60話 狂い咲き
――王花の大樹の名前には、複数の由来がある。
一つは、『丘の大樹』だ。
王花の大樹が生える場所が、いつも丘の上だったからだ。
地震か何かの地殻変動の影響で丘の出来た所には、必ず王花の大樹ありと言われてきた。
もう一つは、『謳歌』である。
王花の大樹が丘の上にあるのではなく、大樹自身が丘を作ったのだと、大昔にとある魔法使いが突き止めた。
長い時をかけて大樹はその根を広く深く大地に張り巡らせ、成長に必要な水を吸い上げる。
地表に出ているのは小さな双葉なれど、その実、幹や根は地中で大きく育ち、ある日を境に一気にその背を伸ばすのだ。
その際、根や幹が大地ごと引き上げるため、王花の大樹が生える地は丘に変わるという。
そんなあまりにもダイナミックな生き方に、人々は生命の謳歌を感じ、『謳歌』と名付けた。
また、大樹が咲き誇る花が「これぞ王の花」と言わんばかりの美しいものであったため、最終的には『王花の大樹』と改名されたのだった。
ダニエラがそれを選んだ理由を、ウィルもジーノもよく分かっていた。
顎を突き上げるだけなら、成長の早いノギの木でいい。けれど、問題は竜が唱える大海嘯の水の量にあった。
このまま放出されれば、大海嘯は平原を舐め尽くし、リンドブルム下の河川域にまで届く可能性があったのだ。それは昔日にオーウェンが懸念した、水質変化をもたらすことにも繋がった。
白竜の水の全てが浄化された水なのか、ダニエラには判別がつかない。だからこそ、彼女は一番吸水量の高い木を選んだ。
――その結果が、王花の大樹だったのだ。
故にウィルは、彼女の意志を汲んで操作する水の照準を定める。
――竜の魔力渦巻く、大海嘯の源へ。
「【流水操作】!」
瞬間、暴力的なまでの術式の波動がウィルの脳内に炸裂する。他者の魔法に介入するのはあまりにも無謀であり、禁じ手と言われてきた。術式介入は、一歩間違えれば脳髄を破壊され廃人になりかねないからだ。
けれど、ウィルはその無茶をやってみせる。彼には、勝算があったのだ。
リンドブルムの血の濾過における【竜血操作】は、かの竜に流れる魔力と術式信号を読む経験をウィルに与えていた。
現時点においてウィルだけが、リンドブルムの水魔法に介入出来る、世界で唯一の魔法使いになっていたのだ。
――全部でなくともいい。たった一滴でも水の在処をダニエラの大樹に伝えれば、一気にその根が吸水に向かう。
その事実を痛い程理解しているウィルは、左目を血で真っ赤に染め上げ鼻血を噴き出しながらも、渾身の魔力を練り上げた。
「降れーーーーーっ!!」
ウィルの絶叫が、彼の愛する水へと届く。
大海嘯の一部の水が、彼の願いに応えて波から身を離し、地中へと潜ったのだ。
――瞬間、灰色の混じる赤褐色の太い根が、ぼこり、とその身を大地に現した。
みるみる内に現出した根は、まるで大蔦の波の時のように一斉に影の竜へと向かう。
しかし、その行く先は大海嘯の水の元だ。
莫大な水の在処を見事に王花の大樹へと伝えたウィルは、ふらつく身を懸命に堪えて、上空を振り仰ぐ。
「ジーノ!」
言葉少なに名前を呼んだウィルに、ジーノは頷き、練り上げた魔法を展開した。
「【二重魔法 ・ 広域拡大 ・ 最大光源】!」
「【燦然たる・二対の太陽】!」
カッ! と凄まじい光が天空から降り注いだ。
一瞬目が眩んだ十兵衛も、駆ける足は止めずに走り続ける。
ジーノの魔法は二つの小さな太陽を生み出すやその光源を広げ、しかし無為に広がる事を許さず、大樹の双葉へと光を届けた。
――それはまるで、舞台に立つ主人公へ浴びせるスポットライトの様に、王花の大樹へ降り注いだ。
その光を受けて、双葉の様子が変わる。同時に地を這う根もその太さを変え、一気に大海嘯の水を吸い上げ始めた。
が、それに負ける影の竜ではない。大きく邪魔はされたものの、まだまだ魔力量に余裕のある竜は、更なる水を創造する。
――のを、ウィルとダニエラは待っていた。
「いただきだーーー!」
