45話 神官長の有り難いお話
「カルナヴァーンの事、箝口令が敷かれる前からご存じだったのですか?」
「さて。それをオーウェン公爵令嬢にお話しする必要が?」
「……いつもは他の神官と同じく呼び捨てになさるのに!」
いーっ! と歯を見せて威嚇したスイに、呆れたようにカガイが肩を竦めた。
「まぁ、なんにせよまずは訪問理由ですね。竜の瘴気の話でしたね?」
頷いた十兵衛は、地下水路にこの街の創成のリンドブルムがいた事、リンドブルムが汚水を浄化していた事、そして間もなく浄化の源となっていた鱗が尽きる事を話す。
汚水を受け続けた身は治りきらぬ傷で膿んでおり、竜の血まで汚染され死の瘴気が発生し、近づく者を死なせてしまう事も。
「よく無事に帰ってきましたね」
「あー……えーっと。特別な力がハーデスにはありまして、私だけはその恩恵を受けております」
「魔物の放つ瘴気を無効化する奇跡はレナ教にもありますが、それと同等のものでしょうか」
「分かりかねます。ただ、他者にかける事が出来ないので、もしそちらの奇跡で対応出来るのであれば、排水管を直す作業員を守る務めをルナマリア神殿の方々にお願いしたかったのです」
「…………」
顎に手をあてたカガイは、しばらく長考する。
固唾を飲んで見守る十兵衛達の前で、カガイは眉間に皺を寄せると、答えるように顔を上げた。
「無理ですね」
「どうしてですか!」
立ち上がって抗議するスイに、「考えてもみなさい」とカガイは語る。
「毒ならまだ回復の手段もあるでしょう。たとえ瘴気のせいで毒にかかったとしても、【解毒の法】は人を脅かすありとあらゆる毒に対応します。中和ではなく異物を抽出する奇跡ですからね。しかし、死の瘴気となれば話は別です」
「…………」
「どれぐらいの吸引で死に至る? 瘴気に触れたとして即死なのか、はたまたゆっくりと死に至るのか。何より必ず死に至るのであれば、そもそもそんな危ない場所に大事な神官達を行かせるわけにはいきません」
「でも、もしかしたら【邪気の障壁】で対応できるかも」
「誰が試すのですか」
鋭く言い放ったカガイに、ぐっとスイは唇を噛み締める。
「【邪気の障壁】が効かなければ、神官は死ぬんですよ?」
「わ、私が……!」
「馬鹿な事を。神官長命令で死の瘴気に関する神官の派遣は禁じます。スイ、先んじて告げておきますが、これ以上の命令違反は許しません。破った場合、君の神官の資格は即座に剝奪します」
「……!」
神官は皆、女神の血に浸された血晶石を身に着けることで奇跡の発現に至る。それを剥奪されると、奇跡の一切を使えなくなるため、資格の剥奪は奇跡の消失も意味していた。
それを痛い程理解しているスイは、歯噛みをして黙り込む。
――スイにとって、リンドブルムは特別な竜だった。
生まれ育った街の創成の竜であることもさることながら、リンドブルムは今は亡き母――レティシアも愛した竜だったからだ。
「クロイスとの結婚の決め手は、かっこよさが半分、竜とお友達の子孫だったのが半分よ!」なんて本当か嘘か分からない冗談を言っては、クロイスを困らせていた。スイが竜を好きになったのも、多分にレティシアの影響だ。
「私、竜とお友達になりたかったのよ」
人よりも長い時を生きる竜と、沢山おしゃべりをしたいのだとレティシアは語った。
知らない事を知りたい。未知を既知としていきたい。
人の語る歴史ではなく、長き時を生きる生き字引からの話を聞いて、あわよくばお友達になってほしい、と。
神官のくせに誰よりも冒険者の心を抱いていたレティシアは、竜と人の話を何よりも好んだ。
だから、リンドブルムとオーウェンはまさしくレティシアの憧れだったのだ。
自分の願いを遠い昔の魔法使いが叶えていたのだから、「リンドブルムと魔法使い」の絵本は、彼女にとって奇跡の詰まった夢のような物語だった。
そんな母の愛したリンドブルムが、水に溶けて消えてしまったのではなく、本当に生きていたのだ。
スイにとってそれは、一筋の光明だった。母の夢を代わりに叶える時が、スイの手の届く場所にまで降りてきたのである。
