20話 伝えたい人へ
「……すまない。取り乱してしまった」
手の甲でぐいと涙を拭ったソドムは、倒してしまった椅子を直し、側近に追加で三脚の椅子の調達を命じた。
「少し君達の話を聞きたい。手短に済ませるので、引き続き検閲はお前の方で請け負ってくれ」
椅子を持ってきた側近の男は、承知したように頷き部屋を出た。それを見届け、十兵衛達に椅子へ腰かけるようにソドムが促す。
「確かに、【看破】で確認しても間違いない。これはカルナヴァーンの魔石だ」
断ずるように言うソドムに、スイは頷いた。
「はい。私の目の前で討たれましたので、その判断で相違ないです」
「す、スイ様、そんな危険な場所にどうして貴女が……!」
ぎょっと目を見開くソドムに、失言したと思ったのかスイがこめかみに汗を滲ませて慌てる。
「あーっと! それには海よりも深く山よりも高い理由が……」
「その台詞、先ほども聞きましたな。後程、御父上も交えてお話致しましょう」
じろりと睨みつけられたスイは、萎縮したように身を縮めた。
「それにしても、八剣君、といったか」
「どうぞ、十兵衛と」
「おっとそうか、そちらが名なのだな。……改めて十兵衛君、本当にありがとう。この地域だけではなく、世界的に広くカルナヴァーンの寄生虫の被害者が出ていたんだ」
ソドムが語る所によれば、二百年程前に突如出現したカルナヴァーンは、人を魔族に変える手法で魔王軍の勢力を拡大していったとのことだった。神官や魔法使いがなかなか足をのばさない辺境の地に住む人間を狙い、着実にその数を増やしていたという。
「あいつの卑劣な所は、こうした大都市を狙わない所にあるんだ。模倣生物は神官の奇跡で対応できるからな。ようやく増やした眷属を失わないよう、慎重に事を進める奴だった」
「…………」
「……何より、私の妻の仇でもある」
息を呑んだ十兵衛に、ソドムは眉尻を下げる。
「八年ほど前のことだ。田舎町にある実家で妹が子供を産むからと、その手伝いに行っていたんだ。……その帰り道で、カルナヴァーンに狙われた」
「そんな……」
「リンドブルムに帰ってきた彼女を【看破】したのは、私だったよ」
早く夫に会いたいからと、ソドムの妻は大急ぎでリンドブルムに戻ってきたらしい。
故に、まだ人の姿を保てていた彼女の検閲結果を、ソドムは信じられない気持ちで受け止めた。
「すぐに神官に見せたが、間に合わなかった。だからせめて、人である内に死にたいと願う妻の心に従って、私が討ったんだ」
「……さぞ、お辛かったでしょう」
「そうだな。今でも忘れられない光景だ」
それは、十兵衛にも降りかかったものでもあった。
あの時首を落とした十一人の姿は、今でも思い出せる、いやに鮮やかで、苦しい光景だ。
「……だから、ソドムさんに一番に伝えたかったんです」
それまで沈黙を貫いていたスイが、俯いたままぽつりと告げる。
「八年前のあの日、神官見習いだった私は、先輩と一緒にソドムさんの奥さんを診ました。間に合わなかったことを告げる苦しさも、ソドムさんの身を引き裂かれるような辛さも、知っていたから。だから、カルナヴァーンの死を伝えるなら、一番にソドムさんにと思ったんです」
「スイ様……!」
「結果、握手会やらなんやらでご迷惑おかけしちゃいましたけど」
「ごめんなさい」とへらりと笑ったスイに、再び涙を零したソドムが首を横に振る。
「いいえ、いいえ……! 何よりの吉報でございました。本当に、本当にありがとうございます……!」
ソドムの検閲結果は、十兵衛もハーデスも問題なく、すんなりと通される事となった。
本来であれば街へ入るには身元証明書が必要となるが、カルナヴァーンを討った事を領主であるオーウェン公に伝えるべく、謁見するためという特例処置になった。
故に検閲官の長であるソドムが責任を持って同行することを申し出て、ポトラでの高速移動を促したが、スイがとりなしたおかげでパムレでのんびり上がることとなった。
「いや、助かった。あれに乗れる気がしなかったんだ」
視線の先でガラス張りの箱が高速で上に上がっていく様を見ながら、十兵衛は肩を震わせる。
「高所恐怖症の人にポトラは辛いですからね。ソドムさんも上で合流になりましたし、ここはのんびり劇を楽しみながら上がりましょう」
「なにせこの時間の劇はあの! リンドブルムと魔法使いの絵本の話です!」といつの間に手に入れたのかパンフレットを片手にスイが熱弁する。
すでにソドムに借りた小舟に乗ってパムレの中にいた十兵衛一行は、スイの「あれをご覧ください!」と指さす先を見た。
「小柄だけど装飾が豪奢な船があるでしょう? あれが劇場艇です。とはいっても船に劇場が備わってるわけじゃなくて、このパムレ内が劇場になるんです」
「ここが?」
広々とした真四角の空間に、水が揺蕩っているだけの水上エレベーターだ。他に何か仕掛けでもあるのだろうかとあたりを見渡す十兵衛に、ハーデスが「前だ」と顎で促した。
「あの者らが何かやるんだろう」
促された先を見ると、劇場艇の上に三人の人間が立っていた。青色の鮮やかで布地がはためく服を着た男と、黒く上品な衣装をまとった男、浅黄色のドレスを着た女がそこにはいた。
三人は恭しく頭を下げると、指をぱちんと鳴らす。
瞬間、大量の水が空に駆け上がった。
「な!?」
慌てて船の縁を掴んだ十兵衛の目の前で、水が意志を持ったようにうねる。その水に纏わりつくかのように青々とした蔦が絡まり、色とりどりの光が照らして空中に「リンドブルムと魔法使い」の文字が浮かび上がった。
「ようこそ皆々様、水の都リンドブルムへ!」
「これより演じますは、古くからリンドブルムに伝わる、この街の創成のお話です」
「絵本で読んだ? もう耳たこ? そんな貴方にこそお見せしたい!」
「水の魔法使い、ウィル・ポーマンと!」
「木の魔法使い、ダニエラ・ココと!」
「光の魔法使い、ジーノ・ロヴェーレによる魔法劇場!」
「どうぞ最後まで、ごゆるりとお楽しみください!」