「おんどりゃーーー! 【成長促進】!」
ダニエラの掛け声と共に、大地に大きな揺れが起こった。
目を瞠る十兵衛の目の前で、いきなりとんでもない巨木が大地から突き出し、伏せていた竜の顎をその身ごと突き上げたのである。
大樹の成長は留まるところを知らず、伸び続ける幹から枝が伸び、その枝先を広げ、打ち上げるように竜の首を大きくのけぞらせた。
そこに好機を見た十兵衛は太い根の上を走り、一瞬次元優位を身体に取り戻して、大きく上へと跳躍した。
――その最中に見えた、枝に宿る小さな蕾。
それを目にした十兵衛は思わず瞳を揺らすと、万感の思いを抱いて口角を上げた。
「これは、切らぬように気を付けねばな――!」
根が吸い上げた水を、ウィルが枝先に至るまでその生命の源を送る。合わせて、ジーノの浴びせる日光が大樹の急速な成長を促し、ダニエラの魔法操作が、十兵衛のために渾身の決戦場を創造した。
意志を持つように枝が動き、影の竜の喉元へと続く。そこを駆け上がりながら、開けた場に飛び出た十兵衛は、打刀を抜き払った。
その白刃の煌めきに、悪寒を感じた影の竜が、咄嗟に首を振ろうとする。
一瞬見えた逆鱗が逸れた事に、十兵衛は眉を顰めると、修正を図ろうと移動しかけた――その時だった。
「【拒絶の障壁】!」
影の竜の両頬に、突如クロイスの転移門が開く。
そこから発動したスイとガラドルフの衝撃破が、影の竜の足掻きを打ち消した。
十兵衛の眼前に、見事なまでに一直線になった竜の喉元が現れる。
そこに見えた逆鱗の後ろに、小さく光る核をみつけた十兵衛は、ぐっとその身に力を入れて一気に打刀を振るった。
「――大丈夫だ、リンドブルム」
「――三百年分の『ごめん』はきっと、オーウェンに届いてる――!」
――一閃。
逆鱗どころか、その首ごと斬り落とした侍は、打刀を静かに鞘に収める。
鞘の鯉口が鍔にカチリ、と合わさり鳴った瞬間、幻想的な程の桃色が風と共に広がった。
「――桜花の大樹、か」
自身の立つ枝から上を見上げ、空が隠れる程の圧倒的な光景を前に、十兵衛は胸を震わせる。
――輪廻転生の後、魂の海を渡って、その魂は旅をする。
故に繋がる世界の意味を、十兵衛は降り注ぐ桜吹雪を目に映しながら深く感じ入り、感嘆の息を吐くのだった。
核を砕かれた影の竜は、創造途中だった大海嘯を解き、大地に崩れるように落ちていく。
先ほどよりも量が減ったとはいえ、未だ大量の水がある事を上空から見ていたジーノは、大地に倒れて大の字になっているウィルとダニエラを肩に担ぎ上げ、空へ飛んだ。
「ぬぉー……ありがとジーノぉ……」
「指一本動かせなかったぜ……」
「まったく。次こそ【飛翔】を覚えて貰うからな」
地上にいたガラドルフも苦労しながら大樹の根を登り、そこそこの高さに立って一息吐く。
同様に、魔力の限界を迎えていたクロイスは桃色の花の咲き乱れる枝に腰かけ、乱れ切った息を整えた。
「何とも見事な花見だわい」
「いや、ほんとに……。すんごいの生やしてくれちゃってまぁ……」
「オーウェン領の新たな観光名所だよ」と乾いた笑いを零しながら、轟音を立てて落ちた影の竜の姿を眺めた。
――と、その身体が急に光り輝き始める。
なんだ!? と一同が目を瞠った瞬間、核を失った影の竜の身体が、大量の水へとその姿を変えた。
「だー! そ、そうか! 大海嘯を唱えてる最中だったから!」
「魔力の全部が水の創造に変わっちまった!」
竜の身体があった中心から、莫大な水流が平原を覆う。
そのあまりの量に絶句した十兵衛の耳に、「スイ!」と焦ったクロイスの叫びが聞こえた。
バーズ平原に、この波を防げる高さの場所は無い。明らかにスイのいる場所まで届くその量に顔を青ざめたクロイスは、最後の力を振り絞って転移魔法を唱えかけた。
――が、遠距離かつ魔力の限界もあって、僅かに座標が定まらない。
「クソ――ッ!」
焦りを抑えながら懸命に転移魔法を完成させようと、クロイスが歯噛みしたその瞬間。
――パン!