だからこそ、このチャンスを逃したくないと強く思う。リンドブルムが再び空の下で泳ぐことを望むのならば、出来る限り手助けをしたい。そうして、出来る事ならオーウェンの子孫として、時を超えた友情を育みたい。
そう願う心は、彼女に諦めという言葉を忘れさせた。
「――っ私は!」
「承知しました。ご検討頂き誠にありがとうございます、カガイ神官長」
スイの言葉を遮ったのは、十兵衛だった。驚くスイの手を引いて有無を言わせず座らせると、そのまま十兵衛が会話の主導権を握る。
「ではもし瘴気の問題を解決出来れば、治癒の方だけでもお願い出来ますでしょうか」
「……解決出来れば、ね」
「有難く」
「十兵衛さん!」
「どうして!」と噛みつくように叫ぶスイの手首を、十兵衛は少し強く握りしめた。
鋭い痛みを感じて黙り込んだスイは、こちらを一向に見ない十兵衛に戸惑いを覚える。
「では、本日はこれにて失礼致します。また進捗があり次第、ご連絡致します」
「……待ちなさい」
腰を浮かしかけた十兵衛を、カガイが引き留める。
「竜の瘴気についての話は以上ですが、こちらから君に向けての話がまだあります」
「どんなお話でしょう?」
「魔石の話です」
黙って成り行きを見守っていたハーデスが、その言葉に眉を顰めた。
「譲れ、という話は聞かん」
「まさか。神官は魔法使いとは違う。魔石から力を得るなどあり得ません」
「ではなんだ」
「その魔石をどうするつもりですか」
クロイスと同じ問いを、カガイは問うた。
それに対してハーデスも、「どうにもしない」と同じ答えを返す。
「ただ持ち続ける。それだけだ」
「魔物に渡すわけではないのですね?」
「あり得ない」
「これは魂の持ち主の物だ」とは内心で呟いて、ハーデスは鼻で笑った。
だが、その答えでは満足出来なかったらしい。カガイは冷酷な表情を浮かべると、目を細めて「信じられませんね」と吐き捨てた。
「金になる魔石を意味もなく持ち続ける? そんな理由が通ると思っているのですか。いつか魔物に渡すつもりなのではないかと考える方がまだ理にかなっている」
「お前に信じて貰えずとも、私達は真実、魔石を持ち続けるだけだ」
「私だけだと思うのですか?」
「……何が言いたい」
威嚇するように低い声で問うハーデスに、カガイは悪役じみた笑みを浮かべて手を差し伸べた。
「レナ教の信徒は皆、君達が魔物に通じる者なのではないかと心配している、と言っているんです」
「…………」
証明が不可能なことをよくもつらつらと、とハーデスは内心唸りながらカガイを睨みつける。
ここで「違う」と言い募った所で、「証拠は?」と返されるのが関の山だ。
答えの出ない問いを重ねて何になる、と言いかけた所で、急に十兵衛が立ち上がった。
「お、おい……」
「気が回らず大変失礼致しました。私達は人に徒なす者ではなく、魔物と通じる者でもありません。少ないですが、これを持って証明とさせて頂ければと」
差し出したのは、十兵衛が持つ限りの全財産だった。
ロキート村で得た礼金の全てを差し出した十兵衛に、ハーデスとスイは目を見張る。
あまりの事に二人が呆気に取られている内にカガイに財布を握らせた十兵衛は、「それでは今度こそ、失礼致します」と笑みを浮かべ、何か言いたげなハーデス達の腕を引いてさっさと執務室から立ち去った。
***
「いや~、カガイ神官長は良いお方だったな」
「どこが!」
「どこがだ!」
神殿外の階段を下りながらそう述べた十兵衛に、スイとハーデスから同時に突っ込みが入る。
思った以上の勢いで言われたので、十兵衛は驚きつつも宥めるように語った。
「良いお方だったとも。初めから本当に腹を割って話してくれた」
「あんなの、脅しじゃないですか! 箝口令を敷かれた事実を知っているぞって……!」
「そう。ご存知でいらっしゃった。だからこちらが手練れである事を理解していたはずなんだ。それでも、カガイ神官長は腹心の者しかあの場に配置していなかった」
「……?」
首を傾げるスイに、「普通は得体の知れない者との謁見には、より多くの人員を配置する」と補足する。
