15話 黄泉送り
息が止まりそうな事の連続だった。
スイはさほど戦闘経験がない。どちらかといえば後方支援や事後処理が多く、最前線で人を守りながら奇跡を保つなど今までしたことが無かった。
それでもなんとかやり遂げ、心からほっと安堵の息を吐く。カルナヴァーンが召喚した魔物がいくらか残っていたが、それもさほど時を経たず地に倒れ込んだ。
「神官様……」
スイの奇跡に守られていた村人が、窺うように声をかける。スイは一つ頷いて【断絶の障壁】を解除した。
「大丈夫です。呼び出された魔物も、まもなくの命かと」
模倣生物は、使役していた主が死ぬとあとを追うようにかき消える。魔力が尽きるからではなく、模倣生物が「生物として在る」と肯定していた「存在を繋ぎ留める者」が失われるためだという。
スイの見立て通り模倣生物の影響が無くなった魔物達は、寄生虫が補っていた身体の器官を損ない、徐々に息を引き取っていった。
その言葉を聞いて、十兵衛が急に駆け出した。向かった先はライラの元だ。
駆け寄ってきた十兵衛にスイ達は賛辞と感謝の言葉を述べようと思ったが、倒れ伏しているライラに手を伸ばした十兵衛の姿を見て、口を噤んだ。
首に手を当て、何事かを確認した後腕に抱くと、おそるおそる傍に寄ってきていたマリーに優しく声をかける。
「マリー。あんなに一生懸命走ってきたんだ。ライラ殿に、何か伝えたかったんじゃないのか?」
はっと息を呑んだライラの義姉の手を握り、マリーは小さく頷いた。
「……うん。ありがとう、大好きよって、言いたかったの。でも、きっとママ、知ってるよね」
「ああ」
力強く頷いた十兵衛に、マリーは気丈にも微笑んで義姉の腕の中に飛び込む。全てを心得た顔で目礼した義姉は、そのまま家の方へと向かった。
それを見届け、十兵衛はライラを横抱きにして花の溢れる寝台へと向かう。優しく横たわらせ、労るようにその頬を撫でた。
「もう、大丈夫です。安らかにお眠り下さい、ライラ殿」
その言葉に応えるように、ふっと上下していた胸の動きが止まる。目を閉じ手を合わせた十兵衛に倣い、その場にいる皆が祈りを捧げた。
***
「カルナヴァーンと戦ってよくこんな怪我ですんだなぁ」
十兵衛の腹に残った打ち身に傷薬を塗ってやりながら、アイルークが感嘆の息を吐いた。
カルナヴァーンとの戦闘時、アイルークや残っていた村人達は尋常ではない外の様子を察し、少数名で一瞬確認に来たという。そこでスイの奇跡の行使を見るや、戦闘の邪魔になるまいと息を潜めていたとのことだった。
「すみません、私が奇跡を使えたら十兵衛さんに痛い思いをさせずに済んだのに……」
隣に座るスイから、謝罪の言葉が零れる。患者の治療に伴い、高位の奇跡を何度も使用していた今のスイの精神力では、回復の奇跡にまで力を回せなかったのだ。
同様にアイルークからも「臆病にも隠れることしか出来ず……」と謝罪され、治療を受けていた十兵衛は「とんでもない」と笑った。
「守りながらの戦いともなれば、苦戦は必至だったでしょう。スイ殿が皆を守り、アイルーク殿が先導して皆を隠してくれていたおかげで、憂い無く戦えました」
「あとハーデスも手伝ってくれましたし」と窓の外を見ているハーデスにも話を振る。
ハーデスは肩を竦めると「これが常とは思わないように」と言い含めた。
「基本的に介入はしない。それが私のスタンスだ」
「その割には俺をよく庇ってくれていたが」
戦闘中、模倣生物の多くはハーデスに向かっていた。魔法使いが魔法を行使する前に殺すのが戦いの定石だからだ。けれど、いくらか十兵衛に飛んできていた模倣生物をもハーデスは消滅させていた。
それを言及され、ハーデスは大きく溜息を吐く。
「当たり前だ。お前は特別だからな」
「特別?」
「私の祝福を受けている。その責任はとらねばなるまいよ」
責任、という言葉に十兵衛は「なるほどな」と内心独り言ちた。
十兵衛の身には、ハーデスから「寿命が来るまで無病息災」という術が掛かっている。どんな責め苦を負おうとも、寿命が来るその時まで絶対に死なないという呪いにも近いものだ。
