141話 ハイテンションな転移魔法使い
【灯光球】の明るさを頼りに、風の魔法使いが慎重な魔法操作でミスライトで出来た真白の床を掃き清める。
毎日掃除は欠かさないため目視では埃一つも落ちていないと言っても過言ではないのだが、ことこの場においては塵一つが大事故に繋がるため、手練れの魔法使いといえども慎重に慎重を重ねていた。
直径にして三十ミール程となるミスライトの床には一切の歪みもない魔法陣が刻まれており、部屋自体の天井は高く百ミールはある。筒のような形になっている周囲もまた、ミスライトとオリハルコンの合金製の壁で出来ていた。なお、魔法陣の文字を隠すようなゴミや塵がご法度なのは、この部屋に転移門が開かれるからだ。
部屋の中央に浮いている魔道具は金色のオリハルコン製の天球儀であり、その最奥に紫色の巨大な魔石を内包している。――通称、結節点と呼ばれるものだ。
ここは、王都レヴィアタンより東に数千ミール離れた谷間に作られた大規模転移門拠点――【果ての塔】と、人々が呼ぶ場所である。
果ての塔は、レヴィアルディア王国が現有する大規模転移門を有する塔だ。大魔法使いオーウェンがいた時代よりもはるか昔、五千年近く前にフィルフィオーレ王国のエルフから贈られたものだった。
遠く西の果てにあるフィルフィオーレ王国のエルフと人との親交が途絶えぬようにという友愛の証の塔であったが、今日ではその役目が果たされなくなって久しい。現在は伯爵以上の貴族かつ選ばれた者だけが使える、長距離即時移動手段の一つとして利用されていた。
勿論、転移魔法の魔道具は王国内でも厳しく取り扱われている。果ての塔のゲートクリスタルと繋がる転移魔道具は、半年に一度必ずひとところに集められ、その使用状況を確認される。管理している魔力残量と相違がある場合、即時没収。紛失は許されず、刑に処すどころか領地没収もあり得る状況だった。
となると、貴族達もおいそれとは使わない。万一やらかして領地没収になれば目も当てられないからだ。よほどの緊急時でなければ使われず、往々にして邸宅の金庫に厳重に保管される無用の長物と化していた。
だが、この塔を頻繁に使う者がいる。転移魔法使いの筆頭である、クロイス・オーウェンだ。
転移魔道具などなくとも、彼はゲートクリスタルの座標を参照に己の転移魔法でやってくる。王都に来る際は必ずこちらに訪れるオーウェン公爵は、果ての塔に勤める魔法使い達の憧れであった。
果ての塔の責任者である稀なる転移魔法使い、ジレット・ノイアもそうだ。昼過ぎに先触れとしてゲートクリスタル宛に送られてきた手紙を手に、彼はうきうきと大規模転移門の部屋に続く広々とした廊下を歩いていた。
伯爵家の次男坊であるジレットは、今年で三十二歳になる。上の兄が爵位を継ぐため、手に職をつけることを求められた彼は子供の頃から魔法使いの道を志していた。
――だが、彼が目指したのは王国内でも片手に数える程しかいない転移魔法使いだった。
【星の原盤】で最初に覚える事が出来るのは、大体が生活に役立つ日常魔法であったり、火や水の操作系魔法だ。それを一つ一つ覚えていく先で、魔法使いは方向性を定めていく。全てを習得するような器用貧乏なやり方では大成しないからだ。
風属性なら風属性だけを、水属性なら水属性だけをというように、攻撃系に特化した魔法使いを目指す者達はそうした方向性を定めて己の魔法を育てていた。
それに対して、転移魔法使いは普通はまずなれないと言ってもいい。元より名声が高い者であったり、後に花開く転移魔法の星座に光を繋げるべく永遠に魔法を覚えないような、そんなやり方でしか目指せないものだった。なお、ジレットはその後者を選び続けた変人である。
バブイルの塔で魔法使いになれたのに、操作系の魔法も【看破】も【飛翔】も何も覚えず、ジレットは自ら志願してトルメリア平野の後方支援部隊で支援活動を続けていた。