「例えオーウェン公から話がいっていたとしても、あのような立場の者が寡兵で良しとするとは思えない。それでもあの形を取ったのは、きちんと箝口令を守るおつもりでいらっしゃったからだ。だからあの時点でもう、俺はだいぶとあの方を信頼していたよ」
「……でも、協力は出来ないと……」
「それとて、神官とリンドブルムの事を思えば当然の結論だったろう」
「リンドブルムの?」とスイは目を瞬かせる。
「もし奇跡を――例えばスイ殿が試したとして、それで命を落としたらリンドブルムは己を責めるだろう」
「……!」
「危ない橋を渡らせたくないのは、神官のためだけじゃない。リンドブルムのためでもある。カガイ神官長が止めなければ、俺だって止めていたとも」
「そう、ですか……」
恥じ入るように俯いた。リンドブルムのためと言いつつも、あの場でのスイは母と自分の事しか考えられていなかった。
例え命を賭してもと思う事こそが、リンドブルムを傷つける事に繋がるというのに。
「最後のだってそうだ」
「……金を巻き上げられたのが?」
不服そうに腕を組むハーデスに、「寄進したんだ」と十兵衛は笑う。
「魔石を持ち歩く事が世に大きな影響を及ぼすとはオーウェン公から伺っていたが、それが人々の不安に通じるとは思っていなかった。カガイ神官長から言われて、やっと分かったよ」
「魔物と通じているのでは、という奴だろう? 言いがかりにも程がある」
「だが、そう思う者がきっと出る。だからこそ神殿に寄進しておけということだ」
きょとんとするハーデスに、十兵衛は分かりやすいように言葉を選びながら話した。
まず、前提として神殿は人のためにある。
魔物から人々を守るために、女神レナは愛を力と変え奇跡を得た。その力を授けられた神官達は、女神レナの願い通りに違う事無く力を使う。まさしく、人のために正しく奇跡を繰るのだ。
そんな彼らを纏める神殿に寄進しておけば、「私は世のため人のためを思い、財産を捧げる所存です」という名分を立てる事が出来る。
「人のためを思い多くの金銭を支払う者が、魔物と通じているはずがない、と思ってもらえるというわけだな」
「詭弁だそんなもの」
「大義名分が必要なんだ。何より直接受け取って下さったのも大きい。それだけで俺は、『あの神官長に直接寄進出来た男』という箔がつくからな」
「きっと他の地の神殿でも、多少の信頼は得られるだろうよ」と言葉を締め、十兵衛は微笑んだ。
「スイ殿の上官は素晴らしいお方だな。ま、方法は少々意地悪だったが」
「……陰険なんです。ケチだし。お金無い人からも絶対に巻き上げるし」
「それとて理由があるような気がするがなぁ……と、すまない。先程強く掴んでしまったが、手首の方は大丈夫だったか?」
心配そうに伺う十兵衛に、そういえばそうだったなと思い至ったスイは「そんなに痛くなかったです! あったとしてもちょちょいのちょいです!」とさっさと奇跡を使った。
「神の愛をちょちょいのちょい……」
「スイのそういう所は面白いなと、私は評価するぞ」
「光栄です! それでは……とりあえず瘴気の件は置いておいて、ひとまず冒険者ギルドへ戻りましょうか。ついでにご飯も食べちゃいましょう」
そう言って階段を下っていくスイに着いて歩きながら、「あっ……」と十兵衛は情けない声をあげる。
「どうしました?」
「……金が、無い」
「……あぁ……」
「そうだったな……」
「私のポケットマネーがありますから!」と親指を立てたスイに、十兵衛は申し訳なさそうに肩を落として謝るのだった。
***
小さな布袋をぽんぽんと片手で打ち上げながら、カガイは頬杖をついて溜息を吐く。
「英雄の財布、軽すぎやしませんかね」
「……然様ですか」
腹心の騎士は、十兵衛に哀れみを覚えながらそっと目を伏せる。
「仕方ない。クロイスを強請ってくるとしましょう」
「外出ですか?」
「えぇ」
「ではお供致します」
「ついでに飯も出させましょう」と足取り軽く歩き始めたカガイに付き従いながら、腹心の騎士は黙して語らずも、脳裏にある言葉をよぎらせる。
――やはりうちの神官長、結構がめつい、と。