自死を選びたくなる程の傷を負っても無理矢理生かされるそれを、ハーデスはせめて「そうならないように」務めていると暗に告げていた。
「祝福……、ハーデスさんは神官なのですか?」
祝福という単語に、現役神官のスイが食いつく。
「言葉の綾だ」
「祝福じゃなくて呪いです、スイ殿」
「ええと……。どちらにせよ、あの超常現象は神官か魔法使いでないと出来ない所行です」
模倣生物を無詠唱で消滅させたことを、スイは指す。それをどう説明したものか、とハーデスは腕を組み小首を傾げた。
別段、律の者に関しての情報を秘匿する定めもないのだが、この星に生きる者が一足飛びで高次元領域に至っていく過程で得る知識を知るのも違う気がする、とハーデスは思う。
結果、
「私が、とても凄いからだ」
という安直な答えしか導き出せなかった。
目を丸くしたスイとアイルークが「は、はぁ……」となんとも言えないような生返事をし、十兵衛は呆れたように溜息を吐きながら天を仰いだ。
「あ、あの、そしたら一つご相談なんですが」
生暖かい空気になったのを変えるように、スイが手を上げる。
「ハーデスさんのお力を、どうかお借りできませんか?」
日も落ちて大分経ち、辺りは星の煌めく夜空に彩られている。
葬儀も滞りなく終わり、カルナヴァーンに連れてこられた元人間の魔物達も、墓へと埋葬されていた。
スイに連れられ墓地にやってきた十兵衛とハーデスは、スイが祈りを捧げるのを見守りながら相談とやらが告げられるのを待つ。
「亡くなった人達の魂は、こうして神官が祈りを捧げる事で現世に留まる事無く、女神様の元へと導かれます」
そう言いつつ、ゆっくりとスイは立ち上がった。
「こちらの方々は大丈夫なのですが、カルナヴァーンが近隣の五百の民を魔物化したと言っていました」
「五百……」
改めて聞くととんでもない数だ、と十兵衛は眉をひそめる。
「その幾らかはこちらに来ましたが、おそらくマルー大森林に魂が宿ったままの遺体が点在していると思われるんです。それをどうか、ハーデスさんのお力で見つける事は出来ないでしょうか」
「…………」
「そのまま放置すると、人を襲う屍――アンデッドになってしまうんです。せっかくカルナヴァーンを倒したのに、増やされた魔物がそのままアンデッドになれば、アレン君の村やこの村にまた脅威が来るかもしれない」
その言葉を聞き、十兵衛は納得するも「難しいかもしれないな」と思った。
ハーデスは寿命を妨げないという。もし魔物がアンデッドと化し村を襲ったとして、それが彼らの寿命であればその原因となる物を消すわけにはいかないはずだった。
十兵衛自身の考えとしては「そこをなんとか」という気持ちではあるが、ハーデスにはハーデスの理があるのも充分分かっている。だから、多くの期待は寄せないようにしつつも、横に立つ男に「どうする」と小声で尋ねた。
「いいだろう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
あっさりと承諾したハーデスに、驚いたのは十兵衛だ。慌てて服の裾を引き、ハーデスに耳打ちした。
「大丈夫なのか? 寿命の妨げとはならないか?」
「ならん」
「本当に?」
「ああ……そうか、お前一つ勘違いをしているな」
「そこは補足してやろう」とハーデスが十兵衛に手を翳す。これはあれが来るな、と思った十兵衛は、覚悟を決めて頷いた。
流れ込んできた知識は、知識というよりハーデスからの念話のようなものだった。
――先に告げた通り、寿命は己の強い意志で運命を変えるか、自死でしか変わらない。寿命に関わる要因は世界に様々存在し、その中のどれか一つが死に繋がる物として収束していく。
「つまり、多少アンデッドの発生を無くしたとしても変わらないということか」という十兵衛の頭の中で質問に、ハーデスは言葉無く頷いた。
