136話 商才無し侍
「大丈夫か? ハンカチは持ったか? 頭の包帯の取り換えは必ず毎日行うんだぞ! 予備はリュックのここに入れてるからな! それから……」
「フェルマン……もう行かせてくれ……」
うんざりして嘆息するハーデスに、十兵衛達は苦笑しながら同意するように深く頷いた。
アレンとガラドルフを見送った後、十兵衛達は一度リンドブルムに赴く予定となっていた。エデン教会に一時就くことになったクロエ達の報告を含め、スイの任務完了報告やギルベルトのオーウェン公爵への用事等々、一時帰還が必要な物が多々あったのだ。
カルド村に後ほど連れていくスピーも、同様の運びとなっている。そのため、これがしばしの別れだと分かっているフェルマンが最後の最後まで世話を焼きたがっていたのだった。
過分な程に大事に接して貰った事が無かったスピーは、フェルマンのかける言葉の一つ一つが嬉しくてたまらない。ニコニコした顔でスピスピと鼻を鳴らすので、それを受けたフェルマンも嬉しくなってまたループするように会話が戻るので、十兵衛達はかれこれ数十分は足止めをくらっていたのだった。
「ええい! いい加減にせんか!」
そうこうする内に、ついにリンがぶち切れた。フェルマンからスピーを引き離し、「保護者を務めると決めたなら、スピーの自立も見守れ!」と二人の間に立つ。正論剛速球のど真ん中ストレートを胸に受けたフェルマンは、しゅん、としょげて俯いた。
「あの、フェルマン様。アレンのお父さんとの交渉が上手く行ったら、ちゃんとお手紙も書きますから!」
「上手く行かなかったら帰ってくるんだぞ! 空き部屋なんてすぐに作れる!」
「馬鹿たれ! そこは上手くいくことをまず祈れ!」
げし! と脛に蹴りをくらったフェルマンが「ウッ!」と呻いてしゃがみ込む。その隙にリンがスピーの手を引き、「ハーデス! 今の内だ!」と転移を促したので、その勢いに沿う形で十兵衛達もハーデスの側に寄った。
「フェルマンさんも、お元気で! マリベルにも宜しくお伝え下さい!」
「達者でな。スピーのことは任せてくれ」
「またな、フェルマン! オデット伯爵の件は追って連絡するよ」
「フェルマン様!」
スピーの大きな声に、フェルマンがはっと顔を上げる。もじもじと唇を閉じては開いてを繰り返していたスピーが、やがて決心したのか、勇気を出して言いたかった言葉を口にした。
「いってきます!」
「――っ! あぁ! いってらっしゃい!」
欲しかった言葉を真っ直ぐ受け取ったスピーが、満面の笑みで手を振る。
それに応えるように手を振り返しながら、瞬きの間に消えてしまった一行のいた場所を視界に入れつつ、フェルマンはスン、と鼻をすすった。
「さ、さ、寂しすぎる……!」
独身貴族男フェルマン・ロイデン。人生初めての、息子の旅立ちであった。
***
ほんの数日ぶりのリンドブルムの街は、今日も賑やかだった。晴天の気候はエレンツィアからリンドブルムの方にも続いていたようで、人々の往来も常日頃と変わらず多い。
ハーデスの転移でひとまず検閲所へとやってきた十兵衛達は、ソドムに【看破】による検閲を行ってもらい、パムレでのんびりと上層に上がった。スピーに「リンドブルムと魔法使い」の劇を見せたかったのだ。
ウィル達がすでに旅立っていたため、公演は別の劇団のものだ。ストーリーは同じなのにも関わらず、スピーはともかく十兵衛とスイまで本人の目の前で号泣し、リンとハーデスから白い目で見られていた。
なおギルベルトは初見では無かったようで、「切ない話だよなぁ~」と素直な感想を述べていた。
まずはオーウェン公爵邸に行くというスイ達とは別に、十兵衛はリンと冒険者ギルドへと向かっていた。十兵衛の方で承っていたエレンツィア方面の討伐任務をリンがハーデスと共に驚異の速さで片付けてくれたため、それの報告があったのだ。
カラコロと二人で下駄を鳴らしながら着物姿のままリンドブルムを闊歩していた十兵衛だったが、じろじろと周りから向けられる目線に気が付き、なんとなしにリンに話を向けた。
「……やはり、この着物のせいだろうか」
「視線のことか? ま、そうだろう」
「そうか……そうだよな! アレンのくれた素晴らしい贈り物だからな!」
にこーっ! と嬉しそうに笑みを浮かべた十兵衛に、リンは乾いた笑いを漏らした。アレンに着物を貰ってからというもの、十兵衛はやたらめったら人に見せたがったのだ。
