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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第一章:冥王と侍
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2話 死を選ぶ者の心

 色白の肌に、血を思わせる鮮やかな紅の目。

 青白い髪の毛は逆立ちながらも、首元を緩く流れる程には長さがあり。襟の立った黒衣の装いに、幾何学模様の描かれた金色の頸垂帯を肩から下げた男の姿に、十兵衛は目を瞠った。

 それは、十兵衛の知識に無く、また見た事もない装いだったからだ。


 そもそも、「死の律を司る者」と言われても、聞いた事もない役職だ。とはいえ自らの身に起こったことが夢でないのであれば、それは人智を超えた神の御業に他ならず、十兵衛はひとまず居住まいを正して地に両手をつき深く叩頭した。


「やめろ。神ではないと言っているだろう」

「しかし、人は宙には浮けませぬ。人智を超えた御業なれば、神以外に他ならないと」

「お前は己の知らぬ業を操る者全てに頭を下げるのか」


 その言い方は卑怯だ、と内心むっとする。十兵衛はゆっくりと頭を上げると、ぴしりと背を正し、いつの間にか地に降りて来ていた男に真っ直ぐ目を向けた。


「先のご質問にお答えします。私が侍であるからです」

「侍とは自ら死を選ぶものなのか」

「必要であれば。私におきましては、業腹なことに家臣としての役目を満足に果たせず、その失敗故二心があると思われては家族にも迷惑がかかるので、忠誠の証明と責任の為に死を望んだ次第です」


 あえて説明するのも恥ずかしい程の失態だった。留守も預かれず、ましてや城を奪い取られるなど言語道断。介錯のない切腹でさえ贖えない程のものだと、悔しさに唇を噛み締める。大殿や若殿の期待に応えられなかったことがただただ辛く、仲間達と時同じくして死ねなかったのも酷く苦しかった。


「……どうか、懐刀を返して頂けないでしょうか」


 自身の身に何が起きているのか分からないが、死んでいないのなら今からでも死ねるだろう。打刀は腰に差していたが、腹を割くには懐刀がやりやすい。何より、殿から賜ったものでその生を終わらせたかった。

 震える声で願い、再度叩頭した十兵衛に、男はしばらく沈黙すると「分からん、」と溜息を吐いた。


「これを返せば、お前はまた死のうとするだろう?」

「……お渡し頂ければすぐにでも」

「それが分からん。何故許されない? 何故言葉を尽くさない? 何故、挽回の機会すら求めんのだ」


 はっと目を見開いた。顔を上げれば、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた男が、血のように赤い目を細めて十兵衛を睥睨している。


「命はものによって様々な長さがあるが、その全てにおいて成功だけで成るものは何一つない。人で言えば赤ん坊が粗相して失敗しようが、許されて生きるだろう。それが何故今において許されん。命を持って贖ったとて、残された者が受け取るのは忠誠の心と責任を負った事実だけ。それに如何ほどの意味があるのか、私には理解が出来ん」


 言葉を切った男が、懐刀を十兵衛に渡すよう手を伸ばす。存外素直に返してくれるものだと思いながら仰々しく受け取ろうとした十兵衛は、目の前で受け取らせまいと手を引いた姿に呆気にとられた。

 あまりの事に思わず睨みつけたその目に、男は薄く笑う。


「まぁ待て、もう少々私の話に付き合ってもらいたい」

「何を、ですか」

「死を自ら選ぶ者達の、その意味を」


「不死の者まで死を選ぶ、その意味を知るために、私はお前を喚んだのだ」







 死の律を司る者だと自称する男は、「死」というぞっとしないものを冠する割には物腰が柔らかだった。

「長話をするにも場が悪い」と、男は二度ほど手を叩く。すると湖畔に苔むして崩れていた廃屋が、瞬く間にこじんまりとした丸太小屋へと変貌した。


 呆気に取られる十兵衛を促し小屋に招き、火鉢の代わりと思われる炉に火を入れ、どこからか取り出した茶の入った茶器を机に置いて、木製の椅子に腰かけた。


 畳張りの部屋にいた十兵衛は素足だったので、汚れた足で小屋に入るのには随分と気が引けたが、そのままでいいという言葉を受けて恐る恐る足を踏み入れ、倣うように座る。

 夜気に冷えた身体が火によって温められ、差し出された茶器に入った茶も湯気が立っている。それら全てが十兵衛のために用意されたものであることは理解できたので、存外優しい男なのだと、小さくほっと息を吐いた。


