42話 フローラルな侍
出迎えようとカウンターから出てきたアンナを見て、十兵衛は思わず固まった。
同時にみるみる首から上が真っ赤になり、耳まで染め上げるやいなやすぐに後ろを向く。
「ご依頼の方ですか? それとも冒険者希望の方で……え?」
「も、も、申し訳ない! 着替え中とは思わず……!」
「はい?」
着替え中も何も制服を着ているけれど? とアンナは自分の服を見る。
胸元にフリルをあしらった半袖の白シャツに、腰には少し大きな胸を支える革のコルセット。黒いショートエプロンの下にはしっかり青地のキュロットも履いているので、別段おかしい所は何一つない。
「あの、仰ってる意味がよく分からないんですが……着替え中ではないですよ?」
「え、ええ!? い、いやしかし……」
「文化の違いとやらなのか……!?」とぶつぶつ呟きつつ、十兵衛は意を決して自分の外套を脱ぐと、アンナの肩にさっとかける。
突然の事に目を白黒させたアンナに、十兵衛は頬を赤くしたまま真摯な目でこう告げた。
「せめてこれを羽織ってくれ。女性が身体を冷やしてはいけない」
「え……」
「何やってるんですか十兵衛さん」
そんな二人の間に、後ろからやってきたスイがずずいと割り入った。
じとっとした目で十兵衛を睨むと、アンナの肩から外套を取る。
「あのですね! ギルドの方はこれが制服なんです!」
「や、やはり文化の違い……」
「そうです! ていうかなんですか! 私と会った時こんな風じゃなかったのに!」
「い、いや、スイ殿はちゃんと着込んでいたじゃないか」
「神官がおいそれと肌見せる服着るわけないでしょう!」
「す、スイ様!?」
外套をかけられたと思ったら取られるわ領主の娘がやってくるわで、寝不足のアンナの頭に処理不能の情報が積もりに積もる。
その内外から「喧しいぞお前達」と宙に浮いた顔の怖い男がやってきたので、「夢でも見てるの?」とアンナはついに白目を剥いた。
「えーっと、あの。混乱させてすみません」
目の前でふっと気を失ったアンナを運んだのは十兵衛だった。
騒ぎを聞きつけたギルドマスターにバッグヤードへ案内され、そこで寝かせてしばらく経ったあたりで、アンナが意識を取り戻す。
念の為に回復の奇跡を使ったスイのおかげだった。予想以上の疲労回復に元気になったアンナは、改めて受付の方へと戻り、スイ達の話を聞くこととなった。
「ご存じかとは思うのですが……スイ・オーウェンです。こちらは十兵衛さんと、ハーデスさん。冒険者ギルドの魔法使いの方に依頼があって参りました」
カウンター席に座ったスイが、十兵衛とハーデスを紹介する。
外套をかけて下さったのが十兵衛さんで、宙に浮いていたのがハーデスさんね、と認識を新たにしたアンナは、一つ頷いて冒険者目録の書類を取り出した。
「承知しました。どのような魔法使いをお望みでしょう?」
「水魔法を得意とする方はいらっしゃいますか?」
「水魔法……そうですね、それなりに多く在籍しておりますが、随一の腕を持っているのはウィル・ポーマンさんです」
「ウィル……ああ、パムレで魔法劇場をやっていた者か」
ハーデスの言葉に、「今日も開演しておりますよ」とアンナは微笑んだ。
「夕方には戻って来られると思います。ウィルさんで宜しいですか?」
「はい。正式な依頼はまずウィルさんとお話してからでも大丈夫でしょうか?」
「畏まりました。ではその旨も併せてお伝えしておきますね」
「後、竜の生態について詳しい方などはいらっしゃいますか?」
「竜の生態……」
問われて、うーんとアンナは唸る。