トルメリア平野で戦う魔法使い達は、その名が必ず郵便大鷲新聞に載るからだ。領地どころか王国中に己の名を知らしめ効率よく魔法使いとしての成長を目指すには、終わりなき戦場での活動が一番いいと判断したジレットは、十三歳から二十五歳に至る十二年間を戦場で過ごしたのだった。
その狂気とも思える活動はついに二十五歳で実を結び、彼は転移魔法を習得した。
始めは【転移門】の開け方を。ゆっくりと転移距離と規模を上げていき、やがて転移門を開かずに物質を移動させる、【小規模転移】を会得した。
果ての塔に就いたのは二十七の時だ。「転移魔法使いこそ責任者であるべき」と言われて果ての塔の最高責任者を任せられたジレットは、その年についに彼の神と出会うのである。
「オーーーウェン公爵閣下様々~~~!!」
「……ジレット君……久しぶりだね……」
金色の目を光り輝かせ、パールグレーの波打つ髪――複雑に編み込まれたツインテールをなびかせながら走り込んできたジレットに、クロイスは半笑いになった。
三十路のジレットは、いつ見ても若々しい。変わらないテンションも可笑しな髪型もそうであった。
その昔、久しぶりに転移魔法使いが現れたと聞いたクロイスは、直接ジレットの元に会いに行った事がある。物見遊山がてらと、転移魔法使いの先輩としての助言を授けようと思ったのだ。
当時のジレットは戦場帰りということもあり「僕はそんじょそこらの魔法使いとは違うんだい」といったつっけんどんな対応だったが、扱いを厳しく定められている転移魔法使いとしては「宜しくないなぁ」と判断したクロイスが、完膚なきまでに実力差を見せつけ叩きのめした。――結果、ジレットはクロイスの妄信的な信者となってしまったのだ。
王都に行くには必ず果ての塔に来なければならないとはいえ、毎度毎度このテンションで出迎えて来るジレットに、クロイスはややうんざりとしていたのだった。
「あのあのっ、お手紙誠にありがとうございましたっ! オーウェン公爵閣下様々のお手紙は全て大切に保管しております!」
「うん、前も言ったけど閲覧後は王都の管理局に送ってね? 転移魔法でこちらを利用しに来ますよっていう報告だからねアレ」
「そう仰ると思って、管理局の者を転移魔法で呼びつけてこちらで確認して頂いております!」
「使い方ァ!」
思わずどでかい声で突っ込んできた男に、ジレットがきょとんと目を瞬かせてクロイスの後ろを覗き込む。
そこには、赤鎧を身に纏っているギルベルト・アンバーが呆れ果てたように腕を組んで立っていた。
「先に手紙で伝えたと思うけど、私の転移魔法に同乗頂いたアンバー将軍閣下だ」
「あー、ゴリギル……」
「おっまえ、閣下がちゃんと礼節を保って接して下さってる場で……!」
興味がないと言わんばかりに溜息を吐いたジレットに、ギルベルトはぎりぎりと歯軋りをした。
ギルベルトは国王陛下直属の騎士団長のため、果ての塔の管理者であるジレットよりは位が高い。が、後方支援とはいえ十二年もずっとトルメリア平野にいたジレットは、ギルベルトにとってはいくらか戦いを共にした戦友であり、扱いづらい先輩でもあった。
「ゴリマッチョギルベルト、君には転移魔道具を渡していただろう? オーウェン公爵閣下様々の御手を煩わせるとはどういう了見だい」
「あー、転移魔道具は事情があってちょっとな……」
「は? まさか紛失? 処すか? 首から上を湖に送って処すか?」
「待って待って。私が急遽【沈思の塔】宛に人を送る用事が出来てね。転移一回分の魔力量しか入ってなかったし、こちらで貰って書き換えさせてもらったんだ」
「オーウェン公爵閣下様々の仰る事でしたらぁ~ん!」
「待遇……」
白い目を向けるギルベルトに、ジレットは目も向けない。
クロイスは苦笑しながらも「後できちんと手続きをするから、書類の用意だけは頼むよ」とだけ告げて、羽織っている外套の襟を正した。
「さ、いつまでも地下深くの空気を吸いたくない。王都に案内してくれるかな? 頼れる後輩ジレット君?」