59話 限界突破
――それはまるで、隕石だった。
天より降り注ぎし豪速の火球。衝突すればその衝撃に大地が凹み、周りの全てを吹き飛ばすようなそんな物が、己の背に何度も何度も振ってくる。
振り払おうにも、百発百中の精度で振ってくるそれを防ぐ手段が、影の竜は皆目見当がつかなかった。
「もう一度だガラドルフ!」
「何度でもやれい! クロイス!」
影の竜の背に大斧を突き立てたガラドルフを、クロイスは瞬時に天高く転移させる。
上空で大斧を両腕に掲げたガラドルフは、縦に円を描くように己の身体を回転させた。
重力に従って落ちるガラドルフの速度を注視し、速さの頂点に達した場所でクロイスが【可視化の転移門】をしかける。そうして影の竜の翼の無くなった箇所に転移されたガラドルフは、その勢いのまま大斧を叩きつけた。
「メテオバスター!」
バーズ平原に響き渡る苦悶の叫びに、兜の中でガラドルフは「手ごたえあり!」と口角を上げた。
重騎士型のガラドルフは、俊敏性に欠けるのが短所だ。しかし、クロイスの転移魔法がある限り唯一の短所が補われる。
硬い装甲に頑丈な体。超重量の装備に、剛腕から叩き出される攻撃。
ガラドルフとクロイスの二人だからこそ出来る共闘技に、魔法を唱えかけては中断される影の竜は忌々しく唸った。
しかし、いくらガラドルフが頑丈だとはいえ、落下速度も含めて己の身体に跳ね返る攻撃は肉体負荷が激しい。そのフォローを、高位神官であるスイが欠かさず行った。
「【慈愛の息吹】!」
遠方より発せられる奇跡を、クロイスが転移門を通してガラドルフに届ける。その身に浴びる奇跡の効果に、ガラドルフは闊達に笑った。
「お嬢! 腕を上げたな!」
「修行してますから!」
ガラドルフの大声はスイに届いたものの、スイの声がガラドルフに届いたかは分からない。
それぐらいの距離をクロイスによって取らされていたスイは、「過保護なんだから!」と父親の深謀遠慮をもどかしく感じながらも、前線で戦う全員の無事を祈った。
「皆さんの怪我は私が全部治します! だから、頑張って……!」
***
「頭部というなら、首を落とせばいいのか?」
「いや、核を的確に壊さんといかん。首を落としても核が頭部に残っておればこの魔力量だと再生もありうる」
先んじて回復を入れたウィル達に戦線を維持してもらっている間に、ガラドルフと十兵衛はゴーレム核の仕留め方を口早に議論した。
頭部で上げられる弱点と言えば、両目か脳だ。そのどちらかに核があるのではという前提で話が進む。
十兵衛の打刀であればそのどれもを斬れるが、その打刀を届ける好機を全員で生み出さなければいけなかった。
「両目か脳か。胴体に比べれば的は小さく、狙いにくい箇所ではあるな」
「明確な弱点だしのう」
「弱点……」
「……待って下さい」
それまで黙って話を聞いていたスイが、おもむろに顔を上げた。
「竜の弱点なら、もう一つあります」
「何?」
「逆鱗です」
目を瞠ったクロイス達に、十兵衛も「あっ!」と気付いたように声を上げた。
「そうだ! 逆鱗! 確かにあそこは狙いにくい!」
「ええ! 何せ普通では見えない箇所にある!」
「な、なんだ? どこだ?」
「顎の下!」
「です!」「だ!」と声をそろえて同時に言うスイと十兵衛に、クロイスもガラドルフも目を瞬いた。
「竜の顎の下には逆さに生えた鱗があるんです!」
「そこに触れると竜が激怒することから、『逆鱗に触れる』ということわざが生まれたぐらいだ。核を仕込むなら、最も攻撃し難く触れ辛いそこにある可能性は十分高い!」
「……スイが竜に詳しいのは知っていたんだが」
「まさか十兵衛もとはなぁ……」
呆気に取られたクロイスとガラドルフに、我に返ったスイと十兵衛が「あはは……」と乾いた笑いと共に頭を掻く。
「何にせよ、有力なそこを狙ってみるか」