目録に書いてある冒険者達の情報は、使える魔法や得意な戦法、依頼達成実績、現在研究中の項目などがあるが、竜のみに詳しいとなるとなかなかに探すのが難しい。
どちらかと言えば竜オタクのスイ様の方が詳しいのではと、アンナはちらりと目の前の公爵令嬢を見て、すぐに目を逸らした。
「竜……ではありませんが、対魔物の討伐実績の高い者は、一人該当者がおります」
「ガラドルフ様ですか」
「……です」
「ですよね~」とスイは眉尻を下げた。
まさしくそのガラドルフをスイも求めていたのだが、彼は先日のカルナヴァーン騒ぎでスイの後からマルー大森林の方へ飛び立ったらしい。
その後の連絡はリンドブルムにも来ていないので、「もしかしたらまだ森を彷徨っていらっしゃるかも」とスイは居たたまれない気持ちになるのだった。
「分かりました。ひとまず、夕方にまた来ます。ウィルさんがいらっしゃったら、ご飯代はこちらが持ちますのでそのままお待ち下さいとお伝え願えますか?」
「畏まりました」
「お願いしますね。じゃあ、次は神殿に行きましょうか」
スイに促されて、ハーデスも十兵衛も席を立たされる。
ハーデスが「いや、冒険者ギルドについての説明も併せて聞くんじゃなかったのか」とスイに問うたが、当のスイは「また今度改めて!」とハーデスの背を押す。
呆気に取られるように二人を見送っていた十兵衛だったが、はたと我に返り、アンナへ頭を下げた。
「先ほどはすみませんでした。俺の故郷では貴女が着ているような意匠の服は珍しく……」
「なるほど。大丈夫ですよ。仰る通り、夜とかはちょっと寒いんですよね、この服」
「だから心配して頂いて嬉しかったです」と言われて、十兵衛も照れ臭そうに頭をかいた。
「とてもお似合いです。……それでは」
一言告げて、十兵衛は目礼する。
そうしてスイとハーデスを追いかけるように出て行った十兵衛を、アンナはぼんやりと見つめた。
「……ギルドマスター、」
「……なんだ」
バックヤードから顔を覗かせたスキンヘッドのギルドマスター――ライは、アンナの呆けた様子に片眉を上げる。
「私、夕方のシフトこのまま出ます」
「あ!? お前昼間あんだけ帰りたいって言ってたくせに」
「出るったら出ます! スイ様のおかげで元気になったし! 十兵衛さんとお話したいんです!」
「し、私情~~~!」
「マスター、そういうのどうかと思うな!」と指摘するライに、アンナは拳を握る。
「十兵衛さん、めちゃくちゃいい匂いしたんですよ! フローラルですよ!?」
「……え? それが?」
「ギルドマスターには分からないんですか! 汗水垂らして働いてきた冒険者の皆さんをけなすわけじゃないですが、受付嬢は毎日毎日得も言われぬ饐えた臭いを嗅ぎながら仕事をこなしているんです! そんな中で現れた、清涼でフローラルでいい匂いのする剣士なんて、どれだけ稀少か……!」
確かに、アンナの言う通り冒険者達から醸し出される臭いは慣れない者にはなかなかにきつい物がある。そもそも戦いに耐えうる装備が皆一張羅の時点で、お察しだった。
ライはもう長い事冒険者ギルドにいるので鼻が馬鹿になってしまったが、まだ受付嬢になって日も浅いアンナにとって、臭い問題は我慢ならない事のようだった。
そういえば歴代受付嬢で途中から覆面し始めた子もいたなぁ……とぼんやり思い出し、はっきりと告げなかった彼女達の優しさに涙した。
「絶対十兵衛さんとお近づきになる」と息巻くアンナを、生暖かい目で見つめて溜息を吐く。
その後、ライは木箱の蓋を一つ取り出し、黒ペンを使ってとある文字を大きく書き記すと、外の壁へと張り出した。
「お仕事お疲れ様でした! お風呂の後に、冷たいエールはいかがでしょう!」 ――と。