 つい先ほどまで死ぬ選択を取る様な最中にいたため、未だ身の置き所がない。何より自分の知らない未知の場所だ。けれども、もはや人智を超えた所業を何度も目の当たりにして、自らがなんとかできる範囲を超えている事は重々理解できたので、懐刀を返されないことにも異を唱えないまま、大人しく男が語るのを待った。


「先にも言ったが、私は死の律を司る者だ。今はこの形を取っているが、その次元に合わせた姿に変える事が出来る、不定形の存在だ」


 おどけるように両手を上げた男は、逆立ちうねった青白い髪を愉快そうに指で摘まむ。


「お前の世界に限らず、世界は様々な次元において存在する。その全てにおいて律が働いており、私はその中でも死を司っている」

「天国や地獄がある、ということでしょうか」

「少し違う。それはお前の世界にある概念であり、次元だ。そうしたものが複数存在する、と考えてくれていい。今いるのもそういう世界の一つだ」


 一つ息をついて茶を口に含む。おずおずと十兵衛も茶器に口をつけたが、味わったことのない芳醇なそれに、強張った頬がほどけるようだった。その様を柔らかい眼差しで見つめ、男はゆっくりと語る。


「私はそうした世界を周り、律がきちんと働いているかを確認、管理している。その中で稀に有限の命を憂う者に出会うのだ。そうした者の話を聞き、私の眼鏡にかなった者は有限から無限の命……つまり不死の存在として変化させ、私の元で働いてもらうようにしている」

「人間を不死に……?」

「人間に限らん。お前のような存在は割と世界に生まれやすいが、違った形を持った生命もまた多い。律の者に言語の壁は無いからな。故に私の部下は様々な次元の存在がいる」


 だとすればどうしてこの男はここまで親しみやすいのだろうか、と十兵衛はふと不思議に思った。神には神の、鬼には鬼の理があるのだという認識は、幼少の頃に伝え聞いた昔話から得ていた。

 勿論知識が乏しいため深い理解には到底及ばないが、もし人と異なる類が別の世界で生きているのなら、その考えや価値観は違って当然なのだ。それなのに死を選ぶ者の真意を知りたいなど、男の語る話から察するに、根底にある感情が似通っているように感じる。


「失礼を承知で伺いますが、律の皆様は貴方様のように心をお持ちなのでしょうか?」

「どうだろうな。私のこれもお前の理解の範疇にある『心』というのかは分からん。ただ、死という、生命において最も感情が大きく出る瞬間を長きに渡って見てきたので、近しい感受性を得ている可能性は大いにある」

「故に死を憂い、知りたいのですか。死を選ぶ者の心を」


 きょとんと目を丸くした男は、長考するように顎に手を添えた。その様をじっと見つめながら、十兵衛は男よりもたらされた情報を脳裏で纏める。


 男は死の律というものを司る者であり、命の長さを変える事が出来る。数多ある世界を渡り、稀に出会った死を憂う者を召し上げ不死の者へと変え、部下として働いて貰うという。


 ――不死の者さえ死を選ぶというのは、もしや自分が選んだ部下達のことか?


 そんな考えに至って、十兵衛は息を呑んだ。死という、有限の命を持つ者にすれば逃れられない運命を望んで変えることが出来たのに、あえてまた死を選ぶというのなら。生きるより死んだ方がマシだと思えるような、生き地獄を味わっているからなのではないだろうか。

 だとすれば、そんな理由を与えているのは目の前の男に他ならないわけだが……とあまりの恐ろしさにごくりと生唾を飲み込んだ所で、男が「そうだな、」と長考を止めて顔を上げた。


「憂い、というのは間違っていない。先にも告げた通り、不死の者でも死を選ぶというのは、私の部下の話でな」

「…………」

「長き時に渡り仕えてくれた部下達が、皆一様にある時を境に死を望むのだ。死を与えるのは簡単だが、それは彼らとの永遠の別れを意味する。そこに憂う気持ちがないと言えば嘘になる」

