28話 賢者の兵棋
「伝令ー! リンドブルム上空、北西の方角より、飛行型の魔物を多数確認!」
詰め所に駆け込んできた伝令兵に、ざわりと騎士達の空気が変わる。
即座に装備の確認を行い、伝令兵に水を渡してやりながらソドムが問うた。
「冒険者ギルドと神殿へは!」
「別動隊からすでに連絡済みです! 間もなく戦闘配置につくかと」
「分かった。しかし……リンドブルムへの魔族の襲撃などいつぶりだ? 命知らずな輩は鳴りを潜めたと思っていたが」
「分かりません。ですが、数はおよそ千に至ると思われます」
「そんなにか!」
魔法を繰る輩だと厄介だな、とソドムは内心独り言ちる。
が、そこでふと気づく事があり、詰め所から飛び出した。
「ソドム隊長!?」と声を上げる伝令兵を背に、ソドムは夜空を見上げる。
「……そうだ。今宵は閣下がおられる」
「は……」
目を瞬かせる伝令兵に、ソドムは口角を上げた。
「すまん、君にはもうひと働きしてもらうぞ。冒険者ギルド所属の魔法使いは西のパムレへ、神殿騎士団と高位神官は東のパムレへ向かうように伝えてくれ」
「ま、街への配備は……!」
「オーウェン騎士団が請け負う。――上空を見たまえよ、君」
促され、伝令兵は夜空を見上げた。
漆黒の闇夜を彩る、大きく笑うような三日月の真下に。
――リンドブルムの民が、主と仰ぐ男が一人。外套をはためかせて浮いていた。
***
――同日深夜、リンドブルム、冒険者ギルドにて。
「え!? 配置変更!?」
冒険者ギルドの受付テーブルから、驚いたような声が上がる。
受付嬢――アンナ・ロッサの声だ。
魔道電話に耳を当てているアンナは、神妙な顔で「はい、はい……畏まりました!」と告げ電話を切ると、「すみません! 皆さん待って下さい!」と大声を上げた。
「何? アンナさん、変更だって?」
外に出ようとしていた水の魔法使い、ウィル・ポーマンは、流れるような水色の髪をはらりと手で梳きながら問う。
「西部区画隊長のソドムさんからです。冒険者ギルド所属の魔法使いは、西のパムレに集合とのこと!」
「え! もしかして閣下が出られるの!?」
「いやっほーう!」と喜びで飛び上がった木の魔法使い、ダニエラ・ココの手が、ウィルの顎に突き刺さる。
悶絶してのけぞったウィルの背を支えたのは、黒縁眼鏡をかけた黒髪の男、光の魔法使い、ジーノ・ロヴェーレだった。
「ダニエラてめー!」
「そこに立ってたあんたが悪いんでしょ!」
「お前がちっこくて見えなかったんだよ! 背だけじゃなく頭の色まで地面だからなおのこと見えねーの!」
「木の色だボケー! やるかオラー!」
「よせ、お前ら! 閣下への協力となると、冒険者ギルドどころかリンドブルム中の魔法使いが集まるぞ! とっとと行かねばパムレから閉め出される!」
ジーノの言葉に、はっと二人の動きが止まる。
「名を挙げるチャンス……!」
「魔力を高めるチャンス……!」
ごくりと互いの喉が鳴った。
魔法使いは皆、魔石の吸収か知名度の向上、他者からの感謝の積み重ねで魔力を上げ、新たな魔法を授かる事が出来る。
そのチャンス到来となれば、腹立たしい友の言を飲み込み忘れるなど、容易な事だった。
「行くぞダニエラ! ど真ん中は俺らのもんだー!」
「うおー! 木船かっ飛ばしてくぞ【創造木魔法】!」
「アンナさん、西だけでいいのか? 東の方は?」
「東はカガイ神官長率いるルナマリア神殿の皆様が担当するそうで……」
「あぁ!?」
「んだ!?」
「おぉ!?」
アンナの言葉に不穏な声を上げたのは、ウィルやダニエラ達だけでは無かった。
出撃準備を整えていた冒険者ギルドの魔法使い全員から、ドスの利いた声が上がったのである。
「あのドケチ神殿が東担当~?」
「金にがめついボケナス神官長が率いて~?」
「俺らの名声横取りってか!」
「負けられっかオラーーーー!!」
ダニエラの咆吼に「おーーーー!!」と野太い声が上がる。凄まじい顔つきをした魔法使いがびゅんびゅんと空を飛んで西のパムレへ飛んでいくのを眺めながら、近接や遠隔組の戦士は「なんでうちの魔法使いってこんなガラ悪いの」と肩を落とした。
「俺らは街の配備でいいのかい? アンナさん」
「はい! オーウェン騎士団が指揮を取ります。そちらに従って頂ければとのこと!」
