22話 スイの帰宅
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいまロラント。こちらがお客様の八剣十兵衛さんと、ハーデスさんです」
ソドムの荒っぽい飛行魔法で飛ぶこと数分。オーウェン公爵邸に到着した十兵衛一行は、見上げる程大きな門の前に立っていた老齢の執事――ロラント・ベルに招き入れられた。
紹介に預かったハーデスは会釈を返したものの、十兵衛は三角座りの姿勢のまま魂が抜けたように固まっていた。
空を飛ぶという生まれて初めての体験に、あっさり腰が抜けたのだ。
結果、小舟の上からまったく動けなかった十兵衛を、ハーデスが地面からほんの少し浮かせて移動させてやることで門前まで連れて来ていたのだった。
そんな十兵衛を眺めるもさほどの表情も変えなかったロラントは、広大な庭を通るための馬車へ一行を案内する。
魔石を使ってない豪奢な馬車は、道が舗装されていたのもあって揺れがほとんどなかった。ただ、一人風船のように浮いていた十兵衛だけは、固まったまま何度か壁に頭を打っていたが。
「転移魔法でご案内してもよろしかったのですが、爺もスイ様のお帰りを首を長くしてお待ちしておりましたので、是非とも旅のお話を伺いたく我儘を通させて頂きました」
御者を務めながら、ロラントは好々爺然と笑う。その言葉を聞いて「へへ……」と滝のような汗を流し始めたスイに、ハーデスは首を傾げた。
「何を焦る? 話してやればいいではないか」
「ハーデス君は知らなかったのかもしれないが、スイ様の今回の旅は家出も同然のものだったんだ」
「ほう?」
ソドムが事のあらましを説明する。
一ヶ月前、カルナヴァーンを追い払ったと、討伐に赴いていた者達が続々とリンドブルムに帰って来ていた。
だが、その間も「カルナヴァーンの寄生虫に寄生された者がいる」と助けを求める声は止まず、「追い払ったからはい終わりではなく、どうして最後まで救ってこないんですか!」とスイが何度も関係各所に直談判したらしい。
勤めている神殿にも話を通そうとしたが皆首を縦に振らず、数日前ついにしびれを切らしたスイが、定期便としてマルー大森林方面へ向かう予定だった郵便大鷲に飛び乗って単身乗り込む暴挙にでたという。
「その時オーウェン公は王都におられましたので、スイ様を止められる者がおらず……」
「お転婆、というやつだな、スイ」
「面目ない……」
「でも、実際に行って分かったことがありました」とスイは肩を落とした。
「もう、何もかも間に合わなかったんです。現場で出来ることは、寄生された人々の命を、終わらせる事だけ……」
「スイ様……」
「だから、神官の皆は帰って来ていたんですね。救いを待つ人は他にもいるからと。次に呼ばれるのは、死者を黄泉へ導く時だろうと」
「…………」
「結局、私は何のお役にも立てませんでした」
そう、悲しそうにスイが笑った時だ。
「そんなことはない」と、ハーデスの横から声が上がった。
意識を取り戻した十兵衛が、膝に顎を乗せたままげっそりとした顔で小さく微笑んだ。
「スイ殿のおかげで、皆の安全が確保された。俺が憂いなく戦えたのは、スイ殿があの場にいてくれたからだ」
「十兵衛さん……」
「他の誰もが否定したって、俺が必ず貴女の勇気を肯定する。貴女の決断は蛮勇ではなく、まさしく英雄の行いだったと」
「……はい!」
涙が滲んだ目を拭い、スイが嬉しそうに声を上げる。
その様を見てハーデスは微笑みつつ、「その恰好では様にならんがな」と浮いていた十兵衛を椅子へ下ろした。
「なるほど、貴殿が八剣十兵衛様でしたか」
「申し訳ない、先程は反応も出来ず……」
「いいえ。お嬢様をお守りくださり、誠にありがとうございました。私だけではなく、オーウェン公や仕える皆々が貴殿に感謝しております」
「さて、そろそろ到着です」と、ロラントが馬車を止める。
そこには、街に建っていた家々とは一線を画す、煌びやかだが気品に溢れ、威厳すら感じさせる巨大な邸宅が聳え立っていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「いらっしゃいませ、お客様方」
踏み込めば足が沈む柔らかく赤い絨毯の広間に、ずらりと使用人達が並ぶ。
帯刀していた剣をソドムが使用人に預けるのに倣い、目を白黒させていた十兵衛もおずおずと刀と懐刀を差し出した。
だが、スイに「十兵衛さんはどうぞそのままで」と止められる。
「し、しかし、ここはソドム殿に倣う形が正しいのでは……」
「通常はそうなんですが、おそらく父は興味があるはずです。カルナヴァーンをあっさり斬ったその剣に。それに十兵衛さんが良い人だってのは、ちゃんと私が知ってますから!」
「は、はぁ……」
スイの言葉に使用人も頷き、十兵衛から刀を受け取る事を止めて身を引いた。
代わりに、先導していたロラントが並んでいた使用人から腕輪を預かり、十兵衛とハーデス、ソドムに渡す。
「申し訳ないのですが、こちらだけ身にお付けください」
「これは……?」
「魔法や奇跡の使用を防ぐ魔道具です。貴殿らが危害を及ぼす方でないのは重々承知しておりますが、規則故どうかお守り頂けると幸いです」
「魔道具……」
ハーデスの顔が嫌悪に歪む。それを見た十兵衛が「ハーデスの分も私がつけるのではいけないだろうか」と申し出たが、その前にハーデスが首を横に振った。
「良い。規則に従おう」
「……大丈夫か、ハーデス」
「私の権能が妨げられるわけでもない。好くか好かないかの話だけだ」
渡された腕輪を身に着けたハーデスは、壊れ物にでも触れるかのように、そっとそれを撫でた。
「出迎えにも行かず申し訳ない。私がレヴィアルディア王国オーウェン領が領主、クロイス・オーウェンだ」
応接室へと案内されてしばらく。談笑をしていた十兵衛達の所に、クロイス・オーウェン公爵が姿を見せた。
几帳面に後ろに撫でつけられた黄金の髪に、スイとよく似た空色の瞳。しかつめらしい表情はハーデスの雰囲気にもよく似ており、年相応の皺が刻まれているものの姿勢は凛として揺るぎなかった。
為政者とはまさしくの在り方に、十兵衛もすっと居住まいを正す。
「あ、」
「えっ!?」
そこからてらいなく床に膝を折った十兵衛は、そのまま手をつきクロイスに向かって深く叩頭した。
「私は八神元秀様、秀治様に仕えし侍、八剣十兵衛と申します。この度は領主様への拝顔の栄に浴し、大変光栄に存じます」
「じゅ、じゅ、十兵衛さん……! そ、そこまでしなくて大丈夫ですから!」
「えっ」
きょとんと顔を上げると、慌てるスイと驚いた表情のクロイス達が、じっと十兵衛を見つめていた。
もしやこちらではこの礼の尽くし方は違うのかと思い至り、かぁっと顔を赤くする。
しかし、その様を見つめていたクロイスはふっと目を細めると、未だ膝を着いたままの十兵衛に歩み寄り、自らも膝を折った。
「最上級の礼を尽くして頂き、感謝する。私の方こそ、貴殿にこうあらねばならなかった」
そう言って、クロイスは十兵衛に倣うように叩頭する。
「民と娘を救ってくれたこと、このクロイス・オーウェン、心から御礼申し上げたい」
息を呑んだ十兵衛の前で、クロイスの低く柔らかい声が、「ありがとう」と染み渡るように響くのだった。