14話 呪い
――虫が、好きだった。
カルナヴァーンは、生き物の中で一番虫が好きだった。
蟲使いとして魔物の中でもとりわけ醜く生まれたカルナヴァーンは、仲間からの視線さえ厭った。なにせ命ある者は悉くが彼を避け、似たような姿のアンデッド達でさえ皮膚を食い破り出てくる虫達の姿を、陰で悪し様に言う。
けれど、虫だけは違った。
物言わぬ虫はカルナヴァーンにずっと寄り添い、より高度な知力をつけさせるために殺し、魔力を注いで使役化しても、皆変わらず側にいた。
模倣生物が作る仲間もまた模倣生物だ。そうして増えていった命無き小さな者達だけが、カルナヴァーンの友だった。
――そんな彼らが、瞬く間に消滅させられる。
滅する、というよりも呆気ない。消去という方が表現が近い。
ハーデスという男が手を翳す先から、一片の薄羽も残さず消え失せるのだ。
距離を取るために体中の虫達を放出しようが、遠方に位置する蟲毒の塔から召喚しようが関係ない。見る間に消される矢先から、隙をついて剣士――十兵衛が迫るのを身を躱して必死に避けた。
――馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な!
七閃将だぞ! という叫びが胸の内で轟いた。魔法とて扱えるのに、詠唱出来る隙がまったく無い。
カルナヴァーンの得意戦法が中・遠距離型だとはいえ、魔法も持ち得ない剣士にこうも押し込まれるなど業腹だった。醜く、寄生虫を次から次へと出す魔将から、十兵衛は全く距離をとらない。一切の躊躇無く自ら死地へ飛び込んで来る男に、カルナヴァーンは寒気を覚えるほどだった。
このままでは埒が明かない。なんとかして得意な手合いに持ち込まねばと策を巡らせた――そんな時だ。
――待てよ。模倣生物以外はどうなんだ。
ふとした考えが脳裏によぎる。すぐさま実践するべく、カルナヴァーンは召喚魔法陣を無詠唱で発動させ、寄生虫の寄生によって魔物化した人間を呼び出した。
「……!」
ハーデスの眉間に皺が寄り、動きが止まる。
やはり、とカルナヴァーンは笑みを浮かべる。ハーデスは命が宿る生き物を消すことが出来ない。もしくは、彼の理に反するのだ。
代わりに前に躍り出た十兵衛が一刀の元切り伏せたが、一番厄介な男を止める事が出来るのなら勝利も同然だった。
カルナヴァーンは魔力を込め召喚魔法陣を大きく広げると、配下の虫達を招集した。
「愛しい同胞達よ! 儂の元に疾く集え!」
広がった門から次から次へと魔物が現れる。召喚魔法も距離が遠いと発生の時間差があるので、先陣で呼ぶのは近隣の五百に限った。
まずは肉壁にでもなればいい。十分に距離を取った後、詠唱が必要な大魔法で当たり一面焼け野原にしてくれる。そんな風に考え、カルナヴァーンは門の後ろに回り戦場から離れようとした。
――その目の前で。
――門が、真っ二つに斬られた。
「な……!」
開いた口が塞がらない。魔法陣が斬られるなんて聞いた事も無かった。
緻密な魔力操作で作られる魔法陣は、その構成を乱すような魔法攻撃を受けない限り物理で斬れるはずがない。
けれど、確かに目の前の男は斬ったのだ。
打刀と呼ばれる、その剣で。
「将なのだろう? そう逃げてくれるなよ」
あまりの衝撃に固まったカルナヴァーンに、十兵衛が眼前へ顔を寄せ目を細める。
ぞっとするような酷薄な表情に、背筋が冷えた。
何が逃げるだ、とカルナヴァーンは憎々しげに思う。腰抜けを装い、魔物を増やし、魔王軍の増強を図ったのは自分だ。この自分がやってのけたのだ。
それも全て、魔王さえも知らない大いなる目的のためだった。故に魔王軍の誰が死のうと、自分だけは死ぬわけにはいかない。そんな独白を胸に秘め、カルナヴァーンは大曲剣を振り回す。だが、その全てを十兵衛は見切り、無駄の一切無い紙一重の動作で躱してみせた。
「いいのか! 儂を殺せば魔族の呪いがお前に降りかかるぞ!」
死に物狂いの猛攻も瞞着も、全て十兵衛に届かない。
「生憎だが」
大振りの大曲剣が一番地面に近づいたその瞬間、峰の部分を叩き落すかのように足蹴にした。そうして大地に突き刺さった大曲剣を踏み台に飛び上がるや、白刃煌めく打刀を大きく振り被る。
――その刃は、確かに七閃将の首を捉えた。
「俺の呪いは、無病息災だ」
――一閃。
吹き出す返り血から距離を取り、血を払った刀を十兵衛は自然な所作で鞘に収める。
地に転がる絶命した命を、羨ましそうに見つめながら。