という手を打ち鳴らした音と共に、平原を走る大量の水が、瞬時にその姿を消した。
「……えっ」
「えっ?」
「はっ?」
茫然とした声を上げるウィル達の前に、青白い髪を逆立てた男が、上空からふわりと舞い降りる。
「よくやったな、お前達」
「ハーデス!!!」
戦場にいた全員が、信じられない絶技を果たした男の名を叫ぶ。
名を呼ばれた男は口角を上げると、その背に隠れる小さな人を、優しく前へと押し出した。
***
「い、一時はどうなることかと……!」
急に隣に現れたカガイに、スイは腰を抜かしながら声をかける。
防いだと思った大海嘯の再来に、下流まで流されるかと危惧した矢先の事だった。
「大丈夫ですよ」といきなり耳元で囁かれ、それに驚いたスイはあっけなく腰を抜かしたのだ。
そんな部下を「情けないですねぇ」と呆れたように見やりながら、カガイが空へと指を指す。
「ハーデスがなんとかしたようですよ」
「な、なるほど、ハーデスさんが……ん? カガイ神官長もご一緒に来られたという事は、リンドブルムはもう……?」
「というか神官長、なんか服装ラフじゃないです?」と先ほどと違う装いにスイが目を瞬かせる。
いつも身に着けている丈の長いストールが無い様を問う部下に、カガイは肩を竦めると小さく笑った。
「可憐な少女を裸でいさせる事など、聖職者が許すわけがないでしょう?」
***
「リンドブルムって、女の子だったのかー!?」
ハーデスの転移魔法で王花の大樹の元に集合させられた一同は、ハーデスの横に立つ小さな少女を目にして驚きに声を上げた。
華奢で色白の身体に沿うように、白銀の髪が腰下まで伸びる。その毛先は毒竜への性質変化の影響もあったのか薄く桃色に染まっており、側頭部からは捻じれた金の角が後ろに伸びるように生えていた。
瞬く度に頬に影を落とす長い睫の下で、黄金の瞳がきょろりと動く。
カガイの黄色いストールを巻き付けるようにして立っているリンドブルムは、それが真であると告げるように、こくり、と小さく頷いた。
「で、でもどうしてその、人間の姿に……」
「クロイスからのプレゼントですよ」
ハーデスの転移魔法でスイとカガイも移動させられ、ようやく集まった全員の前で、カガイがその問いに答えた。
「モノクルを改造したんです。リンドブルムが首から下げている懐中時計は、【変身】の魔法が宿った魔道具なんですよ」
「うちのツテを容赦なく使ってくれてまぁ、」と肩を竦めるカガイに、最早立ってもいられず座り込んでいるクロイスは、「ははは、」と軽く笑った。
「鱗の無い竜は同族に恥だと思われる、と聞いてな。であれば、せめて生え揃うまでは人の世界で生きるのもありかと思って、作らせておいたんだ」
「鱗は私が綺麗に再生しましたけどね」
「やってくれたな、神官長! ……ま、別にいいんだ。その魔道具は、元々リンドブルムに渡す予定だったから」
「モノクルより懐中時計の方が持ちやすいだろう?」と微笑まれて、リンドブルムは驚いたように目を瞠った。
「……ルーク?」
「…………」
ハーデスの元を離れ、おずおずと歩み寄ってきたリンドブルムに、クロイスは苦笑する。
「……似ているかね。初代と」
「え、初代ってオーウェンと?」
「……違う。ルークは、オーウェンの友だ」
「ルーク・ベルヴァイン。本当に、お前じゃないのか……!?」
クロイスの頬に手を当て、声を震わせるリンドブルムに、一同は息を呑む。
そんな彼女にクロイスは笑うと、苦労して立ち上がり、恭しく礼をした。
「私の名は、クロイス・オーウェン。――本名を、クロイス・ベルヴァイン。オーウェンの名を受け継いだ賢者、ルーク・ベルヴァインの子孫です」
「……え、」
「えーーーーーーーっ!?」
戦いの疲れも忘れて絶叫する面々に、クロイスは空色の瞳を優しく細めた。