37話 道理も倫理も超えて
「創成の竜、リンドブルム……」
街灯の魔道具が拾う音声を聞きながら、クロイスが唸る。
ハーデスが横倒しにして放置したせいで姿形までは見えなかったが、漏れ聞こえる声から語られる話に、納得できる物が多々あった。
クロイスは知っている。オーウェン家に伝わる本当の真実を。
世に出回る絵本のように脚色されたものではなく、オーウェンとリンドブルムが紡いだ本当の物語を、この世でクロイスただ一人が知っていた。
――だからこそ分かった。語り手が嘘偽りなく、本物のリンドブルムであることを。
「生きていたのか」と独り言ちながら再び映像に注視した所で、ふと周囲の違和感に気が付いた。
「……ソドム……お前達……」
いつの間にか詰め所に居た騎士達が全員集まり、リンドブルムの話に耳を傾け泣いていたのである。
「こ、子供の時から親しんでいた話にこんな真実が……!」
「リンドブルム……! お前のための街なのになんでそんな所にずっといるんだよ!」
「馬鹿お前! リンドブルムはあそこを贖いの祠って言ってたろ!」
「だ、だからって悲しすぎる……!」
男泣きに男泣きを重ねる騎士達に、クロイスは溜息を吐いた。
先祖代々絶えることなく紡がれてきた物語は、想像以上に民の心に深く根差していたらしい。
激情家の友人にハンカチを渡してやりながら、クロイスはリンドブルムの話に再び耳を傾けた。
◆◆◆
下流で、魚の死骸が上がり始めた。
汚水のせいだと思った我は、すぐに川下を泳ぎ、水の浄化を図った。
けれど、今度はパルメア大運河の終着点である海の方で魚が取れないという話が出始め、自分の浄化が強すぎた事を知る。
小さな港町で漁を営んでいた者達は途端に職にあぶれ、豊かな街へと育っていたここへと職を求めてやってきた。
――水の街の人口が、凄まじい勢いで増加し始めたのだ。
適度な水質など、我に分かるはずもなかった。
魚が死ねば川を泳ぎ、その行いのせいで人の職が失われる。そうしてみるみるうちに膨れ上がった街の人口と比例するように、地下水路を流れる汚水の量も増していった。
濾過装置に流れる分はまだしも、我が壊してしまった所から流れ出る汚水は、最早想像を超えていた。
何より辛かったのは、下流の事件でオーウェンの技術が疑われた事だった。
民の信用は堅かったが、それでも魚の死骸が何度も上がるとオーウェンの濾過装置に疑問が生まれる。本当に大丈夫なのかと不安の声が上がり、我も竜王より賜った失われし機関の知恵の精査を望まれた。
問題など、あろうはずがなかった。オーウェンは完璧だったのだ。
我の短慮な行いが、彼の偉業に一粒の泥を塗ってしまった。
最早一刻の猶予も無かった。これ以上オーウェンの名を貶める事など許せなかった。
我はこのままではオーウェンが愛したパルメアが穢れてしまうと思い、ついに決断をした。
――流れ出る汚水に直接身を浸し、中和を図ったのだ。
◆◆◆
『奇跡的に、それはうまくいった。一年も身を浸せば徐々に川は元の装いを取り戻していき、五年も経てば魚も住むようになっていった』
「五年……」
『この祠も、その時に作ったものだ。壊してしまった排水管の場所を無理やり広げ、結果溢れ出る汚水の量も増えてしまったが、その分我が身で贖った』
「…………」
『民には、酷い嘘を吐いた。水の事は、このリンドブルムが何とかすると。その後に我は、オーウェンを探しに行く。そうしていつかまた、二人でここに戻ってくると。……本当は、皆やオーウェンの前でのうのうと生きる罪深い自分が、我慢ならなかっただけなのに』
悔いるように、リンドブルムは涙を流す。
その様子をしばし見つめていたハーデスは、納得がいかないのかおもむろに眉を顰めた。
「そうして、今までこの街の地下深くに身を潜めていたのか。三百年も、自分の罪を抱いたまま」
『……そうだとも。古代竜魔法で転移阻害と幻影魔法をかけたから、誰にも見つからずにこれまできた。突破したのは、お前達が初めてだ』
「何故言わなかった」
ハーデスは、鋭く問い詰める。
「お前が死ねば、再びパルメアは穢れるだろう。誰も真実が分からないまま、三百年前よりも遥かに悪い形で。そんな事、誰に言われずともお前が一番理解していただろう」
『…………』
「失敗は誰にでも起こり得ることだ。多少の恥は我慢して、お前は人に助けを求めるべきじゃなかったのか」
『……我……は……』
「答えろリンドブルム」
「やめろ、ハーデス」
十兵衛の低い声が、ハーデスの言葉を遮った。
膝を着いていた十兵衛はゆっくり立ち上がると、苦痛を堪えるような表情を浮かべながらハーデスを見やる。
「失敗を認める事は、とても勇気がいる事だ。他者から見れば多少の恥でも、当事者にとっては耐え難い大きな壁でもある」
「だが十兵衛、お前は認めたじゃないか」
ぐっと息を呑んだ十兵衛に、ハーデスは問う。
「お前はすぐに己の失敗を認め、故に死を望んだだろう。賛同は出来んが、お前は自身の考えうる最良の責任を取る道を選んだ。であれば、リンドブルムとていつか破綻する道より、人に頭を下げて責任を取る道を選ぶべきじゃなかったのか」
「……お前には分からないさ」
暗い目をして、十兵衛は語る。
その突き放すような言葉に、ハーデスは思わず目を見開いた。
「大切な人に嫌われたくないという心が、道理も倫理も何もかもを、凌駕してしまうのだということを」