「アレンの贈り物なんだ!」だの「俺の国の着物をアレンが用立ててくれたんだ!」だの、会う人会う人に着物を見せては嬉しそうに言うので、リンは早くこの「アレンの贈り物自慢ブーム」が終わらないものかと溜息を吐いた。フェルマンのスピー心配性と同様、割とうんざりしてしまう程に十兵衛のご機嫌が続いていたのだった。
「ようこそ! 冒険者ギルドへ……って十兵衛さん!」
「こんにちは、アンナ殿。討伐依頼の報告書を持ってきた」
「はーい、承ります。リン様もお久しぶりですね」
「といっても数日ぶりだがな。あんまり旅に出た気がしない」
肩を竦めてカウンター席に座るリンに、アンナは苦笑しながら書類を受け取った。
エレンツィアとリンドブルムは、船ですぐに行き来出来る距離だ。ハーデスの転移があればなおさら早いが、オーウェン領地内はともかく領地外の移動に関しては正規のルートでの移動が推奨されるため、一行は遊覧船での移動を選んだのだった。
そうは言っても一週間も滞在しなかったエレンツィアを思い、巻き込まれた戦を思い――。「三百年ぶりの世界はしみじみ大変だな」と、リンはサービスで出された果実のジュースを飲みながら眉尻を下げた。
「なるほど、リン様とハーデスさんが代わりに討伐された、と」
「あぁ。表立っての討伐関連はリンが、レイスは聖水での浄化後にハーデスが還したから、神官の派遣も大丈夫だ」
「承知しました。ではこちらが報酬となります。お疲れ様でした!」
「ところで、」と書類を整理しながら、アンナがちらりと十兵衛に目を向ける。
上から下までじっくりと眺め、「そのお召し物……」と口にした所で、ぴく、と十兵衛の眉が動いた。
「下駄とマッチしててとても素敵で――」
「アレンの贈り物なんだ!」
「あ、アレン君の……」
「てっきりスイ様からかと」と胸を撫で下ろしつつ言うアンナに、「違うぞ、アレンだ!」とニコニコしながら十兵衛が訂正する。リンは「まーた始まった!」とカウンターの上に突っ伏した。
「どちらで仕立てられたんですか?」
「エレンツィアの中央通りにある、ヘンリー殿がやっている服屋だ。店の名前は……すまない、思い出せないんだが、大きな裁ちばさみの看板が目印だ」
「なるほど、そちらに伺えば同じ物を仕立てて頂ける、と……」
にこーっ! と笑う十兵衛に、にこーっ! とアンナも同じ様に笑い返す。
「ああ、きっとヘンリー殿なら良い物を仕立ててくれると思うぞ!」
「良い情報をありがとうございます! ちなみにお聞きしますが、そちらの衣服……」
「着物というんだ」
「着物、はまだ十兵衛さんしか着ている人はいらっしゃらない、とか?」
「ん……と、そのはずだ。まだ広まってはいないと思、」
「しゃおらっ!」
「ギルドマスター! 私明日休みまーす!」と話の途中でバックヤードに走り込んでいったアンナを、目を丸くしながら見送る。
奥の方からライの「えーっ!? 急すぎない!?」という戸惑いの声が上がるが、アンナの「休みますったら休みまーす! 四日ぐらい!」という押しの強い声が響いた。
バッグヤードでの二人のやり取りをしばらく耳にしていた十兵衛だったが、やがてリンが呆れたように「おい、もう帰っていいんじゃないか?」と提案する。
「いや、でももうひとつ報告があったんだが……」
「書面にはまとめておいたんだろう? カウンターにでも置いておけばいい」
「それもそうか」と同意して、十兵衛はもう一枚の臨時の報告書をカウンターに置き、リンと共に冒険者ギルドを後にした。
――そのため、二人はこの後の事を知らない。
七閃将、死霊術師のエルミナと黒剣のヴァルメロと戦った報告書を目にしたライと冒険者達が、上へ下への大騒ぎになる事を。
その報告書のせいで冒険録の更新作業が入り、アンナの休みが吹っ飛んだ事を。
オーウェン公爵邸で待ち構えていたクロイスに怖い顔で出迎えられていた二人は、知る由も無かったのであった。
「おかえりリン、十兵衛くん。その着物」
「アレ、」
「アレン君の贈り物だそうだね良かったねなんでリンドブルムで最初に教えてくれなかったのか説明してくれるかな!?」
「先行販売するならリンドブルムからだろう!?」と頭を抱えるクロイスに、商才のしょの字もない十兵衛は、ぽかんと口を開けるのだった。