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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第二章:神官と魔法使い
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幕間2-1 とある百姓の昼の話

 古布と瓜の入った桶を片手に、えっちらおっちら石段を登る。

「今日は暑いからよく水を飲むんだよ」とは大五郎(だいごろう)父ちゃんの言で、私は言いつけ通り腰につけている竹筒の水を少しずつ飲みながら歩みを進めた。


 八神(やがみ)の土地は山が多い。というか、山だらけだ。

 大きな八つの山に囲まれたこの土地は、夏は暑くて冬は寒い。なかなかに厳しい気候だけれど、その中ですくすくと育つ農作物は味も良く、美味しかった。


 この土地の外に行った事がある父ちゃんは「まだここは涼しいもんだ」と言っていたけど、私はそうは思わない。暑いもんは暑い! と内心文句を言いながら、額にかいた汗を拭った。


 今朝、家の裏手にあるお社の清掃を頼まれた。いつもは千代婆(ちよばあ)の仕事だ。でも、今日の千代婆はどうも調子が悪そうだったので、大五郎父ちゃんから「(かえで)、頼めるか?」とお願いされたのだ。


 断る理由も無く快諾したが、早くも泣き言を零しそうだった。


 実際登ってみて分かるが、この石段は結構きつい。大人用に作られているのか、ちびで十四歳の私の足の幅では一段一段が大きかった。


 とはいえ千代婆の身長も私とさして変わらないので、これを毎回登っている千代婆の健脚に舌を巻く。

 同じ石が並んでいればまだいいのに、違う大きさの石ころがごろごろと段を作っているので、足の裏が悲鳴を上げそうだった。


 ひぃひぃ言いながら登っていると、ようやく頂上の鳥居が見えた。

 木の皮を剥がずに作られた鳥居は表面がごつごつとしており、色もちょっと黒い。

 朱色の鳥居の方が私は好きだったが、この黒木鳥居もなかなかいい趣があった。


 と、その鳥居の真下で、人が石段に腰かけている事に気が付いた。


 笠を深くかぶり、一つに結ばれた艶やかな黒髪が肩に沿うように流れている。

 控えめの色合いだけれど上等な物だと分かる小袖を身に纏った女性が、こちらに気づいたのかふっと顔を上げた。


「あ……こんにちは」

「ええ、こんにちは」


 紅を差した口元が、緩やかに笑みを浮かべる。美人さんだな~と思いながらぺこりと頭を下げ、横を通り過ぎた。

 もしかしたら参拝者かもしれない。だとしたら汚いお社を見てさぞがっかりされただろうなぁと思い、「あの、」と振り返る。


「すみません。せっかく参拝に来てくださったのに、掃除前で。すぐに終わりますので、少しだけ待ってもらえますか?」


 女性は目を丸くすると、「ありがとう」と言ってくれた。


「よければ私も手伝うわ」

「え! い、いいですよ! その綺麗なお召し物が汚れちゃいます」

「いいのよ。もう地面に座ってしまったもの。お尻がほら、土だらけよ」


 そう言って茶目っ気たっぷりに片目を閉じた女性は、後ろを振り向いて「ね?」と笑った。


「あ、あらら」

「手水舎のお水を貰ってもいいかしら。木祠(もくし)はこの布で拭けばいいのよね?」

「あ、はい! じゃ、じゃあ私は落ち葉を掃き集めます」

「分かったわ」


 このお社では、山の上の方に湧く湧き水が、手水舎に届くようになっている。

 この冷たさが、今日は有難い。そこでふと名案が浮かんで、瓜を行儀悪くも手水舎の水に浮かべた。

「まぁ!」と目を見開く女性に、「後で食べましょう」と内緒にするように人差し指を口元に立てる。

 くすくす笑っているその人に水を溜めた桶と古布を一緒に渡し、自分は木祠裏に置いてあった落ち葉まみれの竹ぼうきを引っ張り出した。


 五月も中ごろになると、木々の葉は青々と生い茂る。秋程の落ち葉はないけれど、境内にはいくらか葉が散乱していたので、それを竹ぼうきで履いて隅へと寄せた。

 木の根の方にやっておけば、いずれ土に返って木の養分となる。ここには大きな公孫樹(イチョウ)のご神木もあるので、ちょっと忖度してそちらに多めの落ち葉をやった。

 

