135話 二度目の別れ
「……まぁ、エルミナに蟠りがあろうが、それはこっちだって同じことだ。無理やりにでも情報を引き出すやり方は考えておかないと」
エルミナの手勢に部下を殺されているギルベルトの言葉に、全員が押し黙る。
そういった意味では、弟子のトランジットを高位アンデッド化されたガラドルフも同じ気持ちだった。大事を成すためとはいえど、簡単に許せるはずもない。難しい表情で腕を組み、重苦しい沈黙が辺りを包んだ。
固まってしまった空気を変えたのは、それまで黙っていたリンだった。
小さな手を打ち鳴らし、やおら全員の視線を注目させる。
「星の意志やハルとやらの件は気になるが、未だ推測の域であり答えの出るはずもない謎解きよりも、建設的な観点からまずは魔石の代替品を探すのが最優先だ」
「リンちゃん……」
「バブイルの塔で、ハーデスは魔法使いの発生を禁じ、人間の魔物化を止めたのだろう? であれば早晩魔石が足りなくなるのは明白だ。お前達が生きている間はもつかもしれんが、意図的に魔石の文明を止めようと考える以上、代替品の早期開発は目指さねばならん」
「例えお前達の天命が尽きようと、その意思は我が受け継ごう」と、長命種故に叶う超長期研究をも買って出たリンに、スイは自然に頭を下げて礼を述べた。
リンの一声を機に、がらりと議論の内容は変わった。魔力を保持する竜の鱗を、魔石をエネルギー源として使用する魔道具にも転用が可能なのか否か。実際に似たようなアイテムである魔剣を扱っているギルベルトが、一人の技師の名を上げた。
「『ヴァンガル』というドワーフ族の魔導技師がいる。俺達のような王国騎士や、貴族からの信頼も厚い腕利きの技師だ」
「ヴァンガル氏ですか。確かに私もお名前を耳にしたことがあります」
「褒賞や貴族の方々が扱うような高級品をヴァンガルの魔導工房が担っておりますからね。……彼は魔導技師だけではなく魔法使いの視点も持っている。相談の内容によっては良い知見を得られるかもしれん」
「後で紹介状を書こう」と述べるギルベルトに、十兵衛は目を瞬かせた。
エデン教会で見た花から連想した髭の男。その時も確かドワーフの話をしていたな、という考えに至り、「ヴァンガル殿がいらっしゃるのはどちらなんだ?」と問いかける。
そんな十兵衛からの問いを受けて、ギルベルトが宿の壁に貼ってあった世界地図を取り外し、テーブルの上に勢いよく広げてある一点を指さした。
「リンドブルムより遠く、南西に位置する火山国家。ドワーフの国、ロックラックだ」
***
次の日。
良く晴れた空の下で、アレンとガラドルフが乗る予定だった王都レヴィアタン方面行の大型帆船は、いくつかの整備を経て当初の予定通り無事出航と相成った。
港に集まる大勢の乗客や見送る人々が集う一角に、十兵衛一行も足を運んでいた。二人の見送りのためである。
二日前にあった戦禍の爪痕などもはや思い出せない程に整った煉瓦畳の待合所で、十兵衛は久々に羽織った着物の心地よさを感じつつ、旅立つアレンをぎゅっと抱きしめていた。
十兵衛の纏う上等な絹の着物は、ヘンリーの店にあった布地を用いたものだ。黒と灰、白色のシンプルな太い直線が幾本か交差するような形の柄が左の肩口から裾まで縦に一直線に走り、布面積の大部分は暗めの青灰色が占めている。
綿で出来た肌触りの良い対丈の肌帷子は薄黄色の色合いで半襟の形で首元から覗き、黒に一本白線の通った帯で腰をぐるりと締め、貝の口の形で結ばれていた。もちろん打刀は腰に差しており、足元は黒い鼻緒の下駄を履いている。
会議が終わった丁度の頃合いでヘンリーの手によって直接この品が届き、アレンからのプレゼントだと言われた十兵衛は心底驚き――号泣した。なんなら、アレンから鞄を貰った時以上に泣いた。なお、届けに来たヘンリーも泣いていた。
ここ数日のヘンリーは、仕立て屋人生で最大の危機と戦っていた。ハーデスの時間魔法で無機物全ての時間が巻き戻り、なんと途中まで縫いすすめていた着物が初めの状態に戻ってしまったのだ。絶望するも刻一刻と近づくタイムリミットにめげず、徹夜を重ねて縫い上げた結果の産物をこうも喜んで貰えて、全てが報われたような思いだった。
なお、いい年をした男二人が号泣しながら撫で繰り回すわ抱きしめるわでもみくちゃにしてきたため、アレンはしばらく逃げ惑うはめになった。
――閑話休題。
そんな経緯を経て今日、この贈られた着物の姿で見送りにきた十兵衛のハグを受けながら、アレンは思いを込めるようにぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。
「またな、十兵衛。手紙の件も宜しく頼むよ」