「了解だ。白兵戦にならないことを祈るが……」
「まぁ、閣下がおられますから」
「だなぁ」
「まったく、領主殿が頼りになりすぎるって、商売あがったりだよなあ」と笑いながら、冒険者達は各々の配置場所へと散っていった。
***
――同日深夜、リンドブルム、ルナマリア神殿にて。
「ソドムからですか」
ルナマリア神殿、神官長のカガイ・アノックは、神殿騎士からの報告に眉根を寄せた。
「我々は通常配備で良いでしょうに。血気盛んな魔法使い共がなんとかするでしょう」
「はっ。しかし、魔法に耐性のある魔物も一気に殲滅となると、我々の協力が必要と……」
「お前、何に感化されてるんです」
「えっ」
ぎくっと顔を強張らせた神殿騎士を、カガイはじろりと睨み付ける。
「ソドムはアレを狙ってやるつもりなのでしょう? まったく、ベストセラーも考え物ですね……」
「し、神官長……」
「若いのの誘導が巧いったらありゃしない。……分かりましたよ。東部区画隊長の了承は得ているんですね?」
「は! ゴモラ殿も賛同なさっております!」
「宜しい。では参りましょう。精々神殿の名を高めて、信徒の寄進に期待するとしましょう」
「さすが神官長、がめつい」とは、優秀な神殿騎士は言葉にしなかった。
けれど、自分が「リンドブルムと魔法使い」の大ファンだという事はまんまとバレてしまったので、後が怖いなぁとびくつきながらカガイの後ろに付き従うのだった。
***
「魔道具か」
胸ポケットから取り出したモノクルをかけたクロイスに、ハーデスが眉を顰める。
「申し訳ない。これは君の言う所のハイリオーレを、もう随分と使ってしまっているんだ。故に、戻らない物と仮定して使用させて貰う」
「……そういう風にこの星がしてしまった。お前だけを責めるわけにはいかんだろうよ」
「それで?」と顎で促し腕を組む。
「あの魔物の軍勢を見せて私にどうしろと? 私は戦えないと言っただろう」
「寿命を妨げられない、のだったね。それは承知の上だ。その上で君に知っておいて欲しい事がある」
小さな点のような光景から、輪郭が分かるぐらいに徐々に距離を詰めてくる魔物を見つめて、クロイスは言った。
「あれらが、これから十兵衛君を襲ってくる者の一部だ」
「……何?」
片眉を上げたハーデスに、クロイスは続ける。
「カルナヴァーンの魔石は強大だ。人だけではなく、魔族だって力を欲しがる。あの魔石を取り込むだけで、尋常ではない力を得られるからな」
「…………」
「魔石を持ち続けるというのは、そういうことなんだ。だから君のような超次元的な存在が持つ方が、まだ彼の安全は保たれる」
「……考えておこう」
クロイスの深謀遠慮に、ハーデスは頷いた。
「まぁ、あれはただの命知らずだが」と、魔物達を眺めたクロイスは呆れたように肩を竦めた。
「スイから説明があったかもしれないが、基本的に魔物は魔法使いや神官が傍にいると襲ってこない。エーテルが見えるからな。彼我の実力差を感じて襲わないようになっている」
「……だが、私も十兵衛も魔法使いではない」
「そう。だから魔物が襲ってきやすい。まずはそこを知っておいて欲しかった」
そこまで言って、クロイスは胸の前で両手の指だけを静かに合わせる。
「そしてもう一つは、戦い方だ」
「……クロイス、」
「分かっている。けれど、これから私がやる方法を見ていて欲しい。君の調整如何で、命を奪わず終えられる戦いも出来るだろう」
「彼の行く道に、流れぬ血はないのだから」
――引き絞るように、両手が宙へと解かれた。
瞬間、夜空に幾千万の青白い糸が、一糸乱れぬ動きで広がる。
それらは等間隔の升目上に並び、広大なリンドブルムの土地以上の幅へと面積を広げた。
魔力の糸はやがて巨大な立方体となり、周囲を広く包み込む。
――人はこれを、【賢者の兵棋】と呼んだ。
「見やすいように可視化したが、本来は不可視で使うものだ」
「……転移魔法の基準か」
「察しがいいな。そう、これは座標を得るための指標になる。君には必要ないかもしれないが、特定の場所へと印をつけて利用するのにもなかなか便利だぞ」
そうこうする内に、接近してきた魔物から炎魔法の攻撃が飛んできた。
