44話 奇跡の力
ルナマリア神殿の内部は、世界最大の宗教であるレナ教の権力を示すがごとく、煌びやかで壮麗な装いが各所に施されていた。
表にあった物より小さな女神像が奥側に配置され、高い位置につけられたステンドグラスから、青と黄色の鮮やかな色味の光が女神像へと降り注ぐ。
その傍には毛足の長い赤い絨毯が敷かれ、祈りを捧げる信徒達が、厳かな空気の中膝を着いて静かに目を閉じていた。
視線を上に向けるように振り仰ぐと、天井は巨大なドーム型に作られており、白い石の彫刻が隅々まで刻まれていた。
女神と思しき彫刻が、何かを示すように指を差し、足元に集う人々を導くように描かれている。
その天井は、時計で言う所の零時の場所から、順番に星の創成の物語が刻まれているのだという。
――蒼き星マーレは、元々溶岩の海が広がる赤き星だった。
――命の生まれぬ大地に悲しんだマーレは、星の力を用いて一柱の女神を生み出す。
――女神の名を、レナといった。レナはマーレに与えられた星の力を正しく使い、見事溶岩の海を鎮めてみせた。
――レナは遍く大地に雨を降らせる。雨は大地を潤し、川を作り、果ては海を作った。
――水の溢れる星に変わるも、色無き世界を憂いたレナは、次に草木を作り出した――……
広い天井の下を、天を見上げながら歩く十兵衛に、説明するようにスイが言葉を紡ぐ。
「そうして最後に生まれたのが、我々人間です」
「……なるほど。まさしく全知全能たる神の話だ」
「全知全能などないと私は」
「ハーーーーデス! その話はまた今度!」
「お静かに願います」
大声を上げてハーデスの言葉を遮った十兵衛に、隣を歩く神殿騎士から注意が飛ぶ。その言に「申し訳ない」と素直に頭を下げて、小さな声でスイに問いかけた。
「しかし、水を操ったり木を生やしたり、話だけ聞くと魔法使いのようにも思える」
「魔法は星の力です。星の力を用いて生み出された女神様もまた、初めは星の力を借りて世界をお作りになったのですよ。――けれどやがて、女神様は女神様だけの力を得るようになる」
「……それが、奇跡」
「ええ」
スイは語る。
星の力を借りて泰平の世を作り上げたレナは、神の子である人々に、より良き星になるよう共に励む事を願う。
その願いに沿うように、最初に生み出された人間はレナと同じように星の力を正しく使い、豊かな星へと成長させていった。
だが、ある日平和な世界は脅かされる。
レナが鎮めた溶岩が再び地表に噴出し、世界の悉くを焼いたのだ。
それは、異世界からやってきた魔物の仕業だった。赤き星の時代に、あの溶岩の海に異世界からの使者がすでに在ったのだという。
魔物達は人を呪った。星の力を使い、魔法を操り、再び住みやすい赤き星へと戻すために。
次々と神の子供達が死んでいく様を見たレナは、ひどく嘆いた。そうして、生みの親であるレナへと人々が注いだ無償の愛を、己の愛と共に力へ変えたのである。
【私の愛は、遍く人のためにある。これを持って力と変え、子供らの命を救い、守り、支えよう。かの異形の存在に、この星を渡さないために】
「レナ様を信じる力が愛となり、転じてそれが奇跡の力となって身に宿る。神官が信徒を増やす事で力を得るのは、これが理由です」
「…………」
「人の生涯は短いですから、どうしてもレナ様の事を忘れてしまいます。故に、その意思を繋ぎ、後世へと伝えていくのが私達神官の役割なんです」
話を聞きながら、これはおそらくハイリオーレが関わる話だなと十兵衛は思った。
レナを信じる人々の思い。神へと向けるひたむきな期待の眼差し。それが、かの女神のハイリオーレを高めるのだ。
そうして魂の格を上げたレナは、何某かの方法で信徒である神官達に己の力を授ける。
スイが回復の奇跡や魔物を寄せ付けない奇跡に長けているのも、女神が人を守ろうとする思いから生まれたものなのかと得心した。
――慈悲深き愛の女神、レナ。
魔物の蔓延るこの世界で、確かにこの神の影響力は強かろうと思いつつふと横を見ると、ハーデスが物凄く不機嫌そうに顔を歪めていた。
「……ハーデス、」
「分かっている。何も言わん」
「言わずとも顔が語りすぎてる」
「ならば見るな」と吐き捨てて、ふいっと顔を背ける。
おそらく、ハーデスが知る真実は大きく違うのだろう。そう察しをつけて、「こちらです」と連れられた大きな扉の前に、十兵衛は黙して立ったのだった。
***
「まずはよく来てくれましたね。改めて君達を歓迎しましょう、八剣十兵衛、それにハーデス」
神官長の執務室に連れて来られた面々は、黒革張りのソファへと腰を下ろした。
黒檀で作られた大きな執務机の前に備え付けられている応接セットは、よく使用されるものでもあるらしい。
想像したものより革の手触りが柔らかいなと思いつつ、執務机の椅子に座っているカガイ神官長へと視線を向けた。
「オーウェン公からいくらか話は聞いています。勿論、聞かされなかった話もありますが」
「……それは……」
「言葉にした方がいいですか? オーウェン公爵令嬢。それとも伏せたまま話を続けましょうか」
カガイの目は、鋭くスイを睨みつける。
口元は机に肘をついた両手で隠されているため見えないが、声色から彼が不機嫌であることはよく分かった。
十兵衛はちらりと室内に視線を配り、おそらく側近であると思われる神殿騎士を一人目に留めた。
じっと見つめる十兵衛に、神殿騎士も気づいたらしい。互いに幾許か視線を交わし、それでも揺るがなかった騎士に十兵衛は満足げに口角を上げると、「カガイ神官長、」と声を上げた。
「どうぞ、伏せずにお話しください」
「……ほう?」
「こちらは三人。しかし、貴方様を守る騎士は一人。それでもなおこの人数差での謁見を良しとしたのは、この方へ向ける信頼が随一の物であるからでしょう」
「…………」
「故に私は、この形で場を設けて下さった貴方様を信じる。どうぞ、腹を割って話しましょう」
十兵衛の言葉にしばし面食らったカガイは、眉間に皺を寄せ深く溜息を吐く。
頭痛でもするのかこめかみに人差し指を突きながら、姿勢を大きく変えて背凭れへとふんぞり返った。
「……いいでしょう、カルナヴァーンを討った英雄よ。君達の話を伺おうじゃありませんか」