54話 影の竜
ハーデスの目には、死の瘴気が見えている。
故に、人形に全ての瘴気が吸われた事をハーデスだけが知る事が出来た。
人形を核としてあっという間に変異していくゴーレムは、最後の瞬間、リンドブルムの顔となって本体であるリンドブルムと視線を交わす。
視線は厳しく、険しく、何より悲しみに満ちており、何かを伝えたいのか全く視線を逸らさない赤い瞳を、リンドブルムは金色の瞳でじっと見つめた。
――何故、お前は生きている。
――影の竜に、そう、問われたような気がした。
目を瞠るリンドブルムの前で、自らの分身は瞬く間に姿を消す。
『……っ!』
「案ずるな。後は十兵衛達が何とかする」
『しかし、これは我の影なのだろう!?』
三百年分の負の魔力の塊だというそれを相手にする十兵衛達を、リンドブルムは心配せずにはいられない。
腐っても竜なのだ。その分身が人の身にとってどれほど強大な存在であるかを、リンドブルムはよく理解していた。
『無茶な事を!』と叫ぶリンドブルムに、ハーデスはやれやれと肩を竦めてみせる。
「十兵衛はやると言った。だから任せておけばいい」
『だがハーデス……!』
「あれは、約束を違えん男だ」
真っ直ぐな声色だった。
心から信頼しているのだと他者にも伝わるような、牢乎たる意志を感じさせる一言だった。
ぐっと言葉を飲んだリンドブルムを優しい眼差しで見つめ、ハーデスは声を張る。
「クロイス! ゴーレムの転移は完了した! ソドム達の転移の準備に入れ!」
『了解だ!』
「スイ! カガイ! 胸部を残し、表面上の傷の治癒を迅速に終わらせろ! すでに部分的に鱗の再建は始まっている!」
『はい!』
『分かりました』
「ウィル! 吸血量の速度をもう一段階早めろ! 血の濾過が済めば全体の治癒に移行出来る!」
『りょ~かい!』
「ジーノ! 遠隔での操作が終わり次第、お前をバーズ平原に送る! ダニエラ達の補助を!」
『お任せを!』
目を瞬かせるリンドブルムに、ハーデスは静かに告げる。
「十兵衛だけじゃない。お前を思う者は、今聞こえた以上にもっといる」
『……!』
「だから、リンドブルム。安心して生を望めばいい」
『だが、我は……!』
何故お前は生きているのだと、影の竜は問うた。
その言葉は、きっと自身から出た物なのだとリンドブルムは思う。
助けを受けると決めても、ずっと後ろめたさが消えない。
生き恥を晒す事にもがき苦しんでも、許しがあるわけもない。
それでもハーデスは、ただ、リンドブルムの生を望んだ。
「何より、彼らの存在は、何故生きるのか迷った時に一つの指標になるはずだ」
「思われているからだ、と」
命は、思い思われ、生きている。
ハイリオーレを高めるのも、魂の格を上げ次元を超えるのも、全ては思いの力がある故だ。
生きる事に大した理由が無くたって、誰かに思われたというその事実だけで、生きる指標に変えていい。
そんなちっぽけな理由を大事に抱えて生きていても、命が続く限り証は刻まれるのだから。
リンドブルムの魂の声が聞こえたからこそ、そう告げたハーデスに、創成の竜は涙を流して頷いた。
声なき感謝の言葉を受けて、ハーデスも目を細める。
死の律の癖に、この所よく生を望むようになったなと、内心で苦笑しながら。
***
「【創造木魔法・タムの木】!」
魔導書を掲げたダニエラの前に、幹と葉に弾力性のあるタムの木が生える。
人一人は乗れる大きな葉に飛び乗った三人は、前方から凄まじい勢いで発射された水魔法を、散り散りになって避けた。
避けた場所に残ったタムの木が、影の竜による水魔法で幹ごと折られて吹き飛ばされるのを見て、自身の末路の想像に至って心底ぞっとする。
「あんな水圧のくらったら全身の骨砕けるんだけど!」
「そもそも竜との戦闘が俺は初めてなんだが!」
「奇遇だな! 我が輩もだ!」
「おやっさんはあると思ってたー!」と叫ぶダニエラの前に影の竜の尾が飛んできたのを、十兵衛が全力で駆け寄って担ぎ上げて逃げる。
「どわー!」
「須佐之男命の賢さが! 分かる!」
「そりゃ酒で眠らせねば勝てん!」と苦笑いしながら、すでに魔法を唱えていたダニエラと動きを合わせた。
「行くよ十兵衛君!」
「承知!」
「【創造木魔法・ノギの木】!」
大地に発生した急速に成長するノギの木を足場に、十兵衛は空へと駆け上がり影の竜の上空を取る。
だが、竜とて容易に空は取らせない。
不届き者を叩き落そうと顔を振り向かせ、大きく口を開けたところを、死角からガラドルフが迫った。
「【拒絶の障壁】アーンド突撃バーーーッシュ!」
大盾を構えながら竜の右足に向かってガラドルフが突進を仕掛ける。
魔物を通さない【断絶の障壁】に対して、人を害する者の全て拒絶する【拒絶の障壁】は、風魔法でいう所の【衝撃波】と同じく、触れる者を吹き飛ばす効力があった。
ガラドルフが世界で唯一【聖騎士】と呼ばれる所以もここにある。
神殿騎士よりも奇跡に長け、神官よりも戦闘に長ける。
ドワーフとエルフの血を引くガラドルフ・クレムは、真実、超越者の一人でもあった。
ガラドルフの激しい突進を足に受け、影の竜の巨体が大きく傾く。
水魔法の焦点がずれた隙を狙い、十兵衛は竜の背に飛び乗って打刀を抜き払った。
長い刀身に曇りは一切なく、水飛沫に煌めく光が、まるで鏡のように白刃に映る。
――箱乱刃無銘、【夜天】。
祖父より賜った八剣の内の一振りは、世界を超えてなお十兵衛の側に在り、変わらぬ切れ味を誇った。
翻る刀身は、確かな感触を持って竜の翼膜を滑るように撫で斬り、そのまま上背に続く太い骨ごとストンと落とした。
「――シッ!」
「いよっしゃぁ!」
上空の光景に、ダニエラが飛び上がるように喜びの声を上げる。
竜の翼が、根元から切り落とされたのだ。
模倣生物故に血も出ないため、血払いを行わずに済む事に安堵しながら、もう一閃片翼を切り飛ばす。
悶絶する竜の背から逃げるように、十兵衛は先んじてダニエラが設置していたタムの木へと飛び降りた。
「よくやった十兵衛!」
「空に逃げられずに済んだね! ナイスぅ!」
「第一段階は成功だな。さぁ、後はこいつのどこに核があるかだ……!」
瞬間、影の竜の怒りの咆哮が、バーズ平原にびりびりと響き渡る。
生き物としての格の違いから、強制的に恐慌状態に陥る所を寸での所で耐え、十兵衛は生唾を飲んで無意識に口角を上げた。
久しく感じていなかった侍の死に狂いの血が、ざわり、と十兵衛の中で煮え立った。