53話 理論改変
――遥か昔、一人の神官がいた。
友であり、またその身を護る供でもあった神殿騎士と二人、世界を巡る旅をした。
神官は、女神レナの信仰と愛を、遍く世に伝える信徒であった。
そんな神官はある日、魔物の瘴気で汚染された土地を持つ村に辿り着く。
魔物を追い払ったものの、作物は枯れ、大地は汚染され、もう人の住めない土地に変わってしまった事を嘆く村人に、神官は「お任せください」と申し出た。
「魔物の瘴気は、女神レナ様のお力で祓えます。私が女神様の愛と奇跡を、皆様にお見せ致しましょう」
神官の言葉通り、女神の奇跡は大地の穢れを見事に浄化してみせた。
女神の力に畏れ、敬い、傾倒した村人達は、神官に女神の教えを乞う。
そんな村人にレナ教の何たるかを伝える寸前、悲劇が起こった。
――神の雷が、神官を貫いたのだ。
供の神殿騎士は語る。
人のための奇跡を、神官は大地に用いたからだと。
女神の愛は人のためにあるはずなのに、神官は大地に向けたからだと。
けれども、友でもある神殿騎士は語る。
しかしそれは、人のためでもあったのだと。
何故人のために奇跡を使った彼女が、神の怒りを受けねばならないのかと。
以降、神殿騎士はその生涯をかけて、一つの呪術を生み出す。
――名を、【護黒紋】。
神官の舌に刻むその紋は、人のために生き、人のために力を用いた神官達の、最期の言葉を後世に伝えるものだった。
何が神の怒りに触れるのか。何が教えに背くのか。
その瀬戸際を生きる正しく人のために奇跡を使う神官の、その死を無駄にしないために。
護黒紋は死した神官達の死の理由を刻み、長き時に渡って受け継がれる。
紋を刻む者は、彼らの最期から境を見極め、今日も人のために奇跡を使うのだ。
女神レナの愛が今なおここに在る事を、世界に知らしめるように――。
***
――我、この力を用いて汝の愛する子らを救わんとす
――我、愛を正しく用いて汝の愛する子らを救わんとす
――汝の愛する子らの嘆きを疾く打ち払い、汝の愛する子らの痛みを疾く打ち払い
――故に我ら、汝の愛する子らの愛する者の健やかなる命を願い
――今ここに、汝の与えたもうた力を顕現せしめん
「理論改変、【慈愛の息吹】!」
暖かな風がふわりと舞い上がり、淡い緑色に発光したエネルギーの奔流がスイとカガイの両手から発せられる。
奇跡、【慈愛の息吹】は、広範囲を対象とした高等回復術式である。リンドブルムの大きさを鑑みて、広範囲術式を選択したのだ。
回復力は高難度の回復術式である【女神の抱擁】には劣るが、一点集中よりまずは全体の鱗の回復を図った。
目の前の転移門に吸い込まれるのを確認してから、二人はジーノの展開する映像を注視する。
画面端では魔力を吸うゴーレムが瞬く間に姿形を変えていっていたが、クロイスの転移門により変異する矢先からバーズ平原へと飛ばされているようだった。
回復はうまく入っているようで、リンドブルムの傷口に淡い緑色の光が宿り、徐々に治癒が始まっている。
「ウィルさん!」
「あいよぉ! 【竜血操作】!」
スイの声に応じて、ウィルが魔法を展開する。胸部にほど近い傷から血液を引っ張り出し、ハーデスの手元の濾過装置へと接続させた。
「ちゃんと出来てるか!? ハーデス!」
『問題ない。正常に動いている』
映像先で、ウィルの声にハーデスが頷く。血の濾過装置を通って正常な状態に戻った血液は、ハーデスの転移魔法で体内へと送られていった。
『汚水は……』
『何、心配するな。クロイスがうまくやっている』
「やっているけれども……!」
簡単には言わないで欲しい! と内心呟きながらクロイスはこめかみに汗を滲ませていた。
ハーデスが複数の転移門を同時展開しているのと同じく、クロイスも汚水をオーウェンの濾過装置に送る役目と、変異したゴーレムを逐次バーズ平原へと送る役目を果たしていた。
どちらも定まったサイズを送る物ではない上に長距離であるため、常時調整が必要になる高難度な対応だった。その上長時間に渡る物ともなると、魔力量の調整にも負荷がかかる。
故に、転移門の複数同時展開を平然とした顔でこなしながら血の濾過装置の術式まで使っているハーデスは、クロイスにとって最早破格の存在だ。
圧倒的な格の違いを感じつつも、クロイスは落ち込む事無く自分の責務を果たすために転移門の維持に集中するのだった。
***
「いや~……」
「予想はしていたけども……」
「でっかくなーーい!?」
クロイスの【可視化の転移門】から徐々に召喚されていく体長は、最早リンドブルムの大きさをはるかに上回っていた。
リンドブルムでさえなかなかの大きさの竜だというのに、一部分しか見えてない現状で二回りも三回りもサイズが違うのが目に見えて分かる。
「三百年分の重みだのう」
「これを支える竜の鱗は、よほどの物なのだな」
「いやほんとに。しかも真っ黒だし。怨念籠ってそうじゃん」
怨念というよりは、悔恨だろうな、と十兵衛は内心呟く。
罪への思い。友を裏切った後悔。約束を果たせない己への怒り。
死の瘴気というのも、死にたいけれど死にきれなかったリンドブルムの思いの発露だとするのなら、これほど悲しい物も無いと十兵衛は思う。
「必ず討ってみせよう。これ以上の贖いを、きっとオーウェンも許さない」
打刀を構えた十兵衛の前で、リンドブルムの影が完成に至る。
――睥睨してくる影の竜と侍の視線が、真っすぐに交わった。