131話 胸襟を開く日
足を踏み入れたバブイルの塔は、外から見ていた塔の中とは思えない程の奥行きがあった。
壁といえるような壁はなく不可思議なことに周囲には満天の星空が広がり、進むべき道――回廊が緩やかな螺旋を描きながら下へ下へと続いている。
回廊の素材は木や石といったようなありきたりなものではなく、薄青色のクリスタルで出来ていた。手すりも存在しないクリスタルの回廊は人が五人程並べる横幅があり、下を覗き込めば広がる闇がうっすらと見える程の透明度だ。
来た道を振り向けば、夜空にぽつんと外の世界に繋がる扉が見える。辺りを見渡せば、その扉と同軸の高さで似たような入り口がぽつぽつと遠く遥か彼方に出現していた。
よくよく目を凝らしたリンは、その扉の先に繋がるクリスタルの道に人がいる事に気が付く。
「我ら以外にもいるのか」
「あぁ、たまたま今日儀式をしている塔があったんだろう」
「そっか、バブイルの塔は世界各地にあるから……」
「バブイルの塔から別のバブイルの塔へ移動が出来たりはしないのか?」
「本当に何も知らないんだな」
きょとんと目を瞬かせるハーデスに、ギルベルトが肩を竦める。
「クリスタルの回廊はそれぞれの扉から深淵を覗く円環の場……【アビスの星壇】に繋がっている。だが、空間が繋がってるわけじゃない。例え彼方に誰かが見えていたとしても、そちらには絶対に辿り着けないんだ」
「……空間魔法の理が敷かれているわけか」
「さぁな。詳しく調べた魔法使いはいない。万一にでも星の怒りを買って魔法を取り上げられたら困るからな」
「アンバー将軍は大丈夫なの?」
二度深淵を覗く魔法使いはいないという言葉を覚えていたアレンが、不安そうにギルベルトを見やる。当の本人は「どうかな」と笑うばかりだ。
「確かに魔法が無くなると立場的に困るが……バブイルの塔に入らなかった魔法使いがここに二人もいるんだ。将軍としてもただのギルベルトとしても、賭けに出てでも調査はすべきだと判断した」
「アンバー将軍……」
「ま、褒賞で魔石だけはやたらと持ってるからな。いざ魔法が使えなくなったら、魔石を魔道具に変えて部下達に爆炎魔法でも詰めてもらうさ」
「それに、」とギルベルトが目を細める。
「魔法使いの干渉を受け付けないここなら、話して貰えるかと思ったんでな」
「話?」
「ハーデス。そして十兵衛。……お前ら、一体何者だ?」
***
「次元を超えた世界……」
十兵衛から語られた話に、ガラドルフは大きく嘆息した。信じがたい内容ばかりだったからだ。
星にも、宇宙にも、次元にも死が訪れること。その【死の律】を司っているのがハーデスであること。十兵衛はこの星よりも高次元の領域からやってきた人間で、【次元優位】という特性を持ちながらも普段は控えていること。
そして――魂の装い、ハイリオーレのこと。
「魔石は、本来輪廻転生で育つはずだったハイリオーレというものなんだ。好意、感謝、尊敬、憧憬といった善に傾いた思いの力、もしくは過度の自己愛によって育ち、ある一定の領域に達するとハイリオーレを翼として次の次元に魂は飛び立つ」
「辿り着いた次の次元で、残ったハイリオーレは核へと変わり魂自体を拡大させて、またその次元で輪廻転生を重ねることで大いなる魂を得るそうなんです」
ガラドルフは、おもむろに大盾を手にとり、埋め込まれた魔石を見つめた。魔物との戦いの歴史の中で随分長い間この大盾に助けられ、魔法返しとしての役割を十二分に果たしてもらっていた。それが本当は誰かの大切な思いを犠牲にしていたなど、信じたくもない話だった。
だが、十兵衛とスイが嘘を吐くような人物でないことをガラドルフは知っている。何かに操られているわけでもなく、話してくれとこちらから告げた先でようやく話してくれた内容がこれだっただけの事だ。
「そりゃ言えんわなぁ」と苦笑して、ガラドルフは眉尻を下げた。
「魔石は魂自体というわけではないのだな?」
「あぁ。ハーデスはハイリオーレだと言っていた。魔物が死んで残るのは魔石だが、実際は魂も残っているのだと俺は思う」
「ハイリオーレをもがれた事で、次元を超えたばかりの本当に小さな魂になるんじゃないでしょうか」
「だが、魂だけの存在はお嬢も知っての通りこの星ではレイスに変わる。しかし我が輩はそんな極小のレイスの存在など未だかつて見たことも聞いたことも……」
そこまで言って、ガラドルフは言葉を止めた。否、固まってしまったと言ってもいい。
怪訝そうにする二人の前で、ガラドルフは「エーテル体……そうか、そうか!」と突如声を上げるや勢いよく顔を上げた。
「精霊だ!」
「へっ?」
「精霊になるんだ!」
驚く十兵衛とスイに、ガラドルフは思いついた仮説を順序だてて丁寧に話し始めた。
エルフの里には、精霊信仰というものがある。女神レナを祀るレナ教とは違い精霊を祀るわけではないが、自然と精霊を大切に「共に生きる」という概念の元受け継がれている信仰だった。
「その中で、魔法とは違う体系の精霊術という精霊を使うものがある」
「精霊を召喚して力を借りる治癒師の事ですか?」
「いや、あれは魔法体系にある召喚術の一種だ。召喚術とは魔獣や精霊と契約することで任意の場所に召喚する魔法になる、いわば転移魔法の亜種だな。だが精霊術は違う。前提として、まず使役する精霊を作るのだ」
