幕間2-2 祖父の目
足元に、十本もの竹刀があった。
その中から一つの竹刀を取り上げ手を滑らせ、ささくれをじっくりと探す。
ちくりと肌を刺す場所があれば即座に目をやり、小さな小刀を取り出してしょりしょりと削った。
まだ零の小さな手では小刀といえど大きなものだったが、それでも難なく扱える程に彼は熟達していた。
矯めつ眇めつ竹を視線に合わせてよく眺め、ようやく出来に満足すると、今度は弦と中結の緩みを見る。
ここが緩むと、打突時に先革が取れたり、竹刀がバラバラになってしまう。
それは打ち合いでの怪我にも繋がるので、零は緩みがあるやすぐにぎゅうぎゅうと締め直した。
そんな零の膝に、二本の竹刀が急に放り出される。
作業をしていた竹刀と合わせて三本の竹刀が手元に集まり、零は慌てて受け止めようとして縁側から庭へと突っ伏した。
「励めよ、零」
その背に、聞きなれた兄の声がかかる。
これは長兄かな、と察した零は、「はい」と土を味わいながらくぐもった声で返事をした。
兄達は皆、零の事を零と呼ぶ。
幽霊に肖った無かった子の零も、零物の零も、どちらの呼び方でも零は良かった。
名を呼んでもらえれば、自分はここに在るのだと分かる。
母に見向きもされなかった日々を思えば、認識してもらえるだけで零にとっては充分有難かった。
――お役に立ちたい。役に立てれば、きっとまだここに置いて頂ける。
ただただその一念で、零は兄達の大きな竹刀をひたすらに磨き続けていた。
「精が出るな、我が孫よ」
しゃがれた声に振り向くと、零の祖父が立っていた。
「お爺様」
「まー、ようけ任されたのう。どれ、じじいに見せてみい」
白髪交じりの頭をかきかき、大きな体躯の祖父が零の横へどっかりと座り込む。
ほれほれ、と手招きされ、零はおずおずと一本の竹刀を差し出した。
渡したのは、一番初めに手入れを終えていた自分の竹刀だった。
お世辞にも綺麗とは言えないそれは長兄からのおさがりで、柄革は豆の潰れた手で握りすぎたせいか、随分血で汚れていた。
けれど、まだそれ以外の竹刀は最後まで手入れ出来ていない。ささくれが残る物をおいそれと渡すことなど出来なくて、致し方なく汚い竹刀を渡したのだった。
そんな零の心を知ってか知らずてか、祖父は「ほうほう」と竹刀を見やって髭をさする。
「よう使いこんどる。一のか?」
「お下がりを頂きまして、今は私が」
「なるほど。柄革は多少汚れていようが、しっかり油も塗り込んでおるな。刃部が艶めいて別嬪だ」
がっはっは! と笑い飛ばす祖父に、零は恥ずかしそうに頬を染めた。
「お恥ずかしい限りです」
「何を恥じる。古き物でもよく手入れして使うのは、素晴らしい事だ」
「付喪神の話を知らんのか?」と問われ、零は首を横に振った。
「付喪神はな、長い年月を経た物に憑く精霊じゃ」
「神と名がつくのに、神様ではないのですか?」
「神でもあるし、妖でもある。長年大事に使った道具は、神が憑くという。そういう意味では、この竹刀もお前が大事に使っておれば、その内神が憑くだろう」
「ええ……」
眉を顰めた零に、「怖がっとるんか」と祖父が目を丸くする。
「怖くはないですが……つくも、ということは九十九年になりましょう? 私が先に死にそうです」
「わはは! そりゃそうだ! 今から百年ともなるととんでもないクソじじいになるわ!」
「化けもんじゃ!」と高笑いする祖父に、釣られるように零も笑う。
「まぁ冗談はさておき、道具を丁寧に扱う者は、何者にも好かれるということじゃ。それだけはよう覚えておけよ」
「……はい。心に刻みます」
頷いた零に、満足そうに祖父は目を細めた。
「いつか儂の刀を誰かに託す時が来たら、その中に必ずお前も入れておく」
「……お爺様、しかし、」
「覚えておけよ、零。血の繋がりが無いとて、八剣の名を継ぐお前は兄達と等しく、大事な儂の孫なのだから」
目を見開き固まった零を、祖父は真摯な眼で見つめた。
真誠さを帯びるその目の光に、零は耐えがたい感情を頬に上らせ、涙を堪えて頭を下げるのだった。