 ちらりと女性の方に目をやると、てきぱきと木祠の埃を払ってくれていた。

 予想以上に熱心にやってくれているので、なんとなくこちらも頑張らねばという気合が入り、必要以上に落ち葉も砂利も掃き清めるのだった。








「こんなものかしら」

「はい! とっても綺麗になりました。ありがとうございます」


 女性の協力のおかげで、薄汚れていたお社がすっかり綺麗になった。これは神様も喜ぶぞぉ、と私も微笑む。

 竹ぼうきを仕舞い、布と桶をこちらに引き取って手水で手を洗った後、私は水に浮かべていた瓜を取った。

 十分に冷えている瓜に竹筒の尖った所を当て、一息に割る。

 いい具合に半分になったので、中の種を抜いて女性に渡した。


「お口に合うか分かりませんが……」

「ありがとう。頂くわ」


 てらいなく受け取ってくれた女性と一緒に、鳥居の下の石段へと腰かける。

 小高い所に建つこの社からは、下に広がる田園風景が開けるように見えていた。


「良い所ねぇ……」

「ですねぇ……」


 二人でしゃくしゃくと瓜を頬張りながら、ぼんやりとのどかな風景を見つめる。

 そういえばこの人は参拝に来たのではなかったか、とそこでふと気が付き、「あの、参拝……」と口にした。

 女性はそんな私に、「掃除をしながら、たくさんお願いをしたわ」と目を細めた。


「そ、そうでしたか」

「ええ。神様に縋るしか、もう方法が無いのだもの」


 その答えに、思わず目を見開く。


 このお社は実りの神様が住まう所だ。その神様に縋るとなると、飢饉に見舞われた所からやってきたのかと察しをつける。


「それは、大変な所からよくこちらまで……」

「え?」

「ここは実りの神様のお社ですから。たくさんお掃除も手伝ってくださいましたし、きっと御利益がありますよ」


 しんみりとして告げると、「やだ、ごめんなさい違うのよ」と謝られた。


「息子がいなくなってしまったの」

「え!?」

「どこにも痕跡が見つからなくて……。口さが無い者はあれは逃げたんだと言うけれど、私も殿も、あの人に限ってありえないって言い張ってね。神隠しにでもあったんじゃないかと思って、私が行ける範囲の神社を片っ端から回っている所なのよ」


 とんでもない話だった。おそらく高貴なお方と思われるこの人が、自らの足で山々が連なる八神の土地を巡っているなど、信じられない思いだった。


「そ、その殿様は……」

「目の見えないお方でね。だから私が代わりに、ね。……他の息子もいくらか巡ってくれているみたいだけれど、私程は熱心じゃないでしょうね……」


「だから、神様に声を届けるなら、心からあの子の無事を願う私しかいないと思ったの」と女性は悲しそうに微笑む。

 私はその話を聞いて、上手に返せる言葉を見つけられなかった。

 ただ、一つだけ言えることが脳裏に浮かぶ。


「ありますよ、御利益」

「……え?」


 驚く女性の目の前に、私は胸を張って立った。


「私を育ててくれている婆ちゃんに、先日御利益があったんです。老化のせいで長らく床に臥せっていたのに、急に元気になって農作業が出来るようになりまして」

「……そうなの」

「ええ。乙名のじっちゃんは、これまでの婆ちゃんの働きぶりを、実りの神様がご評価して下さったんだって言ってました。だから、きっと貴女の願いも届きます」



「お天道様がきちんと作物を見て下さるように、神様だって私達を見て下さってるから」



「ね?」と笑いかけた私に、女性は小さく頷く。

「そうね、」と目を伏せて微笑んで、残った瓜に噛り付いた。

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