召喚魔法で呼びだす精霊の事を、エルフの里では【妖精】と称する。本来、精霊とはその前段階のものを称する言葉だった。
精霊術ではまず相性のいい精霊同士を集め、それをマナの木の欠片を元に作った【形代】に寄り添わせ、エルフの魔力を込める事で大量の精霊から一つの存在――【妖精】へと変える。半ば模倣生物の作成方法にも近いやり方だった。
そうして作り出した妖精達に役目を与え、働いて貰う事が「力を借りる」という風に伝わっていた。
「だが、精霊がハイリオーレをもがれた魂達だとするなら、精霊術とはエルミナが今回やったような魂の合成にもなってるんじゃないのか?」
ハーデスが激怒していた事を思い出し、十兵衛は眉根を寄せる。魂の合成とはそれほどまでに禁忌の術なのだ。
「そこは分からん。だだ、我が輩もおふくろの精霊術は何度か見たが、紫色の光や劈くような叫喚は無かったぞ」
「そうか……」
「レイスは私達神官の奇跡と祈りで黄泉へと送れますが、妖精達はどうなんでしょう」
「それなんだがな。主から託された役目を果たした妖精は、必ず死ぬんだ」
「えっ!」
目を見開くスイに、ガラドルフが難しい顔をして顎髭を扱く。
「そうして死した妖精達を大切に保管しておき、エルフは年に一度定められた日に精霊送りという行事で送る。そこで妖精の姿は綺麗に解けるのだ」
「…………」
「おふくろは『これで精霊達も星に還れる』と言っていたが、それがレイスにもなれなかった魂達が唯一輪廻転生に戻れる道だったとするなら、話は変わる」
「エルフは、寿命の無い小さな魂を星に還す方法を知っていた……?」
「というのが我が輩の仮説だ。それが長命種の長い歴史の中で自ら調べて出来た産物なのか、はたまた第三者から教えられて出来たものかは分からんが……。なんにせよ、アレンをおふくろ達の元に連れていく機会と重なったのは僥倖だった。この仮説が正しいかどうかも含めて、諸々我が輩が聞いてこよう」
***
「魔石だけはやたらと持ってるとか生意気言ってホントすいませんでした」
アビスの星壇に行く道すがら、ハーデスは自身と十兵衛の身の上話をかいつまんで説明することにした。ギルベルトとリン、アレンはその事実に心底驚いていたが、嘘だとは言わなかった。実際に二人の破格の所業を目にしていたのも大きい。
その矢先に、ハイリオーレの説明を聞いたギルベルトが魔石の真実を知り、猛省するようにうずくまってしまったのだった。
「クロイスにも言ったが、お前達は悪くない。そういう風に仕向けた星が悪い。そしてその状態に気づけなかった管理者……つまり私も同様だ」
「だが、我もギルベルトも魔道具や魔剣といった物を使ってしまっている。すぐに使用を止めれば守れる思いもあるのだろう?」
「その考えは間違いではないが、魔石となってしまったハイリオーレの持ち主が輪廻転生していた場合、新たなハイリオーレがすでに魂の周囲に形成されていることとなる。完全な物ならまだしも、その上から過去に得たハイリオーレを半端な形で被せる事は死の律として推奨しがたい」
「ハーデス様の時間魔法じゃ戻らないの?」
素朴な疑問に、ハーデスは首を横に振る。
「それぞれのハイリオーレが失われた初めの記録が残っていない。そういったすべてが記載されている全生命体記憶領域と呼ばれる記憶領域が、一部欠けていたことが先日分かってな。律の管理者の一人に必要箇所の修復を任せているが、現時点では星が滅びる前に間に合うかも不明だ」
「そっか……。じゃあこう、いっそ一つ一つじゃなくてこの星の丸ごと全部とか!」
両腕をめいっぱい広げながら言う子供らしい考えに、ハーデスは苦笑しながらアレンの頭を撫でた。
「そうなると、今ここにいるアレンと私はもう会えないな」
「あ……」
眉尻を下げて俯いてしまったアレンを気にしつつ、「だから、今から救えるものだけでも救うつもりだ」と端的に述べる。
「魔石の文明はすぐには止められない、それは重々承知している。私も十兵衛も、お前達にこれまでの生活を捨てろとは言わない。だから魔石に代わる物を探すつもりなんだ」
「そういうことか。突飛な事を考えるものだと思っていたが、ようやく一切合切納得出来た」
二人の旅の理由だけは聞いていたリンが、得心したように頷いた。
「そしてお前は、星の祝福が魔石に至る何かに関連していると思っている、と」
「あぁ。だからアレン、場合によってはお前の儀式を中断させる可能性もある事を覚えていてくれ」
「もちろん! 父ちゃんや母ちゃん達の思いより大事な魔法なんてないから大丈夫!」
「そもそも俺、魔法使いじゃなくて薬師目指してるしね!」とアレンは笑って鼻を擦る。
「雷魔法を覚えられたら便利かなって思ってただけだから。調合器具の除菌に電解水を自前で用意出来れば、それ用の除菌剤とか買わなくて済むし」
とても子供の口から飛び出たとは思えない単語に、一同が目を瞬かせた。
言葉の辞書を【脳内辞書】として与えたハーデスすらも驚く始末だ。
「……アレンって何歳なんだ?」
「確か十二歳のはずだ」
「リンと同い年だよ」
「百倍違うと言うておろうが!」