52話 救出作戦決行の日
作戦決行日のオーウェン領は、抜けるような晴天だった。
雲一つ無い青空の下、リンドブルムより北西に位置するバーズ平原で、十兵衛は屈伸をしながら来る戦闘に備えていた。
バーズ平原は膝下程の草花が広がるのどかな場所であり、普段は野生の馬がよく走っているという。確かにここで馬に乗って駆ければさぞ気持ちいいだろうなと思いつつも、先んじて動物除けの香料をダニエラが撒いていたため、現状他の動物の姿は一匹も見えなかった。
ぐるりと辺りを見回しながら、十兵衛は遮蔽物が一つもない事に少し不安を覚える。
パルメア大運河より数キロは離れているものの、何も掴まれる物が無い場所で水を繰る竜の模倣生物と戦うのは、なかなかにぞっとする話だ。
流されれば目も当てられない有様になるのを防げるのは、戦闘組紅一点のダニエラしかいなかった。
後ろで魔導書を読んでいたダニエラに、「今日は宜しく頼む」と声をかける。顔を上げたダニエラは、にっと白い歯を見せて胸を叩いた。
「まっかせて頂戴! 私の木魔法、伊達じゃないとこ見せてあげるわ!」
「それにおやっさんもいるから大丈夫でしょ!」と隣に立つガラドルフをダニエラが見上げる。
話を振られたガラドルフもにっと白い歯を見せて笑うと、被っていた兜の面頬を下げて大斧を担ぎ上げた。
「大船に乗ったつもりでおれい! 我が輩がいる限り負けはせん!」
「それは頼もしい」
「いや本当に負けないからすごいのよ」
「何?」
目を瞬かせる十兵衛に、ダニエラは片目を瞑る。
「硬い! 強い! タフ! 防御力と回復力に関して、ガラドルフのおやっさんは他の追随を許さないわ」
「倒れぬ戦士、というわけか」
「戦場を知る剣士ならば、その意味も分かるであろう?」
ふふん、と鼻を鳴らすガラドルフに、十兵衛も頷いて目を細める。
「あぁ。まったく恐ろしい存在だとも」
きっと自分とて、殿の命を守るためなら弁慶の立往生をもしてみせる自信はある。
そんな事を思いながら、十兵衛は爽やかな風の吹く平原をじっと見つめるのだった。
***
オーウェン公爵邸の広い庭の一角に、配管修理用の機材一式と設置するだけまで組上げられた設備が、うず高く積まれている。
その側では設計図を片手に手順を最終確認しているソドムとオーウェン騎士団が並び、侃々諤々議論を繰り広げていた。
それを横目で見ながら「喧しい」と呟いて、ハーデスが血の濾過装置の術式を掌の上に繰り出す。
ハーデスの言葉に苦笑したクロイスは、ソドム達をフォローするように間に立った。
「慣れない事をするんだ。ギリギリまで最善を追求するのは悪くない」
「終わらせておけという話だ。スイもカガイも準備を済ませているというのに」
「我々は本職ですから。スイ、理論改変の手順は大丈夫ですね?」
「問題ないです! 神官長と合わせて発動します」
「宜しい」
場数を踏んでいるカガイとペアを組むスイに、不安は無い。日頃の衝突があっても、カガイの実力は嫌という程知っているからだ。力強く頷いたスイに、カガイも満足げに口角を上げた。
そんなスイとカガイから少し距離を置いた所で、ウィルが緊張して強ばる顔を隠さないまま、隣に立つジーノに泣きついていた。
「なー! 俺出来ると思う!? 血の操作!」
「昨日も自分の血で試しただろう。その時出来てたから大丈夫だ、きっと!」
「きっとっていうのがヤだー! 絶対って言え!」
「面倒臭いな……! ダニエラがここに居たら絶対尻蹴られてたぞ!」
「るせー! ダニエラには言うなよ!」
「はいはい……というかお前、本番でこっちに泣きつくのはやめてくれよ。僕も【投影】の展開に忙しいんだからな!」
「分かってらぁ!」
やいのやいのと囂しい二人の魔法使いを、クロイスが肩を竦めながら見る。
賑やかなのは良いことだが、そろそろ時間だと思ったクロイスは、「さて、」と手を打って現場を一瞬に静めた。
「間もなく開始時間だ。各員配置につきたまえ」
「はっ!」
「ハーデス君も、いけるかい?」
「いつでも」
端的に答えたハーデスにクロイスは頷き、向かい合うように立つ。
血の濾過装置の最終確認を終えたハーデスは術式を掌から消すと、両手の指を胸の前で揃えるクロイスに合わせて、同じポーズを取った。
クロイスが練り上げる魔力に揃える様に、ハーデスも同等のエネルギーを練り上げる。ゆっくりと指を離すと、二人の手の間には青白い魔力の糸が同じ太さと本数で発生していた。
「【賢者の兵棋】!」
普段は出さないかけ声を、あえてクロイスはハーデスと呼吸を合わせるよう発した。
同時に展開した賢者の兵棋はまったく同じ速度で広がり、二つの立方体が重なり合うようにリンドブルムの街全体を覆った。
賢者の兵棋は、転移魔法の座標を定める補助と精度を高める魔法である。
故に、同時にかつ全く同じサイズの賢者の兵棋を展開させることは、ハーデスとクロイスの座標の認識に一ミリの差異も発生させないことに繋がった。
見事に完全一致した指標に満足げに嘆息すると、「さすがだな」とクロイスはハーデスを讃えた。
「当然だ」
「素直に喜んでくれた方が讃えた方も嬉しいのだがね。さて、では向こうは頼んだよ」
「あぁ」
返事と共に、ハーデスがリンドブルムの祠へ飛ぶ。さほど時を置かずにスイとカガイ、ウィルの前にそれぞれ【可視化の転移門】が発生した。
それを確認すると、ジーノが【投影】で祠に持って行かれた街灯からの中継映像を繋ぐ。
リンドブルムの頭の側に立ったハーデスが血の濾過装置を展開したのを見たウィルは、自身の目の前にある転移門へと手を翳した。
同様にスイとカガイも転移門へと両手を翳し、クロイスを見て頷く。
それに応えるように頷いたクロイスは、ガラドルフから受け取っていたゴーレム人形を取り出し、【可視化の転移門】を自身の足下に開いた。
「リンドブルム救出作戦、これより開始する!」
転移門に落とされたゴーレム人形が、亜空間を通って祠へと移動する。
竜の魔力を感知したゴーレム人形が、映像の向こう側で瞬時に姿形を変えていくのを、スイ達は緊張の面持ちで見つめるのだった。