「直接俺を転移してもらえれば……」
「いや、それは却下だ。顎の下とは即ち竜の口の側でもある。頭部は大きく動きやすい上に、転移させてもその瞬間逸らされれば十兵衛君の身が危険だからな」
「うっかりパクつかれてみろ。目もあてられんわ」
先達の的確な指示に、十兵衛も素直に承諾し頷く。
「私達で顎の下を露出させる好機を作る。十兵衛君は先だって前足を頼む」
「承知しました」
「ウィル君達には私が伝えよう。よし、では各員健闘を祈る!」
***
「モノクルの無さがこうもクるとはな……!」
額に汗を滲ませながら、空高く浮いているクロイスは苦く笑う。
合わせて、「いつものアレ、まさか無くしたんですか!?」と朝方家でスイに突っ込まれたのを思い出し、内心嘆息した。
魔道具であるモノクルは、装備した者の魔力量を底上げする逸品だった。
まだ家督を継いでいないスイは知らないが、あれは代々オーウェンの名を継ぐ者に渡される由緒正しき物である。
――その正体は、初代オーウェンが魔王を討伐し得た魔石で作った、究極の魔道具だった。
三百年もの使用に耐えうる魔石の純度は世界最高峰であり、超巨大転移門複数同時展開をクロイスが成し得たのも、その力がある故のものだった。
だが、クロイスはそのモノクルを手放した。渡すべき相手がいる事を、彼は知ったからだ。
こちらに来る寸前にハーデスに手渡しておいた物を思い浮かべつつ、クロイスは行儀悪くも袖で汗を拭いながら前方を見据える。
「まぁ、アレがやれて私が出来ないなどと言うまいよ――!」
勇ましく吠えながら、新たな転移門を当代オーウェン公は展開した。
「【創造木魔法・バルバローネ】!」
「【燦然たる光】!」
影の竜の魔法詠唱をガラドルフが中断させている内に、ダニエラが先にも使った大蔦を創造し、ジーノが光を当てて誘導、成長を促進させる。
その量を見たウィルが、思わず舌打ちをした。
「ダニエラ! 創造は抑えめでいい!」
「だけどそんな量じゃあいつを止められないでしょ!」
「ばっか! 今は俺もいるだろうが!」
確実に距離を詰めて来る十兵衛を仕留めるため、ほんの僅かな隙を狙って水の礫を創造しかけた竜を、ウィルの魔法が妨害する。
その上でウィルは大海嘯で残る水を使い、一気に宙へと巻き上げた。
「【流水操作】!」
ウィルの操作下に入った水は、一斉に空から大地へと落下する。――だけではなく、その地中を這う水の全てが、ダニエラの創造した大蔦へと注入し、茎から葉に至る隅々まで生命の源を届けた。
――瞬間、大蔦の質量が見る間に増大し、巨大化する。
その様を空中で確認したジーノは、【飛翔】で飛びながら光源の威力を上げた。
「【燦然たる太陽】!」
ジーノの光に導かれ、蔦の大波が一気に影の竜へと押し寄せる。
十兵衛の背後から迫るそれはまるで意志を持つように動き、真横を通り抜けて竜の四肢を縛り上げた。
と、その後ろから一本の蔦が十兵衛へと伸びる。
「乗れ! 十兵衛!」
「承知!」
ウィルの声に頷いた十兵衛は、身軽に跳び上がって後方から追って来ていた大蔦の葉に乗った。
同様に、その蔦を誘導するべくジーノが大きく空を旋回する。
三人の意図する所をしっかり理解していた十兵衛はすぐさま打刀を抜き払うと、腰だめに構えて身体に力を入れた。
それを見逃す影の竜ではない。魔法が乱されるならこの牙で、と十兵衛に噛みつこうとするその頬面に、突如転移門が開き衝撃が走った。
「【拒絶の障壁】!」
スイの奇跡の遠隔発動を、クロイスが補助したのだ。
弾かれるように首を曲げられた竜の顔を見上げ、内心スイに感謝の言葉を送った十兵衛は、己の責務を果たすべく目の前に迫った巨大な足にその刃を向けた。
「跪けーーーーっ!!」
ぐ、っと大木のごとき太さの足に、【夜天】の刃がめり込む。
