48話 クロイスは二度跳ぶ
貴賓室の扉を四回ノックし、許しを得た後にロラントは室内へと静かに入る。
片手に持った盆から、最高級茶葉で淹れた茶をティーカップソーサーと共にテーブルに並べ、シュガーポットや小さなミルクピッチャーも静々と置いた。
先日、このティーカップ絡みの事でロラントは十兵衛から謝罪を受けた。
ヴァルメロの攻撃から庇ってもらった事もあり、「こちらこそ謝罪と感謝を」と述べるロラントに、十兵衛は慌てるように言葉を重ねる。
「いや、実はおそらくこちらのお屋敷から、ハーデスが茶入りの茶器を盗んだようなのです」
十兵衛が語る所によると、茶を用意するためにハーデスが【小規模転移】を使って茶器を転移させたとのことだった。――確かに、それに関わるような事件は先日起こっていた。
その日、ロラントはクロイス不在の間の業務について、ソドムとゴモラを呼び出していた。その二人に出す予定だった茶が、テーブルに並べた瞬間にかき消えた事があったのだ。
しかし、オーウェン邸にはクロイスの魔法以外を阻害する結界が張ってある。故に「閣下が茶をご所望だったのかもしれんなぁ」というソドムの言にあっさり納得し、普通に淹れ直したのだった。
次の日の朝になると空になったカップが戻ってきていたので、「ああやはりクロイス様が……」と特段問題視もしていなかったロラントは、真実を知って呆気にとられた。
ハーデス本人からは、「そういえばこの辺りで一番高級で旨い茶という条件で取ったような気がする」と告げられたので、それはちょっと誇らしいな、と嬉しく思う。隣で話を聞いていたクロイス本人は、「阻害結界の更新について吟味する必要があるな」と肩を落としていたが。
そんなティーカップに纏わる話を思い出しながら、ロラントは一礼して部屋から退出する。
――クロイスと、カガイの面会だ。
食事を終えたここからが本題となるだろうと思いつつ、良き会談となりますようにと祈りながらホールへと向かった。
***
「そこでぴょんぴょん跳びなさい、クロイス」
「もう何も出んわ!」
「どこまで絞り取るおつもりだ!」と青筋を立てて怒るクロイスに、カガイはふんと鼻を鳴らして笑った。
「まったく、詰めの甘い男ですね。私のフォローに感謝するのならもっと盛って頂いて構いませんよ?」
「神官長に言われずとも、私の方でも手は打っていた」
「聖騎士に続く新たな称号の事でしょう? ……サムライ、でしたか。それが通るまでに問題が起きないとでも? 英雄の所業を為したとて、そこに一片でも陰りが見えれば民の心はすぐに疑心に満ち溢れる」
鋭い指摘に、クロイスはむむ、と黙り込む。
魔石の扱いについて、十兵衛達が取る方法は前代未聞だ。魔道具にするわけでもなく、吸収するわけでもなく、魔石の買取を行う商会に売るわけでもない。ただ持ち歩くという行為は、言わば強大な力の行き先を定めていない事にも繋がるのだ。
それに不安がる人々が出てくるというカガイの指摘はもっともで、故にまずは神殿への寄進によって「人の為を思い財産を捧げられる者である」という名分を得るのは一番の妙手だった。
ただ、差し出された金銭があまりにも少なかったので、金の流れを不審なく作るために、カガイはクロイスに「パッと出せる金を全部寄進なさい」と強請ったのだった。
「カルナヴァーンの魔石はクロイスが買い取り力と変えて吸収し、それで得た金を十兵衛が全てうちに寄進した。そういう筋書きにしておけば、集りにくる輩は減るでしょう」
「私の所は大損害なわけだが」
「スイの撒いた種です。父親が回収しなさい」
「それを言われると何も言えん~!」と頭を抱えてクロイスはソファに倒れ込む。
カガイは呆れたようにその様を見ながら、ロラントの淹れた美味しい茶を口に含んだ。
「お転婆娘め……! カルナヴァーンと目と鼻の先で奇跡で民を守ってただと!? 公爵令嬢が何をどうしたらそんな目に巻き込まれる!」
「レティシアによく似ていますよ。目的達成のために手段を問わないところは貴方似ですが」
「家に帰って来て最初に見た紙面が、郵便大鷲に跨る娘だった時の気持ちを考えて発言して欲しい」
「親の顔が見たいですね」
「君の部下だが!?」
はぁ、と二人同時に深い溜息を吐いて、仕切り直すように姿勢を正す。
「結局、竜の瘴気は駄目だったんだな」
「毒ではなく死となると、さすがに神官は出せません」
「死の瘴気か……。自然界でも生き物が生きられない瘴気の噴出する場所はあるが、そこが毒かはたまた別の物かはまだ解明されていないからなぁ……」
「わざわざ死人を作りに行く必要もないですからね。まぁ、治療は約束しましたので時がくれば呼んでください」
「竜にも奇跡は通用するのか?」
「あれは人のための力だろう?」と問うクロイスに、カガイは目を細めた。
「竜が死ぬと悲しむ人がいる。故に奇跡を竜のために使う事は、すなわち人のために繋がる」
「……理論改変か。危ない橋を渡るものだ」
ぺろり、と悪びれる事無くカガイは舌を出す。その舌体には、禍々しい黒い紋章が刻まれていた。
それを、苦々しくクロイスは見る。
高位神官の中でも破格の力を持つ者は、舌に護黒紋と呼ばれる紋章を刻まれる。
神への絶対の忠誠を誓う証明でもあり、神の力を得ると同様に真理に近づいた者の裏切りを許さない枷でもあった。
神への裏切りがあれば、その舌は即座に切り取られ窒息死することとなる。逆に言えば、護黒紋が反応しない事は、神に許されているという判定にも繋がった。
故に、護黒紋持ちの高位神官は、奇跡の使用に対して理論改変を用いて境目を模索する。神に絶対の忠誠を誓いながらも、彼らは最期まで人のためにある事を貫く、人の守護者でもあった。
「私にも思う所はあるわけですよ。レティシアが最期まで望んだように」
「……神官長、」
「人はもう、真理に手が届く所まで来てしまった」
重く呟いたカガイに、クロイスは黙り込んだ。
その言葉の示す所を、先日沈思の塔で聞いたばかりだ。
カガイに話すわけにはいかないが、辿り着く結論はおそらく同じだろうと思いつつ、クロイスは口を開きかけた。
――と、そこで扉がノックされる。
入室許可を出すと、ロラントが静かに室内に入ってきた。
「会談中失礼致します」
「どうした?」
「お嬢様がお客様を連れて戻って参りまして、クロイス様にも面会頂きたいと」
「誰を連れてきたんだ?」
「ガラドルフ様です」
「は?」
「えっ!?」
「もう戻ってきたのか!?」と思わず腰を上げたクロイスとカガイに、ロラントは重々しく頷いた。
「重ねてのご報告です。箝口令が機能しなくなりました。すでに冒険者ギルドから十兵衛様の偉業は広まりつつあります」
「な……あ……」
「ガラドルフがやりましたか」
「そのようです」
「……神官長、本当に感謝する」
「やっぱりぴょんぴょんなさい、クロイス」
言われた通りにその場で二度跳んだクロイスに満足げにカガイは頷き、ロラントは哀れむように顔を伏せるのだった。