「あぁ、任された。アレンもどうか気を付けて。たくさん学んでこい」
「うん! スピーも、元気で! 父ちゃんとカルド村のこと、宜しくな!」
「任せて! 上手く行ったら、アレンの分もたくさん働いてくるよ!」
フェルマンと共に同じく見送りに来ていたスピーが、旅支度を整えた姿で大きく手を振った。
マリベルやフェルマンの理解を得られたとはいえ、オデット領ではまだまだ亜人の差別に関する問題は根深い。いくらディーオデット家で面倒を見るといっても、実際にエレンツィア防衛戦での彼を見ていない者達の目は穏やかではないだろうと懸念する大人達に、アレンが「俺の代わりに父ちゃんの仕事を手伝ったらいいんじゃない?」と言い出したのだ。
ロキート村での出来事から、魔物に変わってしまった人間に理解があるアイルークであれば、きっと悪いようにはしないだろうと考えたのである。
アレンが手紙をしたため、転移魔法でスピーを十兵衛達が連れて行って説明する形で伺ってみようと、そういう話になったのだった。
ちなみに、その案について最後まで反対していた者がいる。――フェルマンだ。
あれからすっかりスピーへの対応が変わり、己のやらかした出来事を悔いつつもなんとか巻き返すべくあれこれと世話を焼こうと思っていた矢先の話を、どうにも受け入れ難かったのだ。なんなら養子に迎えて自分の家に住まわせようと思っていたほどだ。
「もしまたカルド村で苛められたらどうする」だの「田舎すぎて騎士の巡回も間に合わない所じゃ心配だ」だのあれこれと言い募り、困り果てたスピーと自分の村の事を悪し様に言われて不機嫌になったアレンを見て、リンが鉄拳制裁で黙らせたのだった。
「大人なら、子供がやろうと決意したものをどっしり構えて応援せんか!」とぶちかまし、スピーに宥められてようやく受け入れたのである。
せめてもの思いからヘンリーの店や雑貨屋でスピーが当面必要になりそうなものを買いそろえて贈り、結果的にスピーの背負う大きなリュックはフェルマンの愛によってパンパンに膨らんでいた。
「こやつ、加減というもんを知らん」と横目でスピーの荷物を見て呟くリンに、隣に立っていたスイとギルベルトが乾いた笑いを漏らした。
「じゃ、先生。ついでになっちゃいましたが、あいつらのことも道中宜しくお願いします」
「うむ、任しておけ。お前達も息災でな。おふくろの件はまた追って連絡しよう」
「はい、待ってます」
船には、副団長のレッキスを含めた赤狼騎士団の面々も同乗することになっていた。重要参考人として選抜されたウロボロスとオデット伯爵の護送も兼ねてのことだ。
ガラドルフの両親が住まう街への道中に王都レヴィアタンも含まれていたため、アレンとガラドルフの二人旅は大所帯の旅へと変わった。
旅資金の節約のために徒歩での移動も予想していたガラドルフだったが、赤狼騎士団の同行に付き合うとなるとほぼほぼ移動手段が浮き馬車になる。騎士団とは別行動を取る事となったギルベルトからの提案を、「逆に旅が楽になって良かったわい」と快諾し、礼も兼ねてその間の回復役を請け負うこととなったのだ。
ガラドルフの強さを知っていた十兵衛やスイも、結果的に二人の旅が戦闘のスペシャリストである最強の騎士団の護衛付きになったことに心から安堵していた。「着いたら、リンドブルム宛に是非手紙を送ってくださいね」とアレンに行ってらっしゃいのハグ付きで告げたスイは、にっこりと笑いかけた。
「うん! 着いたらすぐに送るよ! リンも、スイ様達のことも含めて色々頼むな!」
「色々……あー、なるほど心得た。任せておけ!」
「マジで頼むよ。俺もガルのおっちゃんももういないんだからな! ……それから、ハーデス様!」
甲高い笛の音が港に響き渡る。船員の告げる出航の合図だ。わらわらと集まった人々の乗船が順番に始まる中、その笛の音に負けないぐらい大きな声で、アレンはハーデスの名を呼んだ。
名を呼ばれたハーデスは目を丸くすると、アレンに顔を向ける。
「コレ、本当にありがとう! 俺、存分に謳歌してくるよ!」
頭を指さし、白い歯を見せて笑ったアレンに、ハーデスはふっと笑みを浮かべた。
「あぁ。お前の知と探求の旅の先に、溢れんばかりの祝福があらんことを」
風と水の魔法使いによる補助を受けて、大型帆船が離岸する。真白い巨大な帆を張って、上手に風を受けた船はぐんぐんとエレンツィアから離れていった。
それを長い時間をかけて見守っていた十兵衛が、やがてぽつりと呟く。
「さ、さ、寂しすぎる……!」
「アレンぐんんん! 絶対手紙送ってくだざいねぇええええ!」
二度目となるアレンとの別れの辛さを堪えて、十兵衛とスイは涙ぐみながら船に向かって大きく手を振り続けるのだった。