――とはいえ、積極的に律の者が関わるのは推奨されんがな。偶発的事象を必然的事象に変えやすい。ただ、今回の場合は星の怠慢を私が肩代わりするのに近いのでさほど問題はない。
ハーデスの思いもよらない言葉に、十兵衛は目を瞬かせる。
――お前の世界で死者がアンデッドにならないのは、星が役目を果たしているからだ。死ねばすぐに魂は循環の流れに乗せられるはずなのに、この星は怠惰に耽っている。故に、私が多少関わった所で、星の役目を助けてやったぐらいにしかならないわけだ。
「それでは明日以降、宜しくお願いします」
スイの声に、はっと十兵衛は意識を戻す。目の前で深々と頭を下げたスイに、ハーデスは首を傾げた。
「明日以降?」
「はい。探すにしてももう暗くて視界が悪いですし、アンデッド化はすぐには起こりませんから。ハーデスさんに飛んで探して貰うなら明日以降で大丈夫です」
「私は探すだけなのか?」
「えっと……はい。導きの祈りは私が……」
「なんだ、それをさせるつもりなのかと思っていたぞ」
ハーデスの発言にスイは驚いたように目を丸くする。
「飛んで探すだけではなく導きの祈りもして頂けるのですか!? わ、私も何か手伝いを」
「いや、飛んで探すも何も、この場で全て終わる」
絶句するスイに、ハーデスは「見た方が早いだろう」と宙に浮く。
「導きとは、案内板を立てる様なものだ。どちらに行けば正しいのか分からない魂達に、道を示すのがスイの祈りだ」
「で、ではハーデスさんはどのように……」
「私の場合は、背を押すだけだな」
「え……」
「新たな生の旅路へ、自信を持って行ってこいと激励するのさ」
ハーデスが、腰の高さで両手を空に向ける。
それはあたかも、素晴らしい劇に感動し立ち上がり、喝采を送ろうとする観客のようで。
「命の限り、実によく生きた。次の命も、諸君らの良き生に繋がるよう」
低く優しい声色で、賞賛するようにハーデスは一つ一つの命を讃える。
細めた目は慈しみに満ちており、神もかくやの在り様に、スイと十兵衛は息を呑んだ。
「どうか、よい旅を」
ぱん、と、ハーデスの手が合わせられる。
――次の瞬間、夜空に流星が走った。
空から大地に注ぐのではなく、大地から空に飛び去るような、光の軌跡。
それは幾百、幾千、幾万の輝きで夜空を彩り、見る者の心に鮮烈な印象を与えるショーのようにも見えた。
その光の一つ一つが、魂である事を知っているのは、ここにいるハーデスと、十兵衛とスイの三人だけだ。命の輝きとはこうも美しいものなのかと、スイは頬に滑る涙をそのままに、静かに夜空を見つめた。
十兵衛もまた言葉を忘れたように見入っていたが、ふと疑問が浮かび声を上げる。
「五百……どころではないな」
十兵衛の言葉に、はっとスイが我に返る。
確かに夜空を彩る軌跡は五百どころのさわぎではない。とんでもない数の光が空へと還っており、スイは背筋が冷えるような心地になった。
「ハ、ハーデスさん、これは一体……」
震える声で問いかけたスイに、腕を組んだハーデスがさも当然かのように頷いた。
「カルナヴァーンの模倣生物から解放された者がいずれアンデッドとなるのだろう? それに座標を合わせただけだ」
「皆迷いなく星に還るだろう」と返され、スイと十兵衛は思わず目を見合わせる。
カルナヴァーンは、言っていた。軍の魔物は殆どカルナヴァーンの手によって作られたものであると。
それはつまり、魔王軍がカルナヴァーンの作った魔物達を、アンデッド化して使役する前に昇天させたのも同じ事で。
「スイ殿。これはもしやとんでもない事になったのでは」
「ええ。間違いなく、とんでもない事です」
二人数秒沈黙し、何もかも考えるのが嫌になっておもむろに空を眺める。
そんな中、ハーデスだけが、空を走る一つの光をじっと見つめ、優しい笑みを浮かべるのだった。
――よい旅を。ライラ。
読んで頂き誠にありがとうございます!第一章はこちらで完結になります。
第二章に至るまでの幕間が次回の更新となります。
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