あ、」と気が付いたように声をあげ、憐れむような視線を向けた。
「十兵衛殿、お気を落とさず……。年を取れば皆つるつるになっていくものです」
「ドンマイ十兵衛。俺は生えだした所だけど」
「他人の下の毛情報なんていらん! 戻せハーデス!」
「点で記憶するより面で記憶し、戻す方が楽なんだ。髭を戻す日までそのままでいればいい」
「こ、この……!」
拳を震わせる十兵衛に、「まぁまぁ、スイ殿がお待ちですから」と村長がとりなす。
その言葉になんとか怒りを収め、一同は服屋を後にするのだった。
そんな風に先ほどの出来事を思い出していた十兵衛は、「造作もない」と頷くハーデスを睨みつけながらスイを待った。
さほど時を待たずして、二頭の馬を連れたスイが村の門近くにやってきた。
「足が速いと評判の子をお借りしました。お二人は乗馬は出来……、十兵衛、さん?」
十兵衛の変わり様に目を丸くするスイ。
当の十兵衛は居心地悪そうに頭を掻くと、「アレン達にあれこれとやられました」と苦笑した。
「驚きました。とても……その、お若かったのですね。精悍なお顔立ちで、素敵です」
少しだけ頬を赤くしながら、まごまごとスイが褒め讃える。
スイの言う通り、髭を失った十兵衛は幼さの残る顔ながらも眼差しは鋭く、しなやかな筋肉を持った戦士さながらの青年だった。
射干玉のような色合いの黒髪に、同じ色をした大きな瞳。日に焼けているのか少し色黒の肌は失った髭も相俟ってつるりとしており、スイの目から見ても比較的整った顔立ちだった。
ところが笑うと途端に子供のようにあどけなくなるので、すっかり年上だと思い込んでいたスイは考えを改めることとした。
「お心遣い、有難く。私は乗馬は可能です。ハーデスは飛べるからいいな?」
「構わんが、浮遊したまま背後には乗らせてもらおう。枝木の無い所をくぐるのも面倒だ」
「分かった」
十兵衛はそう言うと、スイの元に向かう。そして戸惑うスイに「失礼」と一言告げるや、腰を両手で持ち上げ馬の背へと促した。
「きゃっ! 十兵衛さん!?」
「私に乗馬を尋ねられるということはスイ殿も経験はおありでしょうが、さすがにその服で乗るのは大変でしょう。どうぞ、そのままお乗り下さい」
丈の長い神官の服を着ていたスイを気遣ったらしい。中はキュロットを穿いているとはいえ、確かに大股を広げて飛び乗るのは憚られるものだったので、スイは素直に礼を言って馬に跨った。
自身は颯爽と馬に飛び乗ると、ハーデスの手を掴んで背後に乗せる。そこで「しまった、飛べるんだったな」と、理解していたものの己の身に沁みついた行動がつい出た事に十兵衛は眉根を寄せた。
「十兵衛!」
いざ出発の段階となった所で、アレンから声がかかる。馬が近いので飛び出さないように村長に肩に手を置かれていたアレンは、祈るように拳を胸の上で握り、真っ直ぐな目を向けた。
「隣村の人達の事、よろしく頼む! それでもし、もし父ちゃんがいたら……」
「ああ、必ず助けよう」
「うん!」
アレンの目には涙があった。
よくない想像がついているのだろう。それでも気丈に振舞うアレンに十兵衛は目を細めると、力強く頷いた。
「スイ殿、道案内を頼めますか」
「はい! 地理は先ほど聞いてきましたのでお任せください。ひとまず街道沿いを走りましょう」
「承知した!」
勢いよく馬の腹を蹴る。即座に駆けだした馬に「よい馬だ」と声をかけ、十兵衛は手綱を握りしめながら向かう先を鋭く睨んだ。