43話 一神教と多神教
リンドブルム中心街に位置するルナマリア神殿は、女神レナを祀るオーウェン領最大級の白亜の神殿である。
その規模の大きさから大神殿と呼ぶ者も多いが、ルナマリア神殿関係者は「王都の神殿より大きいなんて思わないでくれ」と忖度して、「神殿である」と述べていた。
ただ、王都とリンドブルムどちらにも行った事がある者は、「やっぱり、リンドブルムの方が……でかくね?」という感想を抱きがちであったが。
「こちらは一神教なのか」
何本も聳え立つ真っ白な石柱の向こう、ルナマリア神殿の中央に見える巨大な女神像を目にしながら、十兵衛はスイに問う。
美しく優しげなまろみを帯びた顔立ちに、所々結われている流れるような髪は、足の先にまで届いていた。石像で表現するのはさぞかし難しいだろうと思える薄いベールは、頭から胸元までかかっており、衣服を表現する布の皺が柔らかさまで伝えてきそうな質感で、見る者を圧倒する芸術品だった。
そんな女神像の建つ神殿へと続く滑らかな真白の石段は百はくだらない段数で、「毎朝これほんと苦行なんですよね」と呟いていたスイは、十兵衛の問いに「そうです!」と気を取り直したように声を上げた。
「この世界で神と崇められるのは女神レナ様のみです。精霊信仰などはエルフの里の方であるようですが、私が扱う奇跡の力は全てレナ様より賜った神の力です」
「なるほど。精霊信仰というと、自然と身近に在るような感覚だろうか?」
「そうだと思います。私もそこまで詳しくはないのですが、魔法使いの中で治癒師と呼ばれる方は、精霊を召喚することで力を借りているそうです」
「八百万の神々、という点で言えば、精霊信仰の方がお前の故郷のそれと近いのかもしれんな」
ハーデスの答えに、十兵衛も頷いた。まったく同じことを思っていたのだ。
「やおよろず?」
「八百万、という字で表す言葉だ」
「八百万! そんなにいてどうするんですか!」
「どうすると言われても、」と十兵衛は苦笑する。
「なんというか、俺の所では森羅万象に神を見出すんだ。八百万とは字で書くが、その意味も数を示すわけじゃない。極めて多く様々である……つまり、多種多様な神々がおりますよ、という意味だな」
「は~……なるほど……」
「川にも、海にも、山にもいる。厠にだって神がいる」
「厠?」
「トイレだ」
「えっ!?」
驚愕の表情を浮かべるスイに、「本当にいるぞ」とハーデスは口角を上げた。
「そんなにいたら、信仰のばらつきがありませんか?」
「どうだろうな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺達にとって八百万の神々は生きる傍らに必ずある存在で、信仰をするから神が在るのではなく、神が在るから信仰をしているように思う。それぐらい、身近なんだ」
十兵衛の言葉に、なるほどなぁとスイは感銘を受けた。
確かに、この世界で最大宗教であるレナ教を知らない地域もある。そういう土地では、自然に祈りを捧げる事の方が多かった。
自然に祈りを捧げても、実際の所その祈りに意味はないのだが、それでも彼らは祈るのだ。日々の安寧と、健康を。
そうした地域に足を伸ばし、レナ教を広めて神官を見出し、奇跡の恩恵を授けていくのも現役神官の務めだった。
己の行いで他者の中で女神レナへの信仰心が高まると、神官は新たな奇跡の力と神力の増加を獲得することが出来る。魔法使いが名声を高めたり魔石で力を得るのに対して、神官は女神レナの信徒の獲得が奇跡の力へと繋がっていた。
「思えば、そこに神がいる……」
「そう。だから俺達は、森羅万象に感謝を捧げて生きている」
「それで実際に神が生まれるしな」
「えっ!?」
頷きながら聞いていたハーデスの答えに、思いもよらない事実を知った十兵衛は素っ頓狂な声を上げた。
「そうなのか!?」
「そうだとも。知らなかったのか?」
「知らないが!?」
「人が神を生むんですか!?」
「神殿に来てとんでもない発言は止めて頂けますか、オーウェン公爵令嬢」
はっと口を噤んだスイは、声の方へと視線を向ける。
階段の一番上、女神像の建てられたホール部分に、しかつめらしい顔をした猫背の男が立っていた。
七三分けに几帳面に分けられたグレーの頭髪の上には、丸みを帯びたひし形の冠が乗っかり、痩せ気味で小さな背丈の彼にしては少々大きい。幅広の眼鏡をかけ、白地に金糸で鮮やかな刺繍の施された祭服を身に纏った男は、袖広の中から細く皺のよる手をするりと見せる。
そうして、金と宝石で作られた杖をかつんと床にぶつけて音を鳴らすと、どこからともなく豪奢な装飾の白い甲冑を着た神殿騎士達が数名やってきた。
「か、カガイ神官長……」
「お久しぶりですね、無断欠勤お嬢様。今月のお礼は無い物と心得るように」
「は、はひ……」
「お客様だ。丁重に奥の間へお連れしたまえ」
カガイの言葉に、「は!」と短く返事をした神殿騎士達が、十兵衛達を取り囲むように整列する。
一切の寄り道は許さないという風に人の壁を作られながら連行される様に、十兵衛は「一筋縄ではいかなそうだなぁ」と内心苦笑するのだった。