134話 秘密のお話
エレンツィア防衛戦の翌日、すでに神官の資格が無いヴィオラは先輩神官に休みを申し伝えられていたが、なんとなく日課をしていた時の気分が抜けきらずエデン教会に足を運んでいた。
昨日まで美しく咲き誇っていたビオラの花々は今は面影も無く、踏みつぶされたりちぎれたりした状態で足跡の残る土の上に放置されている。
仕方が無かったとはいえあまりにもな状態を目に嘆息したヴィオラは、スコップを手に土を掘り返し、広い敷地をのんびりと片付けていった。
また種を植えればいい。自分はエデン教会を離れて別の職に就くかもしれないが、きっと誰かが世話を焼いてくれるだろう。マリベルが「今度は花のエレンツィアだ」と意気込んでいたので、そんな風な期待を持ちながら作業をしていた時だった。
「やー! 精が出るっすねぇ」
ヴィオラの背後から声をかける者がいた。クロエ・ナウルティア高位神官である。
褐色肌に映える緑色の目に、オレンジ色の長い髪を海風に靡かせるクロエが、にかっと白い歯を見せて笑っていた。
「ナウルティア高位神官」
「固いっすね~。クロエさん、でいいっす! お休みって言われてたのに来たんすか?」
昨夜の間に、神殿騎士の大半はハーデスの転移魔法でリンドブルムに帰還していた。だが、主教不在のエデン教会の運営において、当座の責任者としてクロエとシグレ、サンドラが残り、その彼らの護衛役として何人かの神殿騎士がエレンツィアに在留することが決まったのである。
上のローブを脱いだ形の、白色のワンピースだけのラフな神官服姿で腰に手をあてていたクロエに、ヴィオラは苦笑した。
「なんか……性分で。もうここで僕に出来る事はないんですけど、つい」
「そんなこと言ってぇ。君がいないとうちらはお茶の場所もわからないんすよ? まだまだ頼りにさせて貰うっす!」
「さっきだってシグレが茶漉しが見つからないって騒いでたっす」と唇を尖らせるクロエの何気ない心配りに、ヴィオラは内心感謝をしながら茶漉しの場所を教えた。
「ところで、僕に聞きたかったのは茶漉しの場所だけですか?」
「なんでそう思うっす?」
「ナウ……クロエさんの事だから、他に何かありそうかなと」
何せ目の前にいるのは、リンドブルムでも腕利きの高位神官である。今頃は朝のお祈りの時間だろうに、それを押してでもやってきたクロエに何かを感じていたヴィオラは、その予想が当たっていた事を察した。クロエの纏う雰囲気ががらりと変わったのだ。
クロエはその答えに妖艶な笑みを浮かべると、ヴィオラの元にゆっくりと歩み寄り、そっと唇を耳に近づける。
「裁きの雷から生き延びたって、ほんと?」
密やかな声色で紡がれた言葉に、ヴィオラは息を呑んだ。冷や汗が背を伝い、呼吸が浅くなる。
――神の意図から逃れた事への裁きが、高位神官から送られるというのか。
そんな考えに至り、ごくりと喉を鳴らし後退ったヴィオラの反応に、クロエは「ふーん、やっぱりほんとなんだぁ……」と目を細めると――
――腹を抱えて爆笑した。
「……えっ」
「アハハハハハハ! マジ! マジやばいっす! 八剣十兵衛もヴィオラも! アハハハハハ!」
「えっと、クロエ、さん?」
「僕、殺されるんじゃ」と目を丸くして述べたヴィオラに、「そんなことしないっすよぉ!」とクロエは笑ったせいで滲んだ涙を拭いながら告げた。
「もう一回裁きの雷が下るならうちは見守るしか出来ないっすけど、この空の下でヴィオラが生きてるのが全てっす」
「そう、ですか……」
「そうっす。ただ、噂が本当だったのか確認したかっただけっす。はーおもしろ……前代未聞じゃないっすかねぇコレ」
それはそうだろう、とヴィオラは思う。裁きの雷は絶対だ。空から下る神の裁きに、人の身は耐えられない。あれを斬り飛ばしてみせた八剣十兵衛が異常なのである。
だが、そんな彼と、信徒のアカジャの何気ない言葉がヴィオラを新たな生へと導いた。「感謝の念がたえない」と胸中で呟き俯くヴィオラに、クロエは顎を擦りながらにんまりと笑みを浮かべた。
「ヴィオラ・ヴィオーレ元神官。君は、まだ人の為に在る仕事がしたい?」
「えっと……はい。そうやって生きてきましたので、出来ればそう在りたいと」
