56話 導きの光
大海嘯で創造したすべての水を使った大水球は、捕えた三人をけして逃さないようにするためか、内部の水流がまるで渦を巻くように動いていた。
凄まじい勢いで変わる風景が視界に入り、合わせて三半規管を乱され吐き気をもよおす。
十兵衛はぐっとこらえて掌で鼻と口を押えると、薄目を開けてダニエラとガラドルフの行方を追った。
重い鎧を身に纏っているガラドルフは、水中では身動きが取れないのか大斧と大盾を手放してもがいている。ダニエラは詠唱しようにも口に水が入るのに阻まれ、苦しそうに空気を漏らしていた。
――次元優位を取り戻したとして、この水流を抜けられるのか……!
経験則から察するに、カルナヴァーンの転移門や不可視の壁を切った時のように、必ず打刀が通る場所があるはずだと十兵衛は考える。
身体に次元優位が無くとも、打刀の次元優位は常から有効だ。影の竜の身体をあっさり斬る事が出来たのもそのためだというのを、戦慣れした侍は重々理解していた。
しかし、魔法使いではない十兵衛は魔法の仕組みが分からない。
一体どこを切れば――! と思った矢先、視界の端に小さな光が入った。
「――っ!」
ちらつくように現れたその光は、明滅しながら水球の中心を指す。
それが誰の指示かを考える間も無く、十兵衛は身体に次元優位を一時的に取り戻し、猛烈な水流を振り切って打刀を逆手に持った。
――ここだ!
打刀の切っ先が、光の導く先を貫いた。
瞬間、水流の動きが止まり、まるで解けるように水球が下から崩壊する。膨大な水と共に放り出された三人は、横から伸びてきた大きな蔦の葉に乗せられて地上へと激突するのを防がれた。
「だから【飛翔】を覚えろと言ったんだ、ダニエラ!」
「げっほ……! ジーノ、良い時に来すぎぃ……!」
ダニエラの残した蔦を、光魔法によって促進させて三人を救ったジーノ・ロヴェーレは、呆れたように嘆息する。
「次の時考えるよ……うぇーだいぶ水飲んだ」
「っはぁ、……あの導きはジーノだったか……! 感謝する。助かった」
「カルナヴァーン戦の事を聞いていたからな。君なら何とかすると思ったんだ。で! おやっさんは大丈夫か!」
「無事だ! だが水は嫌いだ!」
「おやっさん泳げないもんね」
それなのによく大海嘯で前に立ってくれたものだ、と感心しながら、十兵衛はガラドルフが立ち上がるのを助ける。
「それにしてもよう分かったな、術式の要を」
「俺は分からなかった。ジーノが導いてくれたんだ」
「物によってはまちまちだけど、あんな中心に渦を巻く魔法、真ん中以外に無いと思ったんだ。中心なんて入ったら普通身体が引き千切れるから挑む奴なんていないけど、まぁ十兵衛ならやってくれるかなと」
「…………」
――次元優位を使って本当に良かった、と顔を青ざめさせながら十兵衛は沈黙する。
「ほんと君、良い腕してるよ」と事も無げに笑いながら、ジーノは一人宙に浮いて影の竜を見据えた。
「ダニエラはまだいけるか?」
「上等! ジーノが来たなら倍々よ!」
「よし。光魔法と木魔法のコンビネーション、影の竜に見せてやろうじゃないか!」
***
「これでもまだマシな方ですか」
アレン特製の防護マスクで顔を覆いながら、カガイが顔を顰める。
贖いの祠は汚水溜まりだ。大した換気もない臭気の籠るこの空間で、三百年も独りで生きてきたリンドブルムにカガイは憐憫の情を覚えた。
スイも同じだったのか、「すぐに出してあげますからね」と声に涙を滲ませながら回復の奇跡を使い続ける。
鱗は全快とはいかずともほんの少しだけ表面に生え、それをもって瘴気の問題を解決したと断じたハーデスは、ジーノを戦場に送ってカガイとスイ、そしてウィルを祠へと転移させた。
ソドム達はクロイスによって転移させられ、すでに配管の修理に取り掛かっている。
「待ってろよリンドブルム!」
「俺達がなんとかしてやるからな!」
あの日、リンドブルムの話を騎士団詰め所で聞いていた面々が、汚水が身体を汚すのも気にも留めずに、リンドブルムを励ますように声をかけた。