「……寂しい、のですか」

「あぁ。その表現も非常に近しい」


 肩透かしをくらったかのようだった。寂しいと口にする男は、眉尻を下げながら本当に寂しそうに小さく笑った。

 そんな風に部下のことを思える男が、およそ十兵衛が思いついた生き地獄を与える者には到底思えず、脳裏に湧いた考えを払拭するように頭を振る。


「生活に不満があるのか、仕事に不満があるのか、その他様々な事を問うたが、皆違うと言うのだ。食い下がって聞いてみたが、それでも心より死を望む者達の願いを、死の律を司る者として無碍にすることは出来なくてな」

「…………」

「とはいえもうこれ以上、真意を理解出来ぬまま還す事はしたくない。故に、お前を喚んだのだ。自ら死を選ぶ者の真意を知るために」


 そう言って言葉を締めた男に、十兵衛は言葉無く頷いた。


「私の理由は、先にお伝えした通りです。果たしてそれが、臣下の皆様の理由に当てはまるかは分かりませんが」

「あぁ。確かに、お前の理由とは違うように感じている」

「お力になれず申し訳ないです。然ればどうか別の者をお呼び頂き、伺うのが宜しいかと」

「うむ……」

「重ねて願えるなら、私を元の場所にお戻し頂けないでしょうか」


 そして懐刀を返して欲しい。

 差し出がましいかとは思いつつも、机上に置かれた懐刀を見つめれば、眉間に皺を深く刻んだ男が唸り声をあげた。


「いやしかし、死ぬだろうお前」

「ご説明した通りでございます」

「戻さないと言えば?」

「そちらの刀で切腹するまで」

「返さないと言えば?」

「非常にやりづらいですが、こちらの打刀で」


 そう言った途端、十兵衛の腰元にあった打刀が瞬時に消え、男の手へと渡った。

 わなわなと唇を震えさせる十兵衛を叱りつけるように、男が大声を上げる。


「ええい! なんでそんなに死にたがるんだ!」

「なんでそんなに止めたがるんだ!」


 椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった男に、応戦するように十兵衛も立ち上がる。もはや礼も忘れて殺気も込めて睨み付ける様に、一触即発の空気が生まれた。


「死の律だかなんだか知らんが、死を願う者を無碍に出来ないというのなら俺の願いとて尊重されて然るべきだろう!」

「それはそうだが真意を知らずに還すのは嫌だと私は言ってるんだ!」

「それはお前の部下の話だろう!」

「同じだ! お前の理由も部下の真意も全くもって理解出来ん! だがなんとしても理解したいのだ!」

「だったらよい答えを出す相手を当たってくれ! くそっ、切腹も出来ぬというならそこの湖で入水でもして皆の元に……!」

「【その生に善き結びを!】」


 男の声に合わせて発生した黄金の光の輪が、十兵衛を囲む。輪は瞬時に十兵衛を縛り付けるように円を縮めたが、痛みも熱も何もなくすぐに消滅した。

 目を瞬かせる十兵衛に、男は意地悪く口角を上げる。


「俺に、何をしたんだ」

「お前はこれより、現状定められている寿命まで死ねん」

「……はぁ!?」

「死の律の私が命じたからな。例え死ぬ程の怪我を負おうが、寿命まで絶対に命は尽きん」

「こ、この……!」

「付き合って貰おうか。自ら死を選ぶ者の心を、私が理解するその日まで!」



「その前にお前が死ねー!」と殴りかかった十兵衛を、後の世に男は語る。



 あとにも先にも、死の律を殴り殺そうとした男は、八剣十兵衛ただ一人だった、と。


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[良い点] はっきり言って文章がとっても上手です!私のような取り敢えず書いて見ましたとはレベルが違います。職業作家のレベルに近いと思います。私はどれだけ書いてもこうはなりません!自力の差を感じます。 …
[良い点] まだ冒頭部分ですが、とても面白いなと思いました! 特に「ええい! なんでそんなに死にたがるんだ!」「なんでそんなに止めたがるんだ!」の部分が好きです。最初は敬語で丁寧に喋っていた十兵衛と冷…
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