29話 求めし者
卑下はすれども、オーウェンの名を軽んじるわけではないのだな、とハーデスは思う。
オーウェンの名を継ぐ者が知るという、初代オーウェンの本当の姿。民達に語り継がれる像とは違えども、彼の名は敬愛を持って継がれている事を改めて知った。
「さて。頑張ってくれた皆に礼を告げに行かねば」
クロイスは風で乱れた襟を正すと、魔力を練って飛び去ろうする。
そこに、「待ってくれ」と止める声が上がった。
「……最後に、二つ程聞きたい事がある」
魔石を異次元空間へと収納したハーデスが、クロイスへ正面から相対する。
「……もし。もしお前が自ら死を選ぶ時が来るとするならば、それはどんな時だ」
「娘が先に死んだ時だよ」
クロイスの答えは、間髪を入れる隙も無かった。
「亡き妻の残した、世界で一番愛しい娘だ。それを無くした世界に私は一片の興味もない」
「一人の死が、お前の生への執着を全て無くすのか」
「そうだとも。親の愛情はそれぞれあろうが、少なくとも私は断言できる」
「もしや、それが君の知りたい事なのか?」と問われて、ハーデスは頷いた。
「十兵衛は、主君に留守を任された城を守れなかったと、責任を取るために自死を選ぼうとしていた。ロキート村では、魔物となって娘を傷つける可能性があるなら死んでしまいたいと、そう願う母親に会った。……どれもまだ不死を望んだ部下達が自ら死を選ぶ理由には届かないが、この問いがいつか彼らの答えに繋がるのではと思っている」
「十兵衛君にそんな過去が……」
「…………」
「場合によっては、他者を傷つける酷い問いだぞ」
苦言を呈すクロイスに、ハーデスは俯く。
「分かっている。すでに十兵衛に叱られた。……それでももう、これ以上理由も知らぬまま部下を還したくないんだ」
破格の存在を叱りつける十兵衛を想像して内心笑う。仕方なさそうに肩を竦めると、クロイスは「了解だ」と目を細めた。
「答えが見つかる事を、私も祈るよ。……それはそうと、もう一つの聞きたい事を伺っても?」
「あまり彼らを待たせたくないんだが」とパムレへ目をやるクロイスに、「ああ、」とハーデスは頷いた。
「上空にもう一人いるのだが、あれはお前の知り合いか?」
***
「偉大なるオーウェン、か」
転移魔法の発動精度を格段に上げる、【賢者の兵棋】。
魔法と奇跡を転移させた【可視化の転移門】は、少しでもズレがあれば魔法陣を直撃して霧散する危険な技だったが、それを二か所同時に発動させ【大規模転移】を成してみせた。魔法使いとしては、離れ業の偉業である。
陛下が警告するわけだ、とかの日の事を思い返しながら、ヴァルメロは兜のバイザーから覗く赤眼をゆっくりと細めた。
そうして、漆黒に染まるガントレットの指先を、リンドブルムへと向ける。
「【重力砲】」
瞬時に発生した巨大な黒球が、凄まじいスピードでリンドブルムへと向かう。
しかし、大地に叩きつけられるかと思われたそれは、突如消滅した。
「……!」
ヴァルメロは即座に後方へと飛び退る。
その瞬時の判断は正しく、今まで自分のいた場所へ黒球が豪速の勢いで飛んできていた。
遥か彼方で霧散したエネルギー体を見つめながら、「なるほどな、」とヴァルメロは呟く。
「魔法使いの天敵、か。聞きしに勝るなクロイス・オーウェン」
「命知らずを率いたのはお前か、ヴァルメロ」
背後に立ったクロイスへ、賞賛の言葉を投げるヴァルメロに一切の油断はない。
モノクルを装備したクロイスは、いつでも戦闘に入れるよう構えた。
「おかしいと思ったんだ。エーテルの見える魔物達が、わざわざこのリンドブルムを襲いに来るなんて」
「同胞の魔石だぞ。形見を取り返さねばと思うのは当然だ」
「笑わせるな。誰よりも力を求めるお前のことだ、察するに魔王の命令も無視してやってきたんだろうが」
事実だった。ヴァルメロはカルナヴァーンが死んだとされるマルー大森林からの魔石の移動を、魔物達に監視させた。魔道具や魔法使いに吸収される前に、手にしたかったのだ。
七閃将レベルの魔石ともなると、途方もない力が手に入る。故に、他人の手に渡る前に先んじてリンドブルムへやってきた。
それを指摘され、ヴァルメロは認めるように肩を竦める。
「御名答。だがまぁ……急ぐ必要もなかったようだ」
「……何?」
「魔石を持ち続けると言ったではないか」
ヴァルメロはそう言うと、遥か下の方でこちらを見物しているハーデスへと視線を向けた。「自分の話か?」と察したハーデスは、高度をクロイス達の高さへと揃えるべく飛び上がる。
「魔石を手にしながら使わない、奇特な奴の名を聞いても?」
「……ハーデスだ」
「ハーデス……」
その名を聞いて、ヴァルメロは少しだけ目を瞠る。けれどもすぐに平静を取り戻すと、「覚えておこう」と呟いた。
「我は七閃将が一人、黒剣のヴァルメロ。どういった理で使わんのかは知らんが、お前が手にした同胞達の魔石はいずれ、全て我の力と変える」
「……やってみろ」
ハーデスの怒気が膨れ上がる。驚いたのはクロイスだけではない。ヴァルメロも同じだった。エーテルの欠片さえ見えない男の気迫が、今ここにいる二人を軽く凌駕したのである。
「私も十兵衛も、魔石を決して使わない。貴様に奪わせもしない。ハイリオーレは誰のものでもない、魂の持ち主のものだ」
「世迷言を……。まぁ良い。今宵は視察も兼ねてのものだったから、この辺りで引き上げるとしよう」
「私がはいそうですかと逃がすとでも?」
「そう思えないから布石は打った」
目を見開いたクロイスに、「魔石の持ち主のことだが、」とヴァルメロは告げる。
「今頃、どこぞの地下水路で浮いてるだろう。もう死んでいるかもしれないが」
「……十兵衛君……!」
「……!」
咄嗟にリンドブルムへ視線を向けた二人の隙を見て、ヴァルメロは【転移門】を悠々と開いた。
「また会おう。死の王の名を騙る者よ」
「ヴァルメロ……!」
奥歯を噛み締めて見送ったクロイスと対照的に、ハーデスはリンドブルムへ視線を向けたまま動かなかった。
ハーデスに見える寿命は、多すぎる。上空から街を見ても、折り重なるように見えるそれらに隠れて、十兵衛のものを見つけられなかった。
「クソ……ッ!」
「ハーデス君、ソドムの元へ転移しよう。彼の元になら今宵の事件におけるおおよその情報が集まっているはずだ!」
クロイスに促され、歯噛みしながらハーデスは承諾する。
昼間とは真逆で、転移に同乗するためクロイスの肩を掴む。
その手に無意識に力がこもってしまうのを、ハーデスは堪える事が出来なかった。