常ならば鱗の硬さに弾かれるものの、次元優位がはたらくその刃は切れ味を損なう事が無い。
――鱗を通り、
――外皮を通り、
皮下組織を断ち、筋を断ち、肉を断ち、ついには竜骨さえも切り裂いて、十兵衛の一閃は瞬く間に影の竜の右前足を断ち切った。
「いよっしゃーー!」
「ナイスだ十兵衛!」
「よくやった!」
そこからジーノの光の導くがままに、大蔦が急カーブを描く。
同様に構えた十兵衛は、大きく頽れる竜の上体を上に眺めながら今度は裏から左前足を切り落とした。
前足の両方を失った影の竜は、十兵衛の宣言通りまるで跪くように大地にその身を傾ける。
その重量のせいか、倒れる速度が思いの外早い。
蔦の速度で間に合うか!? と思った矢先に、ぱっと見える風景が変わった。
クロイスが、程よい距離に転移させてくれたのだ。
上空を振り仰ぎ感謝の言葉を述べる十兵衛に、言葉無くクロイスが片手を上げる。
ただ、言葉無く、というよりも、言葉が出ないようだった。
大きく肩で息をしているクロイスの様子に十兵衛は目を見開くと、ぐっと表情を引き締める。
何せ、リンドブルムの方で大仕事を終えてきた後なのだ。クロイスも、おそらく他の三人の魔法使いも限界が近い。
――いざとなったら俺が竜の身体を駆け上がってでも仕留めなければ――!
そう思った瞬間、先に感じたような怖気が十兵衛の背を走った。
「おいおいおい……」
「元気すぎるでしょこいつ……!」
逆鱗に触れずとも激怒していた影の竜が、身を伏せながらも魔力を練り上げる。
――慄いた全員の前で、先ほどよりも高度の高い大波が、竜の背後に現出し始めていた。
魔法の詠唱を乱そうにも、クロイスの魔力が限界に近く、ガラドルフも先のような動きが出来ない。
何よりまずは散らばっている地上組をなんとかせねばと思い、ガラドルフは声を張り上げた。
「お前達! 我が輩に寄れる奴はこちらに! 間に合わない者らは一箇所に固まってクロイスの転移を受けろ!」
「とはいえおやっさん……こっから大水球に持ち込まれちゃ終わりなんだけど……!」
「さすがにこの量は俺だって御しきれないぜ!?」
余りの事態に身体を震わせながら笑えてきてしまったウィルとダニエラの様子に、ぐっとガラドルフも眉間に皺を寄せる。
自分の魔力量から全員分の転移が不可能であると察していたクロイスは、呼吸を乱しながらも必死に打開策を考えた。
遠距離から前線の様子を見守っていたスイも、起こり得る惨状を想像してその身を震わせる。
――その中で。
――たった一人の侍が、前方よりやってくる死の権化をものともせず、真っすぐに竜へ向かって駆け出していた。
「十兵衛!?」
驚くように声を上げたジーノに、十兵衛は叫ぶ。
「もう一度だジーノ! 今度は上空に木を伸ばせ!」
「何を……!」
「詠唱中は無防備だ! あの顎下に巨木を伸ばせば、頭をかち上げて逆鱗が露出する!」
その意図する所を察した面々が、思わず目を瞠る。
誰よりも死線に近い所にいる男が出した妙案に、この場にいる全員が成功を賭けた。
――攻撃される前に仕留める。
その刹那の一瞬に全てを捧げるために、作戦の要となるダニエラが最後の気力を振り絞って詠唱した。
「【創造木魔法・限界突破・王花の大樹】!」
彼女の声に応えるように、平原に爽やかな風が巻き起こる。
その風の行きつく先で、小さな芽が竜の下の大地にささやかに芽吹いた。
はたから見れば、まるで植木鉢に植えた種がようやく芽吹いたような弱々しい双葉だ。
――だが、その新芽の根がどれ程深く、広大に広がっているかを、二人の魔法使いは知っている。
――創造魔法劇団、【ツリーメイト】。
ダニエラの木魔法の全てを知り、全てを伸ばす事の出来るジーノとウィル。
彼女という大樹の成長のために集いし彼らは、己の役目を果たすべく、その全力を持って同時に魔法を展開した。