「そう。じゃあ、うちから一つ提案だ」
「奇跡を使わない次世代の神官として、カガイ神官長の下で働いてみる気はないかい?」
***
宿への帰還後、ハーデスは十兵衛とスイにこれまでの経緯を話した事を告げた。
「同様にこちらでもガラドルフに説明していた」と返した十兵衛が、合わせて精霊についての仮説を語る。
現時点において、ギルベルト、リン、アレン、ガラドルフ。そしてクロイスとスイを含めた六名が、ハーデスと十兵衛に纏わる秘密を共有する仲間となったのだった。
「思えば、アンデッドやレイスは人間や亜人、人間を元にした魔物の遺体からしか生まれない所に謎が残るな」
各々が大きなダイニングテーブルの席に着いたところで発したガラドルフの言葉に、面々は肯定するように頷いた。
人間というカテゴライズにおいて発生するアンデッドやレイスには死が無く、倒すには浄化と導きの祈りが必要である。今までは当たり前の常識のように思っていたものを、ハーデスと十兵衛がもたらした情報を軸に解く作業だ。
「動物や植物にも魂はあるの? ハーデス様」
「星の采配によるが、マーレにおいては在る。微生物などはケースバイケースだ。星の運営において役割を果たさせる器官として扱うこともあるからな」
「てかよ、輪廻転生の最終到着点は人間なわけだろ? アンデッドになれば浄化と導きの祈りを受けない限り、輪廻転生の流れには乗らない。でも星はハイリオーレを剥がす機関を用意しているって、なんかおかしくねぇか?」
「ギルベルトの言う通りだ。何かの意図であえて遅らせているように感じてならない」
「となると、私達は黄泉送りをしない方がいいということですか?」
神官の立場として不安げに問いかけるスイに、ガラドルフが首を横に振る。
「いや、浄化も導きの祈りも必要だろう。放置は愚策だ。なにせ奴らは人間を襲う。ハイリオーレを剥がされる魔物となるかもしれない可能性を重んじて、今在る人間の命を危険に晒すのはおかしな話だ」
「俺も先生と同意見です、スイ様。何より神官は人の為に在るのでしょう? それだけは守らないと」
「……そう、ですね……」
頷きつつも、スイは難しそうな表情で目を伏せた。人間と元人間、そして亜人。人の為に在る神官なのに、その区別を強いられる事に疑問がわいてならなかった。
そんなスイを心配そうに見つめた後、気を配りながら十兵衛が話の水をハーデスに向ける。
「例えば何者かが星に関与していて、星が逆らえない状況にあるとかはないのか?」
「ありえない」
十兵衛の問いを、ハーデスは即座に否定した。
「この星に生きる者が星を越える事は無い。そんな強大な者がいたり術が使われていたとしたら、まず私が気づく。別次元の干渉もそうだ。見落とすはずがないし、【時の】だって必ず気づく」
「そうか……」
「だから私はこれを星の意志だと判断している。問いかけに応えないのもそうだ。通常星の運営に関して私があれこれ言う事は無いが、ハイリオーレの件は見逃せん」
眉を顰めながら言い切ったハーデスに、ガラドルフが唸り声を上げながら腕を組んだ。
「ハイネリア・ルル……エルミナがハル姉と言っていた人物が何かを知っていた可能性は高いが、その者はもういないと言うしな……」
「ああ。私が殺した」
「あのなハーデス。不死のハルが望んだから、お前は憂う気持ちを押し殺し、相手を慮って魂の海に還したのだろう? 端的に伝えるにしても使う言葉が間違っているぞ」
部下との別れを「寂しい」と言っていたハーデスを、十兵衛は覚えている。
故にこそ、間違っても「簡単に殺した」などと他の人に思ってもらいたくなくて思わず苦言を呈した十兵衛に、ハーデスが口をへの字にして黙り込んだ。
「ハイリオーレの知識を持っているエルミナに接触を図りたい所だが、完全に敵対心を剥き出しにしていたから難しいかもしれんなぁ……」
「ハル姉って呼び方だもん、よっぽど親しい姉ちゃんだったんでしょ」
アレンの素直な感想に、エルミナの心情を慮って大人全員の口から溜息が零れる。
この星において戦いは世の常とはいえ、不死故に絶対に死なないと思っていた者の死による衝撃は、筆舌に尽くしがたいものがあるだろうと彼女の胸中を思った。