それをクロイスは避けることもせず、真正面から受ける。――と見せかける。
「ギャッ!?」
魔法を飛ばした魔物は、自身の背後から飛んできた魔法に当たり、一瞬ふらついた。
「あまり効いていないな」
「それはそうだとも。魔物自身の得意魔法の属性は、弱点属性にはならないからな。……けれど、」
クロイスが何かしたと察した魔物達が、苛ついたように攻撃魔法を連発しはじめた。その飛んでくる魔法にそれぞれ右手で指を差し、すっと左手で誘うように掌を曲げる。
途端に発動した【転移】が、クロイス達の前から魔法をかき消し、魔物達の後頭部へと攻撃魔法を叩き返した。
「グェッ!」
「ガッ!」
ふらつくように高度を落としかけた仲間をフォローし、魔物はぐっと歯を噛み締める。
魔物達は考えあぐねた。【魔法返し】であれば正面から飛んでくる自分の魔法を避ければいいだけでも、クロイスは全て感知できない場所から魔法を返してくるのだ。
いくら効かないといっても、重ねられるとダメージには繋がる。魔法が完封されるのであれば仕方がない、と魔物達は隊列を整え、突撃体勢へと入った。
「最小限返してやれば、このようになるわけだ」
「なるほど。十兵衛の得意分野に持ち込めるな」
「そういうことだ」
魔物達が突撃体勢へと入っているのにも関わらず、クロイスは悠長に腰に両手を当ててぐっと伸びをする。
「……確かに、君は君の理で戦えないのだろう。だが、君の勝手で彼を巻き込んだなら、これぐらいの補助は許されるんじゃないかと、私も愚考してね」
「まぁ……転移魔法で自分の魔法が返ってくるだけだからな」
「そう。ボールが壁に当たって跳ね返るような、自滅事故って所だよ」
「そしてここからは、私の領分だ」と、クロイスは魔物を迎え入れるように両手を広げた。
「ようこそ、水の都リンドブルムへ。観光ならきちんと手順を踏んで来て貰いたいものだが、厄介者ならお断りだ」
「グガガガガガ!」
「であれば、致し方なし。水の都――もとい、神官と魔法使いの都市、リンドブルム流の方法でお帰り頂こう」
クロイスが、ぱん、と両手を合わせる。
――その瞬間、リンドブルムの東西に位置するパムレから、一斉に光の柱が立ち上がった。
目を見開くハーデスの前で、魔法と奇跡の凄まじいエネルギーが、奔流となって空へと昇る。
「【可視化の転移門】」
クロイスの詠唱と共に、大きな魔法陣がパムレの上空に二つ出現した。幾何学模様で描かれる魔法陣の中央には、まるで瞳のような門が出現する。その瞳に吸い込まれるように光が収束され、続けてハーデス達と魔物の軍勢の間にまたも二つの魔法陣が現れた。
「【解放】!」
――それは、パムレから放たれた光の奔流だった。
冒険者ギルドの魔法使いによる、思い思いの最大魔法。
神殿騎士団と高位神官による、自身が唱えられる最高の奇跡。
その両方が、百発百中の命中精度を持って、魔物の軍勢に突如襲い掛かったのだ。
「ギッ……!!」
声を上げることすら、許されなかった。凄まじい速度でその身にぶつけられた奔流は、瞬く間に魔物の命を奪う。例えどちらかに耐性があったとしても、まるで交差するようにぶつけられる圧倒的な暴力の前では、彼らになす術はなかった。
真っ白に焼き切れるような光景の中で、魔物は自分を屠った相手のエーテルを見つめ、己の浅慮を恥じるのだった。
その身の消失と共に、魂から零れ落ちた魔石が、ぽろりぽろりと空へ放り出される。
それらを目にしたハーデスは、魔石の一つ一つに浮遊魔法をかけ、地へ落ちて砕けないように配慮した。
「……使うのか」
一欠片も残さず魔石を集めた所で、ハーデスは問う。
モノクルを胸ポケットへと仕舞ったクロイスは、「長話に付き合ってくれたお礼で、君に渡そう」と微笑んだ。
「何せ、私も大したことはしてないのでね」
「あんな転移魔法を使っておいてか」
「よく言う」と眉尻を下げたハーデスに、楽しそうにクロイスは肩を震わせた。
「本当にしてないんだ。私がやったのは、リンドブルムの民の力の照準を定めただけだ」
「偉大なるオーウェンの末裔と崇められる割には、慎み深い性格だな」
「そもそも『偉大なるオーウェン』とは民達の呼び名でね。実際オーウェンの名を継ぐ者は、皆こう言うよ」
「他人の力頼りの、『腰抜けオーウェン』だ、ってね」