【可視化の転移門】から運ばれてくる機材と設備を大急ぎで運び設置しながら、代わる代わる言葉を投げかけてくれるオーウェン騎士団に、リンドブルムは瞬きで応える。
『大変な役目を……皆、本当にありがとう』
「リンドブルムを助けられるなんて、オーウェン騎士団にとって何よりの誉れだ!」
「そうだとも! 何よりオーウェンの残したリンドブルムの街が三百年でどれ程発展したか、早くリンドブルムに見せてあげたいよ!」
「なー!」と明るく声を掛け合いながら、騎士達は手早く修理を進める。
その様を慈しむように口角を上げたハーデスは、血の濾過装置の経過をじっと見つめた。
「間もなくすべての血の濾過が終わる。よくやったウィル」
「は~! 御すのが大変だったぜ……!」
「で、終わったらもう一仕事だ」
「…………」
思わず半目になったウィルに、ハーデスは容赦なく告げる。
「バーズ平原へ送る」
「ままままてまて! 俺もうだいぶ魔力が限界で――!」
「だが、お前達は三人で一つだろう」
ダニエラとジーノの事を指すハーデスに、ウィルは思わず目を見開いた。
「ハイリオーレの縁が、お前達はよく似ている」
「はい……なんだって?」
「なんでも一緒にやってきただろう? ということだ。であれば、あちらの事だってお前は関わっておきたいはずだ」
なんでバレてんだ、とウィルは唇を尖らせた。
実際の所、ダニエラの木魔法を一番よく活かせるのは、ジーノの光魔法とウィルの水魔法あってこそだ。
いくらガラドルフと十兵衛がいるとはいえ、ダニエラを一人で行かせたのをずっと心配していたウィルは、むむむ、と眉間に皺を寄せると嘆息して認めた。
「へーへー! その通りですよ! でも大した仕事はもう出来ねーぞ!」
「その事ですが、スイ、君も一緒に行きなさい」
「へ!?」
予想外の振りに、スイが驚いたように声を上げる。
一瞬ブレた奇跡をカガイは「集中!」と叱りつけながら、じろりと横目でスイを見た。
「ウィルが行った後の完全回復は、他者の奇跡を混ぜて同調させるより一気に仕上げた方がやりやすいですから」
「い、いや、それにしたって、この治癒をお一人で……!?」
目の前に在る巨躯を見上げながら、スイは絶句する。正直な所、高位神官であるスイ一人でも不可能な大きさと難易度の治癒だ。
それを、いかに神官長といえども一人でやるには無茶にも程がある。それを分かっていないカガイ神官長ではあるまいに、と目で語るスイに、カガイははぁ、と溜息を吐いて鋭い視線で睨みつけた。
「私を誰だとお思いで?」
ぐ、っと言葉を飲むスイに、ふんとカガイは鼻で笑う。
最早説得も必要ないと思い、カガイはハーデスの方へ「宜しいですね」と無理やり承諾を取り付けた。
「終わり次第、スイはウィルを回復して差し上げなさい。気力が戻れば魔力もわずかに回復します。合わせて、戦場ではダニエラ達の治癒も。痛みは判断を鈍らせますから」
「しょ、承知しました……!」
「頼みましたよ、ハーデス」
「了解だ」
ハイリオーレの輝きを見ているハーデスは、カガイの言葉に嘘が無い事を知っていた。
やると言ったからには、この男はきっとやりきる男だ。そう判断し、予定外の行動を受け入れる。
一応報告は必要だと思い、首から上だけをオーウェン邸の庭へ転移させたハーデスは、突如地面から首が生えた事に驚いて飛び上がったクロイスへ、事のあらましを報告した。
「は!? スイも!?」
「あぁ。カガイの判断でそういうことになった」
「な、な、なん……!」
「なんで公爵令嬢が戦場に……!?」と脱力するクロイスに、ハーデスは面白そうに笑う。
「上司判断でいけると思われているんだ。随分お前の娘は買われているぞ。よかったな」
「いや、も、よくない……! 嬉しいけれどよくないぞ! ソドムに私が担当している箇所の修理を迅速に終わらせるように伝えてくれ! 私もすぐに駆け付ける!」
「分かった分かった」
「迅速に! すぐ! 大急ぎで!」
「喧しい!」
しゅっと消えたハーデスに、クロイスは歯噛みをしつつ複数の転移門を支える。
「本当にうちの娘は! なんでこう!」と内心で地団駄を踏みながら、クロイスは部下達の仕事